Vega_B<戒めと決意>

 スノウ=フェアリーが大好きな母親から教えられてきたのは、『ライダーを大切にしなさい』だった。

 

 ――だから、スノウはその通りにすると決めた。


 


 スノウの母親は偉大な竜で、<ロンド・ドレイク>で7勝もした竜だったが、8勝目を懸けたレースで転倒し負傷、その事故で同時にパートナーのライダーを亡くしたこともあり、心身の両面から競争能力を喪失した。


 それを自覚した母親が世界に還元されることを決めたのは、スノウが五歳の頃だった。

 ちょうどパートナーとしてのライダーを決めるタイミングで、自分の代わりができることで肩の荷が降りたのだろう。


 偉大な竜を母に持つスノウにとっては早すぎる死別ではあったが、竜人全体で見るならばさほど珍しくもない話ではあったし、スノウも竜人の例に漏れず自立心が強く、親に依存することもなかったので別れ自体は淡々と済ませた。


 代わりに母親の教えを強く心に刻み込んだスノウが選んだパートナーは、ことを基準に選ばれた。


 即ち、


「なんでボクなんかを選んだんですかぁ……?」


 その、とてもライダーには似つかわしくない少年の名前はレーンと言った。

 骨格は貧弱そのもので、成長したとて上積みが見込めそうもない。

 性格も内向的で、言われたことは守るが自発的に何かをすることもない。


 でも、スノウにはこれがよかった。

 レースでもスノウの意図した通りに動いてくれる。

 ポジションを取ることを放棄し、常に最後尾からレースを進める。

 徹底した安全策だった。


 囲まれて揉まれることがないのでスタミナを削られることがなく、転倒事故を起こすことも巻き込まれることもない。

 極端といえば極端ではあったが、『無事是名馬』という言葉を思えば悪くはない選択であったのかもしれない。


 生きてさえいれば勝つチャンスはいくらでもあるのだ。

 そもそも競走馬と比較して競技に参加できる期間が長く、能力のピークもそれなりに長い。


 展開が向かずに勝てないことの方が多かったが、それでも竜たちにレースに勝ちたいという自意識があることもあってか、競馬と比べるとハイペース展開になることもままあったので勝ち星を拾う目処は十分に立っていると言えた。


 そうした手応えがあったので、精神的な面にも余裕があったし、生来のものなのか母親の影響かはわからないが面倒見のいい性格であったスノウは、それまでにも増して甲斐甲斐しくレーンを甘やかすようになった。


 レーンはグレイと同年代になるが身長は一回りほども低く、また肉付きも悪いので実年齢よりも幼く見える。

 対してスノウはすらっとした長身に加え、日々の訓練によって作られた健康的な体つきをしている。


 そんなスノウが、レーンの私生活に至るまで世話を焼く姿はまるで仲のいい姉と弟のようだった。




「そうして、ここにおねショタという名の愛の形は完成を見た――」


「うるせえよ」


 二人の話を聞いて結論をまとめたステラの頭を、グレイは軽く叩いた。







 先日のレースを終えた後、再びグレイに纏わりつき始めたファイは割と平然としていたが、エクスとルクスの姉妹は若干気落ちした様子だったので、私なりに慰めてから三人とは別れた。


 その後どうしたわけか、エクスに勝ったスノウに絡まれた。


 最後方から勝負をかけるタイプの竜は珍しいので、真面目なグレイはレース内容について質問し始めたりして、そのまま私たちの部屋に招待し、最後にはスノウの生い立ちにまで話が及んで今に至るというわけだ。


 いやレース後はもっと私のケアをするべきだと思う。身体とメンタルを。むしろ身体を重点的にな!

 私もお嬢様ぞ? わかってるのか?

 ――などとは言い出せずにできるだけ泰然とした面持ちでグレイの横に張り付いているのが唯一私にできることだった。


 スノウは時折なんだか友達になりたそうな顔で見てくるが、


「お友達になって欲しいんですの」


 表情そのままの言葉を発してきた。

 裏表がないというか思考から発声までにタイムラグが存在しないタイプのようだった。


「ふ、ふーん? いいわよ。友達ね。――友達って何をすればいいの?」


 小声でグレイに聞いた。


「そりゃあ、友達っていえば、……一緒に遊んだり、ご飯を食べたりするんじゃないか?」


「なんで自信なさげに疑問系なのよ」


「今までの人生で俺に友達ができた経験があると思うのか?」


 さもありなん、と私は大いに得心した。だいたい友人付き合いをする竜自体があまり居ないのだ。

 別にお互いを嫌い合っているわけではないのだが、根底には個人主義というか、さほど他人に興味を持たないのでそもそも関わり合いになろうとすることが少ない。

 であるならば、なぜスノウは私に友達になろうと言ってきたのだろうか。


 それを尋ねると、


「お二人はとてもお互いを大事にし合っているように見えたので。お嫌じゃなければ付き合いの中でお二人の関係についてもその、勉強させて欲しいんですの」


 ははーん。なるほど。

 こいつはいいやつかもしれない、と私はスノウに対しての評価を上げた。


 自覚はあったが、いくらなんでもグレイ以外と関わらないというのは不健全な生活であったので、これを機会に交友関係を広げてみるのもいいか。

 ――グレイに好意を持たない奴限定で。


「じゃあ、勉強させてあげましょうね……?」


「おいやめろ。なんでにじり寄ってくるんだよ」


「よいではないかよいではないか」


 などとやっている間にスノウは両手をレーンの顔に被せて目隠しをしている。

 と、オチがついたところで話を切り替えて、私はスノウに改めて尋ねた。


「そういえば聞いてなかったけれど。スノウ、あなたは自身の向上以外に<ロンド・ドレイク>に何か求めることはあるの?」


 するとスノウは思いの外真剣な表情をして、言った。


「私は、私の実力を証明したいですわ。私が受け継いできた血統の優秀さを、ひいては、大好きだった≪≪お母様の続き≫≫を私が走ってみたいんですの」


「……そう。それは、……いいことだと思うわ」


 その真剣な表情が、私にはやけに眩しく感じた。

 眩しく感じて、余計なものに囚われない真っ直ぐな瞳を直視することができなかった。


「ありがとうですわ。では、お呼ばれしたお茶もなくなったことですしそろそろお暇しますの。ほら、いきますわよレーン」


「わかりました。……あの、コーヒーおいしかったです。ご馳走様でした」


「味がわかる奴と友人になれて何よりだよ。また来てくれ」


 何気にグレイのレーンに対する好感度も高い。

 いや、でもなあ、と思う。

 グレイが好むコーヒーはなんというか、全体的に濃いのだ。癖が強いともいうか。で、ブラックも飲まないわけではないが、基本的には砂糖を過剰なくらいに入れる。

 おいしくないわけではないのだが、常飲するにはちょっと躊躇う感じの楽しみ方だった。


 まあ、たぶん疲れてるんだろうなとは思うが。

 ちょっと気疲れしたときの気分転換にはちょうどいい。そんなコーヒーである。




 ご馳走様でしたわ、と部屋を出ていく二人を見送って、私はいつも通りグレイと二人きりになった。


「二人とも裏表がなさそうでいい奴らみたいだったな」


 ――俺たちとは違って。


 そう言外に濁して苦笑いしたグレイに向き直って、グレイの顔を両手で挟んだ。


「私のに付き合ってくれてるグレイに落ち度なんてないじゃない。……それとも、なに? 何か後ろめたいことでもあるの?」


「あー……まあ、あると言えばある。別に隠し事ってわけでもないんだが、突拍子もなくて言い出しづらいことだったからな」


 グレイに何か、私に話していないことがあるのは勘付いてはいた。

 でも、それで私たちの関係が変わるとは思わなかったし、思ってもいなかったので今まで気にすることもなかったのだ。


 ――もしそれを話していないことが、グレイの重荷になっているのなら、いい加減にそれを解消してあげたいとは思った。


 そう思ったまま、私は両手をがっちりと固定して、話すまではこのままでいるわよ、と目だけで伝えてみせた。


「わかった。……わかったよ。話してもいいんじゃないかとは前々から思ってたからな」




 ――そうしてグレイは語り始めた。

 前世での自分のこと。仕事のこと。夢のこと。家族のこと。


 そして、この世界で最終的に目指すもののこと。


 要約すると。

 前世で求めた夢を諦めきれない。元の世界に戻りたい。

 だから、お前と一線を越えた関係なることはできない――。


 そんな内容だった。


 相槌も打たずに私はグレイを見つめながら、話を最後まで聞き終えた。

 バツの悪そうな顔をするグレイとは対照的に、私はなんでもない風な顔をして、


「元の世界に戻りたい。それはわかったわ。それができるかどうかはともかく、私にできることなら協力してあげる。――でも、それと私とシないのって、何か関係があるの?」


 そう言うとグレイは絶句したようだった。

 すぐに気を取り直して、珍しく言葉を詰まらせながらグレイは私に言う。


「そ、そりゃあ後のことの責任も取れないのに、そういう関係になるなんて不誠実だろう。いずれ居なくなる身の上だってのに――」


「――この童貞野郎」


 言い捨てて、私はグレイを黙らせることにした。

 親愛を確かめるでもなく、情欲に溺れるわけでもなく、ただただ唇を押し付けるだけの初めてのキスは、苦くて甘い味がした。


 直前に飲んでいたコーヒーの味が、ともすればのぼせ上がりそうだった頭にこれは現実だ、と教えてくれる。


 だから、私は重ねた唇の感触に酔うこともなく、確かな口調で言うことができた。


「私も着いていくから。それで、何か問題でもある?」


 言われたグレイは呆然とした顔で、ああそうか、とだけ呟いてから、


「いや。何も問題はないよ。……そうだよな、お前がそれでいいなら、それでよかったんだ。――うん。ありがとう、ステラ」


「じゃあ早速スるわよ」


「――それとこれとはまた話が違うわけでして」


 なんでよ、と返す私になんでもだ、としどろもどろに続けるグレイだった。


「まあ童貞だから色々心の準備がいるものね」


「挑発してもその手には乗らないぞ」


 冷静さを取り戻したグレイに最早取り付く島もなかった。

 ぐぐ、と力を入れて顔を近づけてみるが、対抗して私の頭を掴んだグレイに阻まれてしまう。


「はいはい。わかったわよ」


 諦めて力を緩めた瞬間、それを待っていたかのように、今度はグレイから口付けをしてきた。

 あっずるい、いきなりなんて、と思いながら舌をそろそろっと伸ばすと何かを察知したのかグレイは唇を離した。


 そういうのはまた今度な、今度っていつなのよ、なんて言い合いながら、私たちはいつも通りの距離感で、これまでよりも高い温度での関係に収まっていく。


 それはきっと、甘くて苦い雪解けだった。

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