Just away_A<逃走>
「――交尾をします」
しません。
その厳かで断定的な物言いに対して、自覚のある拗らせ系童貞の俺ができたのは、心の中でそう否定することだけだった。
先日<未勝利戦>を無事に勝ち抜けることができた俺とステラだったが、前にも増してセックスアピールというかアプローチというかひょっとするとコイツってただのドスケベなのでは……? と悟りたくもなかった真理に到達しそうになっていた折、そんなお誘いを頂いた。
「しません」
素直に心中を吐露してみた。
「まず一つ目に、今、子作りをしたら<ロンド・ドレイク>に出走できなくなる。二つ目に――」
――何にも思いつかなかった。
いや、元の世界に戻るからそういう関係にはなれない、だとか理由はあるけどこの状況で口に出せることではない。
律儀に俺の言葉を待っているステラとの間に長い沈黙が降りる。
「二つ目は、何? ねぇ、言えないのぉ? もしかして今考えてるの? じゃあ、その他に大した理由なんてないんじゃない? ……ねぇ、返事しなさいよ……❤︎」
「やめろぉ! そんなメスガキみたいな台詞と声色で俺を追い詰めるなあ!」
「大丈夫だよ……? えっちなこと、こわくないよ……❤︎」
「お前がこえーよ!」
沈黙している間に力を溜めていたステラの怒涛の攻勢だった。
俺がこの世界に来てから得た一般常識と、最近のステラの行動が大きく乖離し始めていて、自分の中の常識を疑うべきか、ステラ個人が異常なのかを考え始めるようになっていた。
「なら、子供さえ作らなければ全く何も問題ないのでは――」
言い切る前に俺は家を出た。
階段を無駄のないコーナリングで駆け降りて、マンションのロビーから出たところで一息入れて、そのまま視線を切れる路地を目指して走り出した。
幸いなことに人間の姿をしているときの竜の素の
身体能力はおおよそその見た目通りではあるので、俺はどうにかステラから逃げ出すことができた。
しかしまあ、逃げ出したところで最後には家に帰らなくてはいけないし、これはただの冷却期間以外の何物でもないので、どこかで根本的な解決を試みなければならない。
「とは言うものの、どうするべきか」
「どうされました?」
見るからに悩んだ顔をしていたからだろうか、知らない人から声をかけられた。
「お隣に住んでるグレイさんですよね? 今日はステラさんは一緒じゃないですね」
知ってる人だったわ。
あまりに失礼じゃないか、と思うかもしれないが一つ言い訳をさせてほしい。
俺は三歳のときにステラに買われてから、ほとんどステラ以外と会話をしていないのだ。機会がなかったわけではないのだが、どうせ親しい人を作っても……みたいに考えていたし、普段の家事やトレーニングや調べ物で手一杯だったし、外出するときは常にステラが横にいたし、このお隣さんに関してもすれ違うときに会釈する程度で、まともに会話をするのはこれが初めてなのだ。
「今日はその……。喧嘩ってわけじゃないんですが、まあ、頭を冷やそうと思いまして、ちょっと一人で出てきちゃったんですよね」
ステラの頭をな。
「そうなんですね。とっても仲が良さそうだったので、ちょっと意外な感じです」
ふふ、と口に手を当てて微笑む、えっと……誰だっけ。会話を続けている間にどうにか記憶から名前を引っ張り出そうとする。
隣の部屋のネームプレートにはなんて書いてあった?
そう。たしか、ロードだったかな。これはおそらく姓の方だろう。
ひとまずそれで呼んでみて、反応を確かめながら修正していこう。
「ロードさんは姉妹で住んでいるんでしたっけ?」
「あ、ルクス、でいいですよ。ロードだと、その、どうしても男らしく聞こえちゃって」
ロードルクスさん、ね。覚えた。ちなみにこの世界では日本のように姓が名前の前に来る。というか、個人的にはどっちかというと競走馬の呼び名の方が感覚的には近い。
ステラの場合は姓がルージュなので、ルージュステラになるというわけだ。
「じゃあ、ルクスさんで。さぞかし仲が良さそうな姉妹、って感じがしますけど」
「まあ、そうですね。実際のところ仲はいいと思いますよ。お姉ちゃんが過保護すぎる気もしますけど……」
「かわいがられてる証拠だと思いますよ。世の中にはお互いに無関心な兄弟とかもいますし、それを思うと家族で仲がいい、っていうのは羨ましいですね」
そうかもしれませんね、とちょっと困ったようにしてルクスさんは言った。
あー、そういえば俺の境遇的には家族から引き離されて生活してる、みたいに見られるのか。俺にとって家族といえば前世の親父とお袋のことだし、今世での親なんかほとんど記憶にないから全く気にしてなかった。
「優しいですね、ルクスさんは。別に当て擦りとかではなかったのに、気にさせちゃってすいません」
「いえ。気にしていないなら安心しました。……優しいって、初めて言われた気がします」
「そうなんですか? 竜人って言ったらもっとこう、人を人とも思わない扱いというか――」
瞬間、悍ましいまでの殺気を感じた。
視線に籠った感情で人を呪い殺せるのならたぶん、人類が残らず死滅するくらいの情動がそこには宿っていて――などと言っている場合ではないので、視線の方には目もくれず俺は再び駆け出した。
「「この――浮気ものぉ!!」
「なんか増えてるじゃねーか!」
一人はステラの声だったが、もう一人は全く聞き覚えがなかった。
「あ、お姉ちゃん」
ルクスさんのお姉さんが一体どうしてなぜ!? と思わず後ろを振り向いたのがいけなかった。そこで僅かに減速したタイミングで、俺は件のお姉さんに飛びかかられた。
「ルクスちゃんに手を出してんじゃねぇぇええぇええ!」
「出してねぇえぇぇぇえぇえ!」
馬乗りになられて、直後にそのままの勢いで突っ込んできたステラがお姉さんにドロップキックを決めた。
「私もまだグレイに乗ったことないのに!」
入れ替わりになる形で、ステラが仰向けになっている俺の上に転がる。
地面にぶつけないよう思わず抱き止めると、
「――!? あっ、あああぁぁぁあぁ、あっあぅあっ……、すぅーっ、はぁぁーっ」
ひとしきり発狂したあと、首元に顔を近付けて深呼吸を始めた。
で、そのまま気絶するように寝た。
その横には背中にドロップキックを受けて悶絶しながらのたうち回るお姉さん。
早すぎる展開についていけずおろおろとするルクスさんに、もはやどうにでもなれとなすがままの俺。
「――なんでこうなった?」
その呟きは返答を待たずに掻き消えて。
そんな風にしてその日の一日が始まるのだった。
■
「私は謝らないからな」
「エクスお姉ちゃん! だめだよ、そんなこと言っちゃ」
単に会話をしていただけ、と双方納得はしてもらったものの、多少のわだかまりは残っているようで、エクスさんは未だに態度に棘がある。
ステラは軟体動物のように俺に絡み付きながら姉妹を威嚇している。
俺はされるがままになっていて、せっかく逃げ出してきた筈の家に早くも帰りたくなっていた。
が、こうしていても事態は進展しそうもないので、諦めて口を挟む。
「随分姉妹仲がいいんですね」
「当然だろう。私はルクスちゃんの子供を産むし、ルクスちゃんは私の子供を産むんだからな」
……なるほど。大分特殊な世界観で生きてらっしゃる方のようなので、これ以上は触れない方がいいだろう。
人生で何よりも大切なのは失うことを恐れない、ということで、財産や仕事のみならず人間関係においても効率的に損切りができるかどうかが、最終的に自分が大きな負債を背負うかどうかに関わってくる。
「そうでしたか。何やら誤解もあったようですが、では――「えっ、なにそれ気持ちわる」
穏やかな離脱と人間関係の清算を望んでいた俺に、ステラが致命的な言動を被せてきた。
「気持ち悪くなんてないだろうが! 愛し合ってる家族同士が子供を望んで何が悪いんだ!」
「実の姉妹では無理でしょうが!」
「何も無理なんてことはない――<ロンド・ドレイク>で勝ち続ければ全ての願いが叶うんだからな」
「かもしれない、ってだけでしょ。そんな話を信じてる竜なんて、今時いないわよ」
「だとしても、可能性はある。いずれは君の母親にだって勝ってみせるさ」
「ふん。その意気込みだけは買うけどね――」
おいおい、待て待て待て。
物凄く重要な情報を妙な流れの会話の中に混入するな。
「なあ、ステラ。<ロンド・ドレイク>で勝ち続けると願いが叶う、ってのはなんなんだ? そんなこと初めて聞いたんだが」
「御伽話みたいなものよ。私たち竜はレースに勝って自分の存在の位階を上げる。じゃあ、勝って、勝って、勝ち続けたその先には何があると思う?」
「……何が、あるんだ?」
「正解は、わからない、よ。世界の法則を書き換えられるほどの力を得る、なんて言われてるけど、どうだかね。少なくともお母様はそんな都合のいい力なんて持ってないし」
限定的にならできるかもしれないけどね、とステラは最後に付け加えた。
「だが、そうであるかもしれない、といった希望があるのもまた事実だ。だから――私はこれからそこを目指すし、勝ち続けると決めたんだ」
動機は不純というか理解したくはないが、エクスさんの決意の程は伝わってきた。
竜の普遍的な認識としては『勝ち続ければ願いが叶う』がさほど信じられていない感じがするが、しかし、俺がこの世界にやってきた背景を考えたとき、その話の信憑性を補強する材料になる。
俺は一度死んで、生まれ変わってこの世界にやってきた。
その際に『元の世界に戻れる可能性がある行き先がいい』と主張した。その願いがもし叶えられているとするならば、『何でも願いが叶う』というのが事実である、という解釈をするのもそう無理のある話ではないだろう。
……まあ、何より今のところ他にアテがあるわけでもないし、目的もないので俺自身としてはそう信じるしかないのだが。
いい話が聞けた、と俺は決意を新たにして、エクスさんに告げる。
「俺たちも負けませんよ。だって――「私たちは最高のパートナーなんだからね!」
またも被せてくるステラに、俺の一日ってこんな風にいいとこなく終わっていくのか、とだけ思った。
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