第5話 小近衛家の一族「癖」

「疲れた……」

 小近衛社長は、帰宅するや、独りごちた。彼は本日、関西一円の会社経営者の集いに参加したのだが、「グローバルな化粧品メーカー」の社長という扱いを受けたのである。「やないほう」たる小近衛樹彦たつひこだって、和食のチェーン店を二十店舗以上展開しているというのに。

「旦那様、お夜食をお申し付け通りにご用意致しました」

 そう言うベテランの家政婦に向かって、「純也じゅんやはどうしてる?」と、簡潔に樹彦は尋ねた。「お変わりございません」と、家政婦もまた言葉少なだ。


 樹彦の一人息子たる純也は、ここ数日、自分の部屋で、大型テレビを照明がわりにして生きている。まるで、誘蛾灯と共生するすべを覚えた夏の虫のようだ。


「おい、純也、帰ったで」

 樹彦は、ドアをノックしてから開け、声を掛けたが、返事はない。息子の猫背は、樹彦が出掛ける前と変わらず、テレビの真ん前に鎮座していた。

「またその特撮モン見てるんか。何回目や?」

「一一〇八回目」

 今度は、背中を向けたままながら、即答した純也である。

「そうか、下三桁だけでも煩悩を払うことができそうやな……いやいやそうやのうて……」

 樹彦は、頭を掻いた。

 除夜の鐘は、人間の煩悩を打ち払うべく、煩悩の数と同じ一〇八回鳴らされるのだなどと言われるが、今はそんな話をしたいわけではないのだ。


 純也は、鍵まで掛けて自室に閉じこもったりはしない。そもそも、継続的なひきこもりというわけでもない。幼いころから勉強が得意で、京都市内の難関大学に合格。その後の学業成績も悪くはないという、なかなかの逸材のはずなのだ。

 しかし、趣味の分野で何か気になることができると、寝食も勉学も忘れて熱中してしまうという一面も持ち合わせているのだった。


「父さん、小近衛家が妖狐の血を引いてるっちゅう話に、エビデンスはあるんか?」

「ないわ、そんなもん! おまえどうせ、『エビデンスがないならただのファンタジー』とかうて、鼻で笑うやろ?」

 珍しく純也のほうから話を振ってきたことに、樹彦は、驚き、照れて、いささかぶっきらぼうな物言いとなってしまった。

「ファンタジーでもかまへんから、妖狐の話を聞きたい」

 息子にそう頼まれると、樹彦も悪い気はしないのだった。


 純也、おまえも、安倍晴明あべのせいめいの名前くらい、知ってるやろ? 平安時代の陰陽師のスーパースターや。

 晴明の母親は、人間に化身した狐やったっちゅう話がある。うても、後世の創作らしいんやけどな。けど、平安時代の、京の都の陰陽師の中に、強力な子を得るために狐と契りたいと熱望した男がおったっちゅうんは、ほんまの話や。それが、小近衛家のご先祖や。

 晴明の母親は、狐やうても、お稲荷さんの神使しんしやったとされとる。けど、うちのご先祖の望みを叶えたんは、狐の妖怪、それも大妖怪の、九尾の白狐やったっちゅうわけや。

 九尾の狐は、人肉を喰らうんが大好きでな。なんでも、昔々、「焼肉の気分」やった時に、当時の中国の王様を誑かして、炮烙ほうらくっちゅう焼肉道具を作らせたほどや。

 炮烙っちゅうんはな、燃え盛る強火の上に、金属でこさえた丸太ん棒を、橋みたいに渡してあるねん。しかも、その丸太ん棒には、油がたっぷりたくられとる。

 罪人どもがな、「渡り切ったら無罪放免」や言われて、その橋を渡ろうとするねんけど、油塗れになって強火で焼かれてまうのがオチやねん。

 九尾の狐は、好みの焼き加減になるのを待って、罪人の肉を食い散らかしたというわけや。

 そないな妖怪の血を引くことになった小近衛家の陰陽師はな、やがて、九尾の狐自身の意向で、平清盛たいらのきよもりとその一門に仕えることになった。しかし、平家は、壇ノ浦にドボンしてオシマイや。小近衛家も、歴史に名を残すことなく散り散りになってもうた。

 ただただ、九尾の狐だけが、新鮮な屍肉をたらふく喰ろうて、ええ思いをしたっちゅうわけや。小近衛家の陰陽師も、結局は利用されただけなんやろなぁ……


「Kokoの本社は京都で、あそこの社長も小近衛姓やけど、うちの親戚?」

 純也の問いに、樹彦は、心臓を鷲掴みにされたような気分を味わった。


 同じような質問を、以前、会社経営者の集いでも浴びせられたことがある。

「せやなぁ、平安時代くらいまで遡ったら、親類縁者やったかもしれまへんね」

 質問を受けたのは樹彦だったのに、小近衛麗子社長は、やんごとなき笑みを浮かべてそう応じたのである。

 そして、彼女の言葉は真実を物語っていた。平安時代にただ一度、妖狐が先祖と交わったことで、小近衛家には、才能と災難がもたらされたのである。

 しかし、人外の血によってもたらされた才能も、世代を経るごとに弱まる一方で、現代を生きる樹彦なぞ、何一つ受け継がなかった……というわけでもない。

 樹彦は、占術の才を少しばかり持って生まれた。そしてそれを、ビジネスに活用してきたのだ。

 同じ会社経営者という立場で、麗子と初めて対面した際、彼女は、樹彦にそっと耳打ちしたのである。

「あんたはん、うちの血ぃのおかげで、随分と得してはるやろ? うちの正体かて察しとるようやけど、他言無用やで。無闇と贄を取り立てられとうないんやったらなぁ」

 囁き声であったが、凄まじい圧だった。類い稀なる美貌が、ただただ恐ろしかった。

 小近衛家の先祖は、強い子を得たい一心で、九尾の狐が望んだ時に望んだだけの贄を提供するなどと契約した。それは、末裔までも縛り付ける契約だったのだ。そして、彼女が何を所望するかは、だいたい相場が決まっている。


「平安時代くらいまで遡ったら、もしかしたら……」

 息子の問い掛けを、麗子の言い回しを真似てやり過ごそうとしたが、樹彦の声は、酷く掠れた。

「……なんや答えにくそうやな」

 純也は、顎に手を当てた。

「ほな、質問を変えるわ。九尾の狐と交雑したっちゅう話がほんまやったと仮定して、今になって、狐と人の中間的な姿をした個体が生まれる可能性って……あると思うか?」


 それなら生まれたで。うちの遠戚で、もはや小近衛姓でもない女から、それっぽいもんが! ほんでな、誰に後始末を頼んだと思う?……やなんて、言えるかーーいっ!

 樹彦は、さすがに知らぬ存ぜぬで押し通したのだった。


 翌日、純也の姿が、自宅から消えていた。

 休日であるため、ブランチを一緒にどうだと誘おうとした樹彦が気づいたのだ。

 家族や家政婦に何も告げないまま外出したらしい。

 樹彦は、息子の部屋の付けっ放しのテレビに、酷く恐ろしいものでも見るような目を向けた。

 純也が、何度も繰り返して視聴していたそれは—— 「京都でモテモテ、ドッキドキ!?」だったのである。

 そして、出演者として、小近衛六花が、協賛として、Kokoがクレジットされていたのである。

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