第3話 食べ歩いた女「業火に消ゆ」

「お母さん、あのお客さんは、どなた?」

 朝食が一段落したところで、六花は尋ねた。それは、食堂のメインテーブルを独占している、落武者風の亡霊のことである。

「ああ、今朝方、中庭に生えてはったねん。見てわかったんやけどな、昔、うちが食べたお人や。お名前までは思い出せへん……てゆうか、知らん。けどまあ、お食事でもと思うてな」

「そうなんや」

 六花は苦笑を含んだ。

 そんな娘を見て、麗子は、はたと何かに気づいたような顔をした。

「あ、六花ちゃん、ーゆうんは、討死にしてはったあの人のお肉を食べたーゆう、の食べたーやよってな」

 ああ、麗子の普通って難しい。

「どこで食べたん? 壇ノ浦?」

ちゃう。もっとずっと最近の話え。先の大戦でうなったお人やもん」

「ああ、応仁の乱かー……」

 応仁の乱のことを「先の大戦」と表現するのは、京都人あるあるである。一四六七年に勃発し、十年以上も継続して都を荒廃させた乱こそが、大戦と呼ぶに値するというわけだ。

 麗子は、人間に化身するだけではなく、京都人になりきっているのだった。

「六花ちゃん、抹茶アイスクリームも用意してあるらしいえ」

「食べる!」


「よもや、かようなまでに馳走していただけようとは……」

 頭をかち割られ、ボロボロの鎧を纏い、ところどころ透き通っている男は、しみじみと言った。

 彼は、母子の間に座って、三人でデザートの抹茶アイスクリームを味わっているのだった。

「ええのんよ。先にご馳走になったんは、うちのほうなんやから」

 麗子は、艶然と微笑んだ。

「ところで……もう成仏してしまいたい、いうお気持ちに、変わりはあらしまへんか?」

「いかにも」

 男は、しっかりと頷いた。

「拙者は、ただただ無念であった。無念の極みゆえに、魂魄がこの地に刻まれ、永く留まっておったのだろう。されど、もうよい」

「気が済まはったんですか? おいしいごはんを食べたから?」

 六花は、大きく涼しい双眸で、男を見上げた。

「それも大いにある。されど、それ以上に……暑い」

「はい!?」

「京の都は、今、業火に焼かれるがごとくに暑いであろう。拙者の無念も魂魄までも、焼き尽くされてしまったかのようじゃ。恨みを晴らしたいという願いも、もうどうでもよくなってしもうた。幸い、この館の内は涼しゅうござるがの」

 男は、女児へと、少しばかりはにかんだような笑顔を向けたのだった。

 亡者も猛暑に降参するんだ……

「なあ、六花ちゃん、このお人は、永いことこの世に居残りすぎたせいでな、成仏の仕方がわからんようになってしまわはったらしいねん。お願いできるか?」

「はい、わかりました、お母さん」

 少女は、了承して口調を改めた。

 六花は、陰陽師の末裔だ。そして、九尾の狐の血も引いており、それ相応の術を扱えるのだ。


 男は、アイスクリームの器を空にして、コトリと卓上に置くと、両手を合わせた。

「どうか、涼しい所で心穏やかに過ごせますように」

 六花は、素朴な祈りを口にして、そっと男の肩先に触れた。その肩先が光を放ったかと思うと、男の姿はみるみる掻き消えたのだった。


 麗子が、プフッと噴き出した。

 それは、つつがなく除霊に成功した六花にとって、少々意外であり心外でもあった。

「お母さん?」

可愛いらしーっ! 元々可愛いらしい六花ちゃんが、もっともっと可愛いらしいことになってるやん!」

 麗子は、感極まった様子で、六花をムギュムギュと抱き締めた。そして、鏡の前まで連れて行ったのである。


「みぎゃ〜〜〜っ!」

 六花は、とんでもない悲鳴をあげた。「耳が」と言おうとしたのが、そんな悲鳴に化けてしまったのだ。

 いつの間にやら、彼女の頭上には、ふさふさとした三角形の狐の耳が生えていた。そして、人間の耳は消えていたのだ。

「ほら、こっちも!」

 麗子は、六花のキュロットの後ろに触れた。

「しっぴゃ〜〜〜っ!」

 そこには、六つに枝分かれした妖狐の尻尾が生えていたのである。耳も尻尾も鮮やかな金色だった。

「ただ今の除霊、まことに結構なお点前どしたよって、六花ちゃんの力が一段と高まって、姿形が妖狐に近づいたんやろなあ。六花ちゃんの先祖返り、うちはとっても嬉しいねんで。ああ、赤ちゃんやったころの六花ちゃんを思い出すわぁ」

 自身は完璧に人間に化身している九尾の狐は、思い出に浸るように目を細めた。


 生まれたばかりで、「んー……あー……」などと言っていた六花は、ちょうどこんなふうに妖狐の耳と尻尾を生やしていただけではなく、全身を覆う金色の産毛も濃くて毛皮じみていたのである。

 妖狐の力は尻尾の数に比例する。最高位の九尾には劣るものの、六尾とは!

 麗子は喜んだ。自身の血を小近衛家の陰陽師に分け与えてやったのは平安時代のことだというのに、数多あまたの世代を隔てて、これほどまでに先祖返りした子孫に出会えるとは思ってもみなかったのだ。

 しかし、六花の実両親は違った。彼らは、小近衛家の末裔ではあるが、力らしい力を持たぬ、およそただの人間であり、我が子に恐れ慄いた。

「うちは今、猛烈に贄が欲しい。この子を贄として、うちに捧げるがええ」

 実の親たちは、その申し出に飛びついた。そして、化身して人間の社会に溶け込み、社長として裕福に暮らす麗子に、六花に関する一切を委ねたのだった。


「お母さん、私、このままやったら困るわ! 人間の女優さんになりたいのに!」

「せやな。けど、一時的なことやと思うえ。人間かて、思春期にホルモンのアンバランスで体調不良になったりするやん。その程度のことやて」

 いずれはホルモンのバランスがとれて体調も安定するように、姿形を自分の意思でコントロールできるようになる日が来るはずだと、麗子は説いたのである。

「それになぁ、見てみ?」

 麗子は、食堂の界隈で仕事に勤しむ使用人たちを指差した。

 今朝早くから大活躍だった料理人は、ほぼ完璧な人間の姿をしている。しかし、主人たちに笑い掛けると、鋭い犬歯が目立つのだ。

 後片付けの仕事を手伝うために、メイド服を纏った二人組も召喚されていた。どちらも三叉の尻尾を生やしていることまでお揃いで、妖狐としての力は六花を下回るということになる。しかし、彼女たちの一方は、狐の耳と尻尾を生やした、今の六花と似たような姿だが、もう一方は、人間というよりも、二足歩行の狐というべき姿をしているのだった。

 彼らは皆、麗子に従う狐たちであるが、その姿形はまちまちなのである。


「一時的……それに、みんなまちまち……」

 六花は、自分に言い聞かせた。実際、彼女は、赤ん坊だった当時を除けば、人間そのものの姿で過ごしてきたではないか……ついさっきまで。

 しかし、狭いその肩が、ピクンと跳ねたのである。

「なあ、お母さん……って……二〜三時間のこと?」

「いやぁ? さすがにそないに短いことは……六花ちゃんたら覚えてへんの? あんた、生まれてから三歳近くになるまでは、お耳と尻尾を生やしたままやったやん」

 二〜三時間どころか、まさかの二〜三年!?

 すると、六花は、ただでさえ大きな目を、零れ落ちてしまいそうなほど見開いたのである。

「私、明日は撮影なんよ! 今日かて、午後には、撮影所での打ち合わせに参加せなあかんやん!」

「あ」

 客人をもてなしたせいでついうっかり忘れていたそのスケジュールが、麗子の脳裏にもまざまざと蘇ったのである。

「お母さん……私、どないしたらええのん?」

「待ってや、六花ちゃん。今考えるよって……」

 光を失った双眸からはらはらと涙を流す愛娘を抱き締めながら、麗子は懸命に考えを巡らせたのだった。


 

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