狂者の天秤

裏蜜ラミ

愚者と善人

「ヒロインの命を救えば代わりに多くの民が死ぬ。多くの民の命を救えば代わりにヒロインが死ぬ」

 薄っぺらい笑みを、能面のように顔に貼り付けたその男は、実に楽しそうにそんなことを言った。

「こんなのありがち過ぎて今じゃもう珍しいよね。そもそもそんなに面白くないし。だって、どちらを選ぶのかなんて、誰にも分かり切ってるし」

 ニヤニヤと、非常に整っている顔を嫌な感じに歪ませて、男はやはり楽しそうに、続けて言った。

「天秤が釣り合ってないよね。じゃあ釣り合わせたらどうなるんだろう。ヒロインの命と、知らない人の命。一人分の命と命を、天秤に掛けるとしたら。でもそれって、どっちを選ぶのが賢いんだろうね」

 男は、悪魔は、笑った。僕の頭を掴んで。

「君は賢い人間かな? それとも愚者なのかな?」

 そう問い掛ける。問い詰める。確かめる。

 流れる涙で、僕は何も見えなくなっていた。


⚖ ⚖ ⚖


「君の命と、別の一人の命を天秤に掛けた。彼女は重い心臓病で、明日に死ぬ。でも、君がこのボタンを押せば、君が死ぬ代わりに彼女は生きられる」

 悪魔はそう言って、僕に一つのボタンを渡した。

 悪趣味にドクロマークの付いた、漫画とかアニメとかで見るような赤くて大きな押しボタンだった。

「つまり君は生贄なんだ。君が死ねば、彼女とその家族は大喜びするだろうな。君は死ぬけれどね」

 悪魔は丁寧に、どういう訳なのか教えてくれた。

「ちなみに、彼女の家族が彼女の心臓病を治すために注ぎ込んだお金は、全部で☓☓☓円だよ」

 悪魔は僕に囁いた。

 両親の年収で、数十年掛けて稼げる金額だった。

「さて、君はどうする──」

 カチリ。カチ。ガチガチガチガチガチガチガチ。

「ああああああああああああああああああ……!」

 僕は呻いた。叫んでいたかもしれない。

 意味はなかった。ないからこそだった。

「……うぅん。色々台詞考えてたんだけどなぁ」

 暫く黙って僕を見ていた悪魔が呟いた。

「どれだけ悩んで、どれだけ葛藤して、そして結局の結末はどうなるのかを見る遊びなのにさ……」

 悪魔はしゃがんで、僕の顔を窺う。

「あっあっああっあっあああはははああああ……」

「まさか、すぐに押すとは思わなかったなぁ……」

 指が、ボタンを押し続ける。反応はない。

「壊れていたんだね。君は、最初から」

「……まっ。っま、まっまままっま」

 どうにか、声を振り絞る。

「待っていたんです。どっ。どうしようもないグズの僕が。だっだっ。誰かのために死ねる瞬間を」

「……君みたいなのも、いるんだね」

 僕は床を見る。僕よりも人の役に立っていた。

「君はグズで、愚者なんだな。でも、善人だ」

「ぜぜ善人ぶることしか最早ででできませんから」

 悪魔がボタンを拾う。僕の指は床を叩く。

「いいよ。君は死んで。それで一人の命が助かる」

「あっははああっりりありがとうござざいまむむ」

「……狂人、か。救われないね、君は」

 悪魔は吐き捨てた。僕は聞いた。涙が溢れた。

「それじゃあ」

「あああああはい。さようなら」

 お別れを告げた。悪魔は消えた。僕は死んだ。

 一人の命が助かったのかは、知らない。

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狂者の天秤 裏蜜ラミ @kyukyu99

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