47

──ハルマが肩に乗せた刀をじっと眺めるナツモ。


冷静沈着な彼にすら一抹の羨望を植え付ける見事な一振り。


「──ど素人かと思ってたが、んな、立派な業物、“オーダーストック”に仕込んでたとはな」

ハルマに一瞥をくれ、オリジンに向き直る。


オリジンは遥か後ろに下がり、低い唸り声を上げている。


ナツモの姿など、もう見えてはいない──

その奥、ハルマを、いや、彼の持つ一振りの刀に釘付けになっていた。


冷たく覆い被さる恐れは重たく──、

警戒する。最大限の警戒が──叫ぶ。


「ジャァィィギャアァーーー!!!」

忍び寄る死の胎動を振り払うかのような絶叫。静寂がひしゃげる。


堰を切ったように魔物たちが暴れ出す。

「わ、おっと」


我に返ったようにムササビは魔物たちの攻撃を防ぎ、薙ぎ払う。


「サンザ、ケイ、大丈夫かっ?」

「問題ないね」

「こちらも問題ナシっす」

「よしっ」と、一言。


戸惑いも動揺もなく、三人のランダーは襲い来るビヨンドを撫で斬る。


「しっかし、まあ、あんな強力な魔力の放出、そうそうお目にかかることはないよな」


ビヨンドを薙ぎ払いながら、ムササビは薄い笑みを引き攣らせる。


「それに、トウ、気付いてる?」


ランダーたちが手首に巻いている“X―TREK”は何事もなかったかのように正常に作動している。


「ああ、“クエスト”が正常に戻ってる……きっと、今ので──」


「──“神龍寺”の結界符も魔導障壁もブッ飛んだみたいだね」


ハヤブサは嬉しさに頬を緩めつつ、魔物の大群を斬り伏せていく。


(……ハルマ君っ、君ってやつは……君ってやつはさあっ!)


「はっ、あんにゃろう、とんでもねえ切り札、隠してやがって」

不満げな顔とは裏腹にカナタの声は弾んでいる。


「──ほんと、なんつー、魔力放射だよ」

ハルマの持つ刀を横目にムササビはしみじみと言って、ビヨンドを斬り付けた。


(でも、分からないのは、あれほどの魔力を放出したのに、ハルマ君からも、あの刀からも、全くもって魔力を感じない……)


「一体、どうなってんだ?」


腑に落ちない顔つきでムササビはビヨンドを蹴散らしていく──


──警戒するオリジンを斬り付けたのは鬼包丁であった。


オリジンは切先を躱し、あからさまな苛立ちと嫌悪を乗せ、ナツモに輪刀を叩き付ける。


だが、その凶刃がナツモの脅威になることはもうない。


いかに得体の知れない魔物であろうとも、攻撃のパターンや癖は必ず存在する。


観客席へ、その時からずっと見ていた──


天才剣士は、オリジンの攻撃パターン、身体の動き、癖を見続けた。


剣士の慧眼けいがんは全てを見抜いている。

当たるはずがない。斬れるはずがない。


切先が触れることはおろか、かすることすらもうままならないであろう。


(輪刀、斜めに振り抜く、小さくフェイント、横一文字、身体を捻って、もう一撃──)


身体を最小限に反らせるナツモ。大きく空を切る輪刀の切先。


天才剣士の慧眼は、オリジンの全てを見切っている。


(──身体、少し右に傾く、体勢、立て直す、左に重心──隙が生まれる)


振り抜く刃はオリジンを斬り裂く。

怯まずに向かうオリジン。しかし、ナツモを捕らえられずに斬られていく。


剣士は退かない。剣士は迷わない。

剣士は恐れない。剣士は濁らない。

剣士は斬る。剣士は振る。唸る刃は鬼包丁。


──ナツモコウセイは止まらない。


一方、ハルマは刀を担いだまま、キメ顔を引きらせていた。


「あのー、ナツモさん……俺、まあまあさ、しっかりキメちゃったりなんかしちゃったりしてさ……でも、まだ、俺……キメポーズのまま、一歩も動いちゃいねーんだな、これが」


「…………」


無言のナツモ。

オリジンを攻め続ける。


「──あの、もしもし、ナツモさん? ナツモさんっ、ナツモさんってば!」


「うるせぇーぞ! ハルマッ!」

カナタが怒鳴った。


落ち込んだ声で一言。

「すんません……」


鬼包丁が牙を剥く。

オリジンの身体に刻まれる鬼包丁の爪痕。


ナツモに押しやられ、オリジンは結界の手前。

だが澱みなく続いた剣士の攻めは唐突に──

──カンッ


ナツモの手から滑り落ちた愛刀──いや、手離したに近い。

小刻みに震える右手。その顔には苦痛の色が滲んでいる。


限界はとうに過ぎていた。それがいつからなのか、知る由もない。


焼け付くような痛みはナツモの痩せ我慢を食い尽くし、とうとう彼の右腕を埋め尽くした。


「ぐぁっ」

あまりの激痛。暴れ狂う痛みはナツモの膝を折る。


「クソったれ……」

無慈悲に押し寄せる苦痛への悪足掻きのように、ナツモはオリジンを見上げ、静かに呟いた。


──オリジンは嗤う。

邪悪に歪む口元。


「コウセイッ!」

「ナツモ君っ」

ナツモ目掛け、振り下ろされる輪刀──


ガギィッンーッ!


分厚い金属音が鳴った。

それは、ナツモが最も見たくはない、頼りたくはないであろう男の後ろ姿。


吹き抜ける光風のように颯爽とヒコキハルマがいる。


──ギンッ!

ハルマは受けた輪刀を弾き上げる。

だが、オリジンはもう一度、輪刀を振り被る。


「しつこいぞ」


──ギッンッ

易々と輪刀を払うハルマ。


ナツモは眉を寄せる。その背に託すつもりなど毛頭にない。


今や右腕は脈打つ振動だけでも激痛が走る。

痛み意外の感覚はもう残っていない。


それがどうした──?

ナツモは左手で刀を拾う。


「おいっ、引っ込んでろ、こいつは俺がやるっつってんだろ!」

「──などと、言っておりますが、隊長殿?」


「ダメ、交代っ」と、ムササビ。


「ちょっと、おいっ、ムササビさん、俺はまだ──」

「──はい、交代」


ハルマはオリジンの輪刀を防ぎながら、ナツモをふわりと担いだ。

「てめぇ──!」


次にナツモが見たのは、オリジンが地面に輪刀を振り下ろす姿。

──気付けば、オリジンから離れた場所にいる。


(──ッ!?)


担いだナツモを下ろすハルマ。ナツモの険しい剣幕。

「余計なことしやがってっ、てめえ、なんのつもりだ、ああっ!?」


憤るナツモから、ぷいっと顔を逸らすハルマ。


「……のっ、ふざけてる場合じゃねーんだ!」

ハルマの胸ぐらを掴み、激しく揺するナツモ。


それでもハルマは虚ろな顔つきで黙りこくる。

そうして、ナツモの右腕にポンと触れる。


「……ィッ!」

苦痛に顔を歪め、ナツモの動きが止まる。


「ほらぁ、声も出せないぐらい、痛いんだろ」

「……るせぇ」


痛みに埋もれた声は自分でない誰かが言ったように思えた。


「無理すんなよ、なんちょ……ナツモさん」


「黙れ、素人同然のお前なんかに、任せれるわけねーだろがっ」

痛みを押し殺ろした、ざらついた声。


「……などと、申しておりますが、ハヤブサ先輩」

「ダメ、絶対っ」と、ハヤブサ。


「俺はまだやれますってばっ!」

ナツモは語気を荒げる。


「もっと自分のことを大切にしなっ、ナツモ君」

「……だ、そうだ、ナツモさん」


ハルマはオリジンに向かって歩き出す。

「おい、ちょっと待て」


「大丈夫だって」と、後ろに手を振るハルマ。

「おいっ──」


──身体は光の粒になって矢のように飛んで行く。

そんなイメージ。


ハルマは瞬く間に、ナツモの視界から──

──次の瞬間、ハルマはオリジンに刀を振り上げていた!


「ギャシャァーーッ」

斜めに斬り裂かれたオリジンの身体は呆気なく崩れ落ちる。


そして、ハルマはナツモを振り返って、したり顔でサムズアップ。


──だが、一層に険しい顔のナツモ。

「……おい、ちょっと来い」と、低く、尖った声。


斬り落ちたオリジンの身体を尻目に、ハルマは駆け足でナツモの元へ戻って行く。


「お前っ、ふざけんなよっ、斬るなっつってんだろうがっ!」

ハルマの胸元を小突くナツモ。


「あ、忘れてた。つい……」

思い出して、ハッとするハルマ。


「バカ野郎っ」

「なにやってんのよ」

「まあ、次は気をつけよう」

観客席から三人の声。


「奴には“コア”がねえーんだ、何回、ぶった斬っても意味ねえんだよっ、たわけ!」

ナツモは語気を荒げてハルマに詰め寄る。


「じゃあ、どうやって倒すのさ、“コア”ってどこにあんのさ、優しさって、愛って、なんなのさ!」


小さく舌打ちするナツモ。

仕方ねぇ、といった表情で結界を指差す。


、あいつの“コア”だよ」

「んだ、あんな、おおっぴろげにしてんのかよ、さっさと攻撃すればいいじゃん」


これだから素人は、といったナツモの顔つき。

小さな舌打ちが聞こえた。


「それができたら苦労しねえんだよ、ドアホ。攻撃しようにも、照明の光みたいなもんで、触れられないから、難儀してんだろうがっ。結界を瓦解させて、“コア”に戻して、叩かねえことには、あいつは倒せねーんだよ」


ナツモはチラリと観客席を見る。群がる大量のビヨンドと三人のランダーの姿。


(……魔導が使えるようになったからって、この状況で、ノービスの魔導隊員を呼ぶ訳にもいかねえよな)


「……だから、魔力を持ってるを結界にぶつけるか、あいつの攻撃を結界にぶつけて、瓦解させるしかねーんだよ。斬るは斬るでも、多少、傷つけんのは仕方ねえ、ただし、はナシだっ。いいなっ」


「なるほど、要は、あの結界をぶっ壊せばいいのか」と、どこか楽観的なハルマ。

話を聞き終わり、ナツモに背を向け、結界を眺める。


「あのなあ、てめえが思ってるほど、簡単じゃねえんだよ」

ナツモは眉を寄せ、イライラと言う。


「──全員、しゃがめ」

唐突に耳元で聞こえた、ハルマの指示。


「はっ」

「えっ」

「おっ」

観客席の三人は咄嗟に身を屈める。


ハルマはヒュンッと、ギュスターヴを横に振った。


「……あん?」

「……なんだ?」

「えっ……なんだったの?」


(……ん、……あれっ?)


ナツモはハルマの胸ぐらを鷲掴かむ。

「てめえ、マジでふざけんなよ」


冷たく、乾いた声で凄むナツモ。


「──おい、ハルマッ、こっちも忙しいんだっ、お前の冗談に付き合ってる暇なんてねえーんだよ、バカッ!」

カナタの苛ついた声。


「せめて、顔か腹かは選ばしてやる、どっちだ、どっち、ブン殴られたい?」

そう尋ねたナツモの目は据わっていた。


「ちょっと、待ちなさいって──」

ハルマは慌てて、ナツモの手を振り払う。


「こっちも、二、三箇月ぶりに刀握ったもんで、カンが鈍ってんだ。思い出すから、ちょっと待たれよ」

そう言って、ハルマはナツモにまた背を向ける。


「えーっと、ああ、そうそう、それで……確か、こんな感じだったよな……」と、こめかみに左指を添えて、何やら独り言をぶつぶつ……


「OK、多分、もう大丈夫っ」

ハルマはスッとした顔でナツモへ振り返った。


何がどう大丈夫なのか、ナツモには分からない。だが、ハルマを殴る準備だけはできている。


ハルマがまた何かをしでかしたら、きっと彼の顔面を目掛け、ナツモの渾身の左ストレートが飛ぶであろう。


そんなナツモの殺気など、何処吹く風。

身体を修復中のオリジンを眺めるハルマ。

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