30

──怒りに任せて二人を巻いたナツモ。


とにかく出鱈目にクラフト内を駆け抜けた彼はようやく立ち止まる。


あの二人──いや、「ヒコキハルマ」と名乗る男の姿はもう見えない。


ナツモはせいせいした気分で辺りを見渡した。

闇雲に走り回って、そこがどこだかは分からない。


相変わらずの無機質で無表情な白い空間にうんざりしてくる。


ゆっくりと歩き出すナツモ。

──彼自身は気付いていないが、その全力疾走が功を奏していた。


(──現れるビヨンドの数が少な過ぎる……闇雲に走ったせいで、最下層から遠ざかっちまったか?)


彼の杞憂をよそに“オリジン”のいる最下層はもうすぐそこであった。


辺りは一層に薄暗くなり始める。

ナツモの足がぴたりと止まる。


今までとは明らかに違う雰囲気の一画。

──通路の両端に並ぶ胸像。


馬、豚、狼、鳥、牛、獅子、魚、蛇、羊、熊、虎、鹿……

動物の頭に、人間ヒトの男女の裸体。

上向いた顔。苦悶とも愉悦とも取れる口元。滴る涙や涎。


しかし、そのどれもに目隠しがされていて、その瞳だけは見ることができない。


なんとも薄気味悪い彫刻だった。

ナツモの直感が言う。


「──奴はこの先だ」


薄気味悪い彫刻を尻目に一本道をぐいぐいと進んで行く。


立ち並んだ胸像の終わりに扉が一つ。

他の建造物とは一線を画す、精巧な浮彫細工レリーフが施された両開きの扉。


炎のような波のような渦の真ん中に円。

その中に彫られた両の眼。


その眼は怒っているようにも、憐れんでいるようにも見えた。


背後の胸像と目の前の扉、それらには、何かしらの意味があるのかもしれないし、ないのかもしれない。


ナツモは気にも留めない。どうでもいい。そんなことはいちいち考えない。


の心理など知ったことではない。


オリジンの身体を斬った感触が手に蘇る。

ナツモはその重厚な扉を押す。


──ゴオォォォッ

物々しい音が響いた。

躊躇わず、その先を進んで行く。


射し込む光に目を細める。

ナツモは思わず、細めた目を見開いた。


──現れたのは闘技場。


無機質で無表情な建造物とは違う。

真っ白い空間ということ以外、今までのどの空間よりもしっかりと造り込まれている。


──巨大な円形闘技場。


闘技場を囲む観客席の頂上。ナツモは今そこに立っている。


先程、ナツモが一戦を交えた時とは大きく様変わりしたクラフトの最下層。


観客も闘技者も誰もいない、しんとした巨大な空間。


眼下に見える円形の広大な闘技場の中心あたりで蠢く何かが一つ。


蟻のように小さくとも分かる。

──


ナツモの右腕が暴れるように疼く。

白い階段を下っていく。


白い地面の上にある白の輪郭がはっきりと浮かび上がる。


そこには一体のビヨンドだけがいる。


「……どうやら、一番乗りみたいだな」

ぐっと刀を握る。いつ抜いたのかはナツモ自身も覚えてない。


は四つん這いの姿勢で忙しなく首を上下に動かしている。


──あの不愉快極まりない、首をくねらせる仕草が脳裏に浮かぶ。


製作を途中で投げ出してしまったような適当な作りの目も耳もない顔。


そこには真一文字に走る切り込みのような口だけが付いている。


大理石の彫刻作品のような身体。

赤白い舌をだらりと垂らし、金属を擦り合わせたような耳障りな声。


この無機質で無表情なクラフトの創造主。


“オリジン”


──スタンッ

ナツモは観客席から飛び降りた。


何もない広大な白の空間。

実際に闘技場に立つと、その広さを改めて感じる。


後ろの物音にも気が付かず、ビヨンドは四つん這いのまま、まだ首を動かしている。


近付いてみて、何をしているのかようやく分かった。


──喰らっていたのだ。


自らが殺した魔物を喰らっている。

飢えた野獣のようにビヨンドの肉を、臓物を、懸命に喰らっている。


魚類のような歯の隙間から、口元から、こぼれ落ちる灰塵。


「んなもん食い漁ったところで、腹も魔力も満たされねぇよ──」


ナツモは大地を蹴り上げ、オリジンに直進する。


オリジンは半身を起こし、首だけをぐるりと反転させて、ナツモを見る。邪悪に嗤う口元からこぼれる灰塵。


オリジンはそのまま垂直に跳び上がった。

それでも、ナツモの突進は止まらない。


一直線から一直線。直角に飛翔す。振り上げる鬼包丁。


ガキッン!

オリジンの身体から飛び出すように現れた輪刀によって、ナツモの一撃は防がれた。


「ほんとっに、うぜえな、お前はっ」と、オリジンの身体を蹴り、さらに天を昇る。


オリジンは落下しながら輪刀を身体から引き抜き、頭から腰までぱっくりと割れた身体は元通りにぴたりとひっつく。


「ジャァァアーッ」

着地したオリジンは歓喜にも似た不快な叫びを上げ、歪んだ口元でナツモを見上げる。


ナツモはオリジンを見下ろし、刀を振り被る。


ガキィィーーンッ!!

分厚い金属音と火花を散らして、両者の刃が激しくぶつかった。


その衝撃でナツモは後ろへ下がる。尽かさず距離を詰めるオリジン。

輪刀を横薙ぎに叩きつける。


ギィーーーンッ!!

ぶつかる二つの刃。


「そう上手くいくとは思ってねーよ」

鍔迫り合いの最中、ナツモはほくそ笑む。

輪刀を押し返す。


後退したオリジンは首をくねらせ、吼える。

「ギャシャーッ」

「はっ、元気そうでなによりだぜ」


ナツモは微笑を浮かべて、刀を構える。

ナツモの顔からスッと感情が抜け落ち、殺意だけが残った。


「ギャァ゛ーーアァ゛」

再び、相見えたランダーとオリジン。

剥き出しの殺気が互いを突き刺す。


それは熾烈を極める死戦の予兆──

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