28
──クラフトの塊はその勢いとは裏腹に驚くほど静かに構造物の一端にぶつかると、結合し、また無機質で無表情な建造物に戻っていた。
ナツモは腰元のポーチから小さな瓶を取り出す。
50mlの回復剤だ。
それを一気に飲み干し、白く無機質な壁に荒っぽく投げ捨てた。
粉々に割れた瓶の破片を眺めても、彼の気持ちは治らない。
腹部の痛みは消え、苛立ちだけが胸に巣食う。
「クソッ!」
壁を殴る。手に伝わる痛みなど、なんの慰めにもならない。
怒りは右腕の疼きを助長させる。
──あの時、刀を振り抜いていれば。
──あの時、奴の攻撃を躱していれば。
──あの時、痛みに気を取られなければ。
──あの時、もっと早く奴の元へいければ。
──あの時、もっと強く踏み込んでいれば。
──あの時……、あの時っ……
押し寄せる後悔。
たらればの話などなんの意味もない。
そんなことは、彼が一番知っている。
これは任務。
これは責務。
これは正義。
これは護るべきものたちへの誓約。
引き金は「信念」、弾丸は「ランダー」
放たれた弾丸は、魔物を討ち滅ぼすことなく、その首筋を
ナツモは仕損じたのだ。
ただ一人の激闘を制すことができなかった。
ただ一人の後悔を、屈辱を、重責を浴びる。
それを「孤独」というには、まだ早すぎる。
なぜなら、戦いはまだ途中だ。
骨を砕かれようが、血と臓物を撒き散らそうが、腕の一本、指の一本が動く限り立ち向かう。
それでも、敗北を喫したとき、彼は死の間際で本当の「孤独」を経験するのだろう。
だから、彼の心は真冬の水底のように静かに佇んだ。
(──次こそは仕留める)
俯いた顔を上げながら呟く。
「何を犠牲にしても」
目の先に二足歩行型のビヨンドの姿。
アラームは鳴らない。それでも直感が教える。
──相手は強敵だと。
体長は二メートルはあるであろう二足歩行のバッファロー。
牛の頭、巨大な角、四つの眼、頑強な岩のような体躯、指先から生える四本の鋭い鉤爪を持つ、まさしく怪物と呼ぶに相応しき風貌。
低い唸り声を上げ、ナツモを威嚇している。
抜いた刀は鬼包丁。
主人の殺意を映すように鈍色に光る。
──ミトミは無事に
彼が、腕利きの隊員を呼び、本部に連絡すれば少しは状況がマシになるはずだ。
(それでも、奴だけは俺がこの手で仕留める)と、白刃の肌に映る決意の眼差し。
斬り倒した二足歩行型のビヨンドを尻目に、刀を一振り、鞘へ納めた。
たった一人、最下層を目指して歩き出す。
──恐らく、それほど遠くへは飛ばされていないだろうと、ナツモは思う。
きっと、ここは最下層付近であることは間違いはない、と考える。
根拠はないが、飛ばされていた時間はそれほど長くはなかったし、それに加え、やたらとビヨンドとの遭遇が増えてきたからだ。
それは、その一帯には──上層階や中層階よりも──ビヨンドの欲する高純度の魔障が充実しているということであり、下層階に行くに従い、ビヨンドの狂暴さと、その数は右肩上がりに増えていく。
クラフトのその特徴はどのような場合と場所に置いても同じなのである。
──道中、もう何体の狂暴なビヨンドを斬ったのか……。
魑魅魍魎。猛るビヨンドが襲いかかる。
死屍累々。勇む刃は疾風の如し。
斬り裂く度に道が拓かれていくような気がする。
斬り捨てたビヨンドの亡骸を跨いで歩く。
もういくつの時が回ったのか。仲間たちは皆、無事であろうか。
緊急招集で集められた隊員は十二人。
「ムササビ」「ハヤブサ」「カナタ」……あとの顔ぶれは知らなかった。
きっと、寄せ集められたノービス隊員達だ。
そのいかにも新米らしい緊張と不安の入り混じった顔や姿。
今は斬り伏せたビヨンドの骸に埋まって、朧げにしか思い出せない──
──ドンッ
曲がり角で、男とぶつかる。
目つきの悪い黒髪の見知った顔。
「──おぉ、コウセイじゃねーかっ」
カナタの顔は驚きと喜び。
「んだよ、お前、やっぱ、くたばってなかったのかっ」
嬉しそうにナツモの肩を強めにバシバシ、叩く。
ナツモはその手を煩わしそうに払った。
「痛えよ──。サンザ、お前こそ、無事みたいだな」と、僅かに彼の表情が綻んだ。
「ったりめぇーだろっ」と、カナタは自分の胸を拳で得意げに叩いた。
ナツモは呆れたように小さく安堵の吐息を漏らす。
「他の隊員たちは?」
「分からねえ。最初の成形後は“ハヤブサさん”と何人かの魔導隊員たちと行動を共にしてたんだけどよ、さっきの成形ではぐれちまったよ」
「そうか」と、ナツモは顔を曇らせる。
「今は、どこでどうしてんのか、さっぱりだ」
ナツモは小さく頷く。
「……そんで、お前に会うまでに出会ったのは、ノービスの新米魔道士だけ。あー、あと、こいつ──」
──と、ナツモはカナタが指差した、隣の男を見る。
見慣れない男だ。
灰色の髪、グレーの瞳、両の目尻の下に伸びる切傷のような痕。
この場には明らかにそぐわない服装の男。
「──そいつは?」
怪訝な顔を隠しもせずにナツモはカナタに尋ねた。
「ああ、こいつか、こいつは……って、なんで、お前、モジモジしてんだよっ!」
「友達が自分の知らないの知り合いと親しげに喋ってんの見てたら、なんかちょっと、人見知りが……」
「──なんでだよっ」
二人のやり取りにも、ナツモのムスッとした冷めた顔は崩れない。
「こいつはな、ハヤブサさんが呼んできた助っ人ランダーだ」
親指でハルマを差しながら、カナタは言い切った。
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