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──アスキの話では、明日のレース用に用意した車のメンテナンスと調整はもう終わっているとのこと。


アスキ自身、何度も試し乗りして、整備にも携わり、足回りも入念に確かめたので誰かが何かを細工する余地はなく、もし何かを仕掛けるなら、今日の夜、店が閉まってからだろうとのこと。


店には今、社長と従業員が数名。

明日、クライアントに納車する車の最終整備をしている。


竹を割った性格の社長がそのような行為をするとは考えにくい。


それにもし、従業員が何かおかしな行動をすれば社長が気がつくだろうと、アスキは言う。


──二人はアスキの仕事先である整備工場に着いた。


「RANGEMAN GARAGE」の看板。


何台もの修理やカスタム待ちの車やバイク。

「第二整備所」と書かれた整備工場の明かりが夜に漏れている。


その中ではまだ何人かの従業員達が車の修理のため働いていた。


大柄のスキンヘッドの男が一人、入口で腕を組み、壁に寄りかかり、その様子を眺めている。

「社長、お疲れ様です」と、アスキ。


筋骨隆々。彫りの深い強面。鷲鼻の下の端正な口髭。


RANGEMAN GARAGEの社長兼オーナーの段地洋平ダンジヨウヘイはつぶらな目を細める。


「──なんだ、ユウマ、何しに戻ってきやがった?」

しゃがれた声でアスキを睨む。


「そっちのガキは? どっかで見た顔だな」

「覚えてないですか? ほら、うちでストームライダーのレストアをやった──」


「──ああ、あんときの小僧か。で、お前とその小僧が何してる?」


「さっきのカフェで偶然に再会しましてね、話し込んでるうちに、こいつがうちの店を見学したいって言ってきたんで、ちょっと立ち寄ったんですよ」

アスキは後ろのハルマを親指で指した。


社長はフンッと鼻を鳴らす。

「安請け合いで、客でも得意先でもねえ、部外者を連れてくんじゃねーよ、大バカヤロウ。しかも、こんな夜分に。何考えてやがんだっ」


社長は腕組みをしたまま、そっぽを向いた。


「いや、ちょっとぐらいならいいじゃないですか」と、アスキが宥める。


「ユウマ、おめえだって、いつまでもほっつき歩いてねえで、その小僧連れてさっさと帰っちまえ──復帰レースの前日だってこと分かってんのか、バカヤロウ」


「──だからじゃないですか、社長。俺はここが一番、落ち着くんすよ」

アスキはさも当然かのように言った。


「家に一人でいるよりはここにいた方が、張り詰めた気持ちもいくらかマシになるんでね」


社長はムスッとした表情のままだが、アスキの心情にある程度の理解を示しているようだ。


「それに、今回の復帰戦に備えて、俺のために社長がツテを頼って取り寄せた、あの例の名車をこいつに自慢もしてやりたいんでね。車やバイクのこと喋ってると余計なこと、考えずにすみますから……」

「──勝手にしやがれ」


社長は二人にそっぽを向いたまま、一言、素っ気なく言った。

そのまま、整備をしている従業員達の方へ歩いていく。


「おい、野郎どもっ、ちんたらやってたら夜が明けちまうぞっ!」


「──恐いだろ、うちの社長」と、アスキは笑う。

「でも、口は悪いんだけど、根は優しいんだ」


慣れた手つきで壁に付いた電子ロックの八桁の暗証番号を押していく。


間抜けた電子音が聞こえ、閉じたガレージのシャッターがガチャリと鳴る。


続けて、緑の丸いボタンを押すと、ガシャガシャ、音を立てながらゆっくりとシャッターが上がっていき、染み付いたオイルの臭いが夜気に溶けて鼻腔をついた。


アスキは壁際のスイッチを押す。

真っ白な照明に照らされて純黒のスポーツカーが姿を現した。


「──すげえだろ?」

アスキは得意げにハルマを見た。


ハルマには、目の前の黒い車の何がどうすごいのか、なにが優れているのか、よくは分からない。


「そうっすね……」

「ハハハッ、驚きすぎて、声もでねえかっ」アスキはハルマの腰を叩いた。


「ダービンハイツVZロード4、“エスカリオ”──」


愛息子を撫でるように優しく、手を乗せる。

「──こいつが明日の俺の相棒だ」


ハルマは取り敢えず、頷いた。

そこから暫くは、アスキによる熱烈な蘊蓄話が続いた。


ボンネットを開け、やれ、V6エンジンがどうだとか、初速がどうだとか、排気量がどうだとか、フォルムやシャーシ、サスペンションがどうだとか、開発者の何某がどうの、設計者がどうのこうの、数々の記録を打ち立てたとか、職人による手作りで生産台数がどうだとか、同じ国の言葉のはずが、聞き慣れない呪文のようにハルマには聞こえていた。


「──と、まあ、そういうわけだ」と、アスキは満足げに話し終えてハルマを見る。


「…………」

「…………」


壁や地面に染み付いたオイルの臭いが夜気に溶けて鼻腔をつく──


「……ま、まあ、お前には少し難し過ぎたか」と、苦笑い。


「とにかく、こいつの見張りを頼むよ」

「分かりました」と、一言。


「──お披露目が済んだなら、さっさと帰りやがれ」

仕事終わりの葉巻を咥えて、社長が顔を覗かせる。


「え、ええ、そうします。あともう少ししたら帰りますよ」

「たくっ、お前ら、いい加減にしとけよ」

ぶわりと煙を吐き出し、灰を落とす。


「俺は先に帰るから、戸締まり忘れんじゃねーぞ、ユウマ」と、社長は背を向けて歩いていく。


アスキはその背を見送り、ほっと胸を撫で下ろした。


「──じゃあ、俺もそろそろ行くからよ……てか、お前、あんだけ食っといて、眠くなんねーのか?」


「全然、問題ないっす」

ハルマはあっけらかんと答えた。


その返事に些か、不安を感じたものの──

「──もし、不審者がやってきたら、そこの子機から、まずは俺に、次に社長に連絡してくれ。とっ捕まえれそうなら、とっ捕まえてくれりゃあ、何よりだけどよ、無理はしなくていいからな。相手が武器持ってたり、複数人なら、逃げてくれてかまわないからな。連絡さえ寄越してくれれば、十分もあれば家から駆けつけられんだからよ」


「大丈夫っすよ、勝てるんで」と、ハルマは親指を立てた。


「ほんとかよ。お前がそうやって言い切るたびに、俺、なんかすげえ不安になんだよな」

アスキはバツの悪そうに頭を掻く。


「そ、それじゃあ、朝の六時前には、店来るからよ、それまでよろしく頼むよ。シャッターは閉めて行くから、トイレ行きたくなったら、その奥のドア、ラウンジに繋がってるから、ラウンジのを使ってくれ。あと、なんか飲みたくなったら、自販機もあるからよ。フォートの充電器もラウンジのカウンターの引き出しにあるし、充電はその辺のコンセント、適当に使ってくれ」


「分かりました。あっ……タブレットかノートパソコンありますか?」


「ああ、それなら、店のやつがあるから取ってくるよ──」

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