13

ハルマが約束のカフェに着いたのは十九時過ぎだった。


結局、ルカの廃品回収の仕事を二件、三件と付き合い、彼のモチベーションは最早、ごま粒よりも小さかった。


話を聞くだけ聞いて、断って、さっさと帰宅する腹積りでカフェの扉を開ける。


──と、奥の席から男が手を挙げた。


はっきりくっきりとした切れ長の目と鼻筋。薄い唇。

肩まで伸びた黒髪の毛先には緩いウェーブがかかる。

明梳勇馬アスキユウマだ。


「早いっすね、アスキさん」

「今さっきまで社長と仕事の打ち合わせをここでしてたんだ」


アスキはそう言って、開いていたノートパソコンを閉じて、自分の横に置いた。


「お前こそ、随分と早いじゃん。約束の時間までまだ全然、時間あるのによ」

「……思い立ったが吉日ってやつです」


「なんだか、よく分かんねーけど、まあ、座りなよ」

ハルマは言われるがまま、アスキの向かいに腰をおろす。


「家はどこだっけ?」

「キョウセイです」


「遠い所、わざわざ、悪かったな」と、一言、アスキはハルマにメニューを渡す。


「なんでも好きなもの頼みな」

パラパラとメニューを眺めるハルマ。


カフェらしいドリンクとフードメニューが記された四ページ。


この手の店に入れば、食べたくても、食べたくなくても、いつも真っ先にナポリタンがメニューにあるかを確認するハルマの目に「クロエ特性フルーツサンド」と記された、厚く塗られた生クリームと色とりどりのフルーツをふんだんに使ったフルーツサンドの写真が飛び込んできた。


(イチゴ、キウイ、マンゴー、みかん、バナナ、パイナップル……奴さん、どストライクじゃねえか!)


しかし、ハルマはこのフルーツサンドを十分に味わって食べれるほど腹は空いていない。


「決まったか?」と、ハルマの返事を待たず、アスキは店員を呼ぶ。


「俺はコーヒーのお代わり……と」

「──アイスティーで」


未練を断ち切るかのようにハルマはメニューをパタンと閉じた。


──沈黙が二人を囲う。


話すことがなければないで、それはそれで構わない。

ハルマは特に沈黙が気不味いとは思わない質だ。

しかし、相手がハルマと同じとは限らない──


「──“ストームライダー”の調子はどうだ?」

アスキが尋ねた。


「……まあ、普通……普通に走れてますよね」

あっさりとしたハルマの返答。


「苦労してレストアしたんだから大切に乗ってくれよ」と、アスキは苦笑い。


「その節はお世話になりました」と、ハルマは会釈。


「おかげさまで、一度の故障もなく乗れてます」

「あれは相当、苦労したからなあ──」と、アスキは笑いながら頷いた。


──ある筋から廃車同然の「ストームライダー」という名の150ccのネイキッドバイクを格安で譲り受けたハルマ。本当に走るのかも怪しい、見るも無残な風貌だった廃車同然のバイク。暫くは、ガレージの肥やしになっていたのを見かねたルカが紹介したのがアスキの働く修理工場であった。


二人はその頃からの顔見知りだった。


間を取り繕うように、アイスティーとコーヒーがテーブルに並べられる。

ハルマは紅茶を一口。茶葉はアールグレイだ。


「──で、頼みってのは?」


アスキの顔が僅かに強張る。


「俺がストリートレースやってるのは知ってるよな?」

「あの……ムラハの山間でやってるやつですよね、何度か、ルカに連れられて見に行ったことあるります」


アスキは頷く。


「うちもあのレースにはちょくちょく参加してるし……まあ、それ以外にも色々とやってんだ。だいたいが非公式のストリートレースだけどな、けっこうつえーんだぞ、うちの店っ」


「ルカからよく話は聞いてるっす、負けなしだって──」


アスキは謙遜気味に笑う。


「負けなしってことはねーけどよ……まあ、負けることは少ないな」

と、アスキはほんの少し身を乗り出す。


「ただ、ここ一番って勝負には負けたことはねーんだ」

自信に満ちた表情に映る矜持。


「そんでもって、俺はそこのエースドライバーってやつ。……こう見えて、けっこうやるんだぜ」と、アスキは冗談めかして言う。


「──でもよ……一年前、洒落になんねーぐらいの大事故起こしてな……」

と、コーヒーを一口。


「その話もルカから聞きました。めちゃくちゃにやばい事故だったって」

「ほんとにな」と、懐かしむようなアスキ。


「お前が今言ったムラハのカーレスだよ。その時にカーブを曲がりそこなって、崖下に真っ逆さま。自慢の愛車はペシャンコで大炎上。俺は五日間も意識不明で、その間、二回も心配停止になっちまったんだってよ。内臓破裂に腰椎、頸椎、両足に右腕、肋骨……とまあ、全身複雑骨折に火傷。身体中ぐちゃぐちゃになっちゃって、頭の腫れも引かなくてな……」


アスキはどこか他人事のように当時を振り返り、身に降りかかった不運を笑い飛ばす。


「そりゃあ、大変でしたね」


「気がついたときには病院のベッドの上でよ、全身包帯ぐるぐる巻き。テレビでしか見たことないようなチューブやら機械やらが身体に繋がっててな、マジで、目しか動かせねの。喋れないし、動けねえーし、最悪だったよ。今でも腰にはボルトが入ってんだよ」


「でもまあ、命があっただけよかったじゃないっすか」

「ああ、医者にも仲間にも、おふくろや彼女、みんなに散々言われたよ、死んでもおかしくなかった事故だった、命が助かっただけでもラッキーだったってな」


アスキはコーヒーカップを見つめて言った。

「……そっから半年の入院生活。その間に三回、手術して、動けるようになってからは辛いリハビリの繰り返しで、ようやくまともに日常生活を送れるようになったのは、ここ最近なんだぜ」


「それはそれは、お疲れ様でした」

ハルマは頭を下げた。アスキはほくそ笑む。


「──でもよ、そんな大事故やらかしちまったのに、性懲りも無くまたレースに出ようってんだから俺は本物の大馬鹿ヤロウだよ」と、自嘲する。


「え、そうなんすか?」

アスキは頷いた。


「そのために、辛いリハビリにも耐えて、頑張ってこられたんだ。でも、周りはみーんな、大反対っ」


「そりゃあ、まあそうですよね。命からがら助かったのに」


「あの社長ですら、初めは首を縦に降らなかったんだからな」


アスキは髪をかき上げる。

「でもよ、散々な事故だったけど、目だけは無事だったし、俺自身まだやれるって確信があったんだ。……それに事故に日和って引退なんて、だせぇだろ」と、アスキは肩をすくめた。


「なあ、ハルマ、お前はどう思う?」

「やりたいなら、やればいいんじゃないっすかね」

アスキの顔がパッと晴れる。


「だよな、やっぱりそうだよなっ。お前ならそう言ってくれると思ったよ!」と、興奮気味の口振り。


「また、おふくろや彼女には心配かけて申し訳ないんだけどよ、これは俺が自分で決めたことだからさ──でも、最初は、社長を説得すんのも大変でな。ツレに無理やり頼み込んで、車用意してもらってよ、ドラテクだのレース勘だの取り戻すために、夜な夜なコソ練して、こないだ、知り合いがやってるストリートレースに内緒で出場してよ、そのレースのコースレコード塗り替えてやったんだ。で、ようやく社長も俺の復帰を認めてくれて……」


復帰までのいきさつを揚々と話すアスキ。

「──で、俺に頼みってなんです?」


アスキは顔をフッと逸らし、コーヒーを一口。


──ふと、パンツの左ポケットに違和感を感じたハルマ。 


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