12

「──たく、無茶苦茶だな」と、ハルマはフォートの画面に恨み節。


ソファーに置いたフォートが忙しなく震え始める。


《ちゃんといけよ》

《絶対にいけよ》

《必ず行けよ》

《分かってんだろうな》

《すっぽかしたら》

《承知しねーぞ!》

《マジで》

《分かってんだろうな》

《おい!》

《分かってんのか?》

《ガキの使いじゃねえんだぞ》

《おいっ!》

《聞いてんのか!》

《いけよ》

《絶対!》


間髪入れずに届くメッセージ。


「ああーっ! うるせぇ、うるせえなっ! わかったよ、いきゃあーいいんだろ、いきゃあーよ!」


ハルマは慌ただしく親指を動かし、ルカに《了解》とだけ返信した。


その後もしばらくフォートの震えは治らなかったが、数分後にようやく静かになった。


──十七時七分。待ち合わせの時間まではまだまだ余裕がある。


しかし、このままソファーに居座り続ければ、絶対に億劫が勝って、外に出ることはできないであろうことを、彼はこれまでの彼の経験から容易に想像できた。


(──思い立ったが吉日じゃい!)

意を決する。


ハルマはテレビを消して、嫌々ながら、床に脱ぎ捨てたパンツを履く。ベルトを締めると、寝巻きを脱ぎ捨て、グレーのタンクトップの上にネイビーのヘンリーネックの長袖。今年のバレンタインに姉から貰った、メリノウールのソックスを履き、ソファーのヘリに掛けたジャケットの裾を掴む。


──と、その拍子に、逆さ向けに持ち上げたジャケットの胸ポケットからこぼれた何かがソファーの上で一回跳ねて、床に転がった。


バンッ!

なんだ、と、それを拾い上げる。


見覚えのあるような、ないような、黒く四角いフォルム。


拾い上げたそれを訝しげに睨み、しばらく逡巡して、ハルマはようやっと思い出した。


「これ、あの時の……」

電車の向かいで眠っていた男が二度、三度と落とした、あの電子機器に間違いなかった。


「でも、待てよ、なんで俺が……?」

ハルマは首を傾げる。


「確か……あのとき……」

最後に拾い上げたときは、確かに男のジャケットの胸ポケットに入れたはず。


「ちゃんと返したよなあ……?」

確かに胸ポケットに入れたはず──


しかし、あの時、ハルマの意識は酔いと眠気でぼんやりしていた。そうしたはずなのに、その事実が確かかと言われれば、怪しかった。


何度、思い出してみても、もやがかった不確かで不明瞭な記憶。思い返すたびに自信は遠のく。


現に今その──何かは分からない──黒い電子機器はハルマの手元にあるのだから。


何も映っていない黒い画面に映る自分の顔。

機器を見渡すが、電源のボタンなどはなさそうだ。


押せそうな凹凸はどこにもない。

画面を指先で叩いてみるが反応はない。

「なんだ、バッテリー切れか?」


機器を振ってみたり呼びかけてみるがやはり反応はない。

「まいったな」


何に使う物か、まるで検討は付かないが、あの男にとっては大事な物かもしれない。


「パクるつもりはなかったんだけどな」と、ポンっと上げた黒い機器を宙で掴んだ。


(道すがら、駅に届けに行くか)

パンツのポケットにそれを押し込み、ジャケットを羽織ると、ハルマは家を出た。


──家を出てすぐに、後ろで鳴ったクラクションに振り返る。


水色のピックアップトラックがハルマの横で止まる。


開いた窓から流れる陽気なファンクのリズムにジャスミンとライムの匂い。

ルカだ。


「おい、ハルマ、どこ行く気だ」

「お前はあれか、いちいち、俺の監視でもしてんのか?」

呆れたようにハルマが言う。


「ドアホ、こっちもそんなに暇じゃねーよ」

「お前がしつこくうるせえから、今からナリトまで行くんだろうが」


「まだ五時半過ぎだってのに、殊勝なこった」と、ルカは笑う。

「ちょうどええわ。お前、ナリトまで乗せてけ」

ルカの了承もなしに、ハルマはドアを開けて、そそくさと乗り込んだ。


「おい、何を勝手な、こっちはナリトと逆方向に行くんだよ」

「じゃあ、先に送ってくれよ」


「何い言ってんだ、アホ」

「元はと言えば、てめえが巻き込んだ件じゃねえかよ、少しは協力しろよなっ」


「たくっ、無職のくせして、図々しんだからよ。じゃあ、先にこっちの用事済ますから、お前も手伝えよ」

「嫌に決まってんだろ」


「ドアホ! ナリトまでの運賃だと思って我慢しろっ──」


水色のピックアップトラックは走り出す。

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