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「お客さん、お客さん、終点ですよ」と、車掌がハルマの肩を緩く揺すっていた。


ハルマはハッと目を見開き、周りを見回す。がらんどうの車内。


駅員はハルマが目覚めたのを確認すると、軽く会釈し、去っていった。


外には車両点検が終わるのを待つ乗客のまばらな列。

ハルマは慌てて、席を立ち、電車のドアに向かう。と、ドアの前で振り返った。


自分が座っていたのは、あの二人掛けの座席のはずだ。

それなのに、目が覚めたときは向かいのロングシートの端に座っていた。


あの席は……確か、死んだように眠っていたあの男が座っていたはず……。


「車内清掃しますので、早く降りてください!」


駅員の掛け声に促されたハルマが電車を降りると同時にドアが閉まる。


もう一度、振り返る。

車内のゴミを清掃員が慌ただしく足早に探している。

いつの間に席を移動したのか、まるで思い出せない。


誰かに席を譲ったのか、それとも寝惚けていたのか……。

駅員のアナウンスと共に向かいのドアが開いて、空っぽの車内を乗客が埋めていく。


乗客が乗り込んだことを確認すると電車は朝日を追いかけるよう走り出す。


ハルマは大きな欠伸を一つ。

「まあ、んなこともあるだろう」と、一人、呟いた。


酒の抜けない頭はまだうつろ。

改札に入れた切符は金額が足りず、甲高い機械音と共にフラップドアが閉じた。


「──おや、おはるちゃん、今日はえらく早いね」と、立ち食い蕎麦屋の女将さん。


「今から出勤かい?」

「今、帰りだよ」


カウンターテーブルの前に置かれた山積みのコップの一つを手に取り、ハルマは欠伸混じりに答えた。


「なんだ、飲んだくれかい」と、呆れ顔。

「朝帰りなんざ、道楽もんだね」


そう言って、山積みのコップの横のピッチャーを手に、ハルマのコップに水を注いでやる。


「注文は?」

「冷やしぶっかけのうどん。特盛りで。ちく天とかき揚げ、ゴボ天、あと、カツ丼」


淀みなく注文も告げるハルマ。

「朝も昼も関係なく、あんたはほんといい食いっぷりしてるよ」


女将の呆れたような、関心したような表情。

「食いっぷりのいい男ってのは、いい仕事するもんだけど……」と、ハルマを眺める。


「あんただけは例外かもね」と、笑いながら、カツ丼を作り始めた。


──家に着いたハルマはそそくさとシャワーを浴びた。


グレーの短い髪が完全に乾かぬうちにソファーの上に寝そべると、そのまま寝息を立て始めた。


次に彼が目を覚ましたのは午後の三時を回った頃であった。


寝ぼけ目をこすり、冷蔵庫からグレープジュースを取り出す。コップは使わず、そのままがぶ飲み。


大きく伸びをして、ソファーにどしりと腰掛けて、フォートを確認する。


くだらないDM、退屈なゴシップの見出し、ありきたりな勧誘……。


フォートをソファーに投げ置き、ゆっくりとだるそうに立ち上がる。


用を足し、歯を磨き、風呂が沸くまでの間、もう一度フォートを眺め、風呂から上がると、テレビのリモコンを手に、チャンネルをVODに切り替え、最近ハマっている一昔前の刑事ドラマの続きを流す。


蕎麦屋の後に立ち寄ったパン屋で買ったパンと買い置きのインスタントのコーンスープにオレンジジュース、冷凍グラタンとカットステーキの残りで昼食。


いつもと大して変わり映えしないハルマの日常だ。


不意にフォートが短く震える。

知り合いからのメッセージ。


短く一言、《久しぶり!》


メッセージはさらに追加されていく。


《今夜20時にナリトのクロエってカフェにきてくれないか?》

《頼みたいことがあるんだ》


ハルマが返信する前に、《待ってるぞ》のメッセージ。

最後に《よろしく》と一言。


ハルマはしばらく考えたのち、フォートの画面を下にして、そっとテーブルに置いた。


ドラマを半分見終わったところで、またフォートが震える。


今度はメッセージではなく電話。相手はいつもの奴だ。


「──んだよ、ルカ」

「んだよ、じゃねーよ、お前、に連絡返せよな」


「あ、なんで、お前が知ってんだ?」

「アスキさんが手隙の奴、誰か知らないかって言うから、俺がお前を紹介したんじゃねえか」


ハルマは眉を顰める。

(……余計なことを)


「それをお前、スルーとはどういう了見だ。アスキさんから俺に連絡がきたぞ!」


「久しぶりの知り合いからの連絡で『頼みがある』なんてのは、大抵、マルチビジネスか新興宗教の勧誘と相場が決まってんだろうがっ」


「何言ってんだ! 昨日、飲んでたときにちゃんと言ったじゃねーかよ」

「えっ、そうだっけ?」


「お前、『わかった』って言ってたぞ」

「いや……酔っ払ってる最中に言われても……」


「とにかく、お前の代わりに俺が、行きますって、返事しといたから、お前、必ず、アスキさんに会いに行けよ!」


「なに勝手に話進めてんだ、あんぽんたんっ!」

「てめえが、昨日、分かった、任せとけって、言ったんじゃねーかよっ!」


「だから、それは──」

「──とにかく、ちゃんと会いに行けよな、それと、昨日の飲み代、お前の分、俺とカスタが立て替えたんだから、ちゃんと返せよ」


そう言って、通話は切れた──

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