6日目 長話

「あれ、まだあの時間じゃないけど?」


 彼女と会ったあの日と比べて一時間ほど早くたどり着いたが、彼女は変わらず堤防に腰を下ろしていた。


(いるかなって思って)


「そりゃいるでしょ。そもそも私は、この景色を見たくてここにいるんだから。あ、もしかして、私と話したくて早く来たの?」


(……)


「あー……図星、か。まあいいけどね。そうだ。ここにおいでよ。私の隣。いつも堤防に座ってる私のこと、立って見てるでしょ。最後ぐらい同じ景色見ない?」


(じゃ、じゃあ)


「はい、いらっしゃーい。あれ、なんかこれデジャブ?」


(かもね)


「ま、いっか。じゃあお話しよう。今日は何話そうかなー……」


 楽しそうに足をバタバタさせる彼女を見て、僕は少し危なっかしく感じた。


「あ、逆にさ、私に聞きたいことないの? 今まで私が話してばっかだったからさ、君が聞きたいこと答えてあげるよ。百個までなら大丈夫。デリケートな質問はだめ」


(しないよ!)


「ぷっ、何想像したのかな?」


(してない!)


「あはは! で、何聞きたい?」


 百個まで答えてくれるって言ってたし、ささいなものでもいっか。


(好きな動物は?)


「好きな動物ー? なんだろう…………フェネック、なんだっけ。そんな名前の狐みたいなの」


(あの耳長い狐?)


「そうそう! あの長い耳がいいんだよねー。てか、そんな質問でいいの?」


(だ、だって……)


「そんなに急がなくても、私はここにいるから。ね?」


(うーん…………なんでそんなに海が見たかったの?)


「え、海が見たかった理由? 結構鋭いとこくるね。でもどっちかって言うと、私は海が見たかったんじゃなくて、いや、それもそうなんだけど、来たかったんだ。この匂い。海独特の匂い。映像とかで、きっとここよりもきれいな世界の海は見れると思う。でも、この前ネットで知ったんだけど、この匂いって、プランクトンが死んだ匂いらしいじゃん。どんな匂いなんだろうって、思ってさ」


(なんか、つらそう)


「つらそうに見える? そっか。そう見えるかー。全然大した話じゃないんだけどね、ここに来る一週間前に、家で飼ってた犬が死んじゃったんだ。悲しかったんだけど、それ以上に身近な死に直面して怖くなって、でも一番怖かったのは死んじゃったあの子なんだろうなって思ったら、あの子がどうやって天国に行くんだろうって思ってさ。私、一つの仮説を立てたんだ。生き物は死んだら土とかお墓とかから雨とかで海に流れて、そこに集まるの。そこから太陽の熱で蒸発して雲になった時に、そのまま天国に上っていくの。どう? ぽくない?」


(……ぽい)


「でしょ? だから海は、あらゆる魂が眠ってる場所だと思うんだ。だから、こうやっておばあちゃんの手伝いをしに来た時に見に来たいって思ってたの。ここにはたくさんの、誰かにとって大切だった存在がいて、それが天国までに上っていく様子を見たかった。ちょうど君と出会ったのも、そんな魂がたくさん上っていけるような、きれいな夕日があったよね」


(うん)


「今日はちょうど雲で隠れちゃってるけど、でも、きっと天国まで行けるよね。みんな」


(行けると思う)


「よかった。前にさ、この匂いがさ、濃厚だって話をしたじゃん。たくさんの死んだ命が、最後に私にがんばれって言ってくれてるようで、初めは元気出たんだけど、だんだんプレッシャーに思えてきたんだよね。だから、濃厚こってりとんこつラーメン」


(また早口)


「え、早口、って? まだ慣れないのー?」


 彼女は笑う。一割の馬鹿にしたような気持ちと、九割の楽しい気持ちが伝わってくる。


「まあでも、そうなんだろうね。私が慣れない海の匂いに君が慣れてるように、ラーメンは君が慣れるのも大変なんだろうね。そう考えたら、私の馴染みのあるあの生活とか、街とか、家とか、大切にしようって思えたよ。ありがとう」


(いえいえ)


「……よし。じゃあ帰ろうかな。ずっとここにいたら、やっぱり疲れちゃう」


 彼女は立ち上がって、後ろに振り返る。僕もそれに倣って彼女の横に立つ。

 本当にこのままお別れでいいのかな。なんだかんだこの人のこと、結局何も聞けなかったし、なにより。


「でも、お別れかぁ」


 悲しそう。


「えっ、ちょっと!」


 僕は衝動的に彼女の手をつかんで走り出していた。


(もっといいところ、教えてあげる!)


「えっ、もっといいところ教えてくれるの? ふふっ、そういうの待ってました!」


 彼女は僕に並んで走り出した。



*****



「はぁ、はぁ、はぁ。これ、走る必要、あった?」


 僕は声が出ず、首をぶんぶん横に振った。


「君の方が、疲れてるじゃん。あはは……」


 彼女はそう言って、ベンチに腰掛けた。


「で、ここがもっといいところ? 確かにベンチは座りやすいけど…………うわぁ!」


 彼女は、海の方に目を向けると、目を輝かせた。


「すごい。こんなに木ばっかりの山なのに、ここだけ海がきれいに見えるんだ! それもこんなベンチも置かれてるし、もしかして、デートスポット?」


(うん、そうなってる)


「そうなってるか! じゃあこの島のお偉いさんもいいことするねー」


(……このベンチ、僕が作った)


「え!? このベンチ作ったの、君なの? すごいじゃん。確かに手作り感満載だとは思ってたけど、センスあるね」


(ありがとう)


「将来は大工さん?」


(まあ、それ関係がいいかな)


「いいじゃん。てか、デートスポットになってるって、もしかして君見たことあるの? ここでデートしてるカップル」


(うん。一人で来た時にいた)


「偶然居合わせちゃったら気まずくなるよね。私もよくある。でも、今はここに、私たち二人だけ、だよね」


 彼女はこちらに近づく。


「じゃあさ、恋人っぽいこと、してみる?」


(へっ?)


 思わず変な声が出た僕をよそに、彼女はささやき声で続ける。


「そんな素っ頓狂な声出さなくても。ほら、例えば、こんな感じ?」


 彼女は僕の手を取り、指同士を絡ませた。


「ほら、恋人つなぎ。ドキドキする?」


(……うん)


「赤くなりすぎ。ふふ」


 彼女はさらにこちらに寄ってきて、肩がくっつきそうな距離まで近づく。


「あとは、こんなこととか?」


(え、ちょっと待っ)


「ちゅ」


 彼女は耳元ギリギリまでに口を近づけ、そうつぶやいた。


「あはは。耳真っ赤じゃん。流石にファーストキスはね、今は誰にもあげられないかなー」


 今は、と強調された物言いに含みを感じる。


「でもありがとう。この島に来て、今一番ワクワクしてる。いや、ドキドキしてるの方が近いかも。君といるから、かもね!」


 歯を見せて笑う彼女の顔は、これまで感じていた大人っぽさとは全く逆の、子どものようなあどけなさがあふれていた。



*****



「じゃあ、本当にお別れだね。山降りるときに色々質問会したけど、楽しかったね。君が好きなタイプ聞いてきたときはびっくりしちゃったよ。まさかそれに寄せようとか、思ってる?」


(べ、別に……)


「別にいいんだよ。寄せても。でも、私はありのままの君が一番好きだな」


(……え)


「え、ああ好きっていうのは、ライクの方ね? ライク、英語のライク、わかるでしょ!? とにかく、君は君のままでもいいし、もっとかっこよくなってもいいんだからね。少なくとも、堤防でボーっとしている、得体の知らない人の話し相手になってくれる優しさがあれば、大丈夫。じゃあ、本当にバイバイだね」


(うん。また、会えたら)


「そうだね。また、きっと会いに来るよ。いつになるかはわからないけど、また会おうね」


 彼女は家の方まで走って行ってしま……うかと思いきや、こちらを振り返った。


「そうだ! 私、うしおかおりっていうの! 潮の香りって書くんだ。ハガキ送るときに困るでしょ? ちゃんと書いてよね!」


 彼女が振る手に、僕は全力で振り返した。

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