4月17日
「先生、新しい部活を作りたいんですけど!」
目名方あきらの口からそんな言葉が飛び出してきたのは、自己紹介に続いてやってきた新入生の部活見学期間、その最終日の放課後のことだった。
年度当初のオリエンテーションが終わると、次の日からは授業が開始された。といっても、4月にはまだまだ生徒の健康診断があったりクラス写真の撮影があったりして、本格始動とはいかない。大抵の授業は、教科書などの準備物や進め方の確認、担当の紹介や生徒同士のアイスブレイクをして最初の一時限が終わっていく。
そんなスロースタートに合わせて授業を平時より短縮し、放課後の時間を大幅に増やすことで、存分に部活動を見学してもらおうというのがこの期間だった。ここでは同時に、新クラスの担任との個別面談が順次進められていく。
つまり俺は今、目名方あきらとの個別面談の最中というわけだった。
年度当初の面談というのは、まあ大方とりとめもない話をしながら生徒の不安と心の壁を取り払って、信頼関係の基礎を築くためにある。
だから内容は何でもよいのだ。俺が敵ではないということさえわかってもらえれば。
ところが目名方あきらはそうはいかなかった。部活は何か入りますか、というとりとめもないはずの質問が、まさかこういう形で返って来るとは。
俺はすぐには答えず、背景を理解することに努めた。
「えー……なるほど。確か、部活をいろいろ見て回りたいとは言ってたね。何部を見学しましたか?」
「全部です」
彼女の自己紹介資料にメモを取ろうと視線を落としていた俺は、もう一度顔を上げねばならなかった。
「全部?」
目名方あきらと目が合う。その目は少しも笑った風ではなく、何か期待に満ちた目でこちらを見返していた。
「はい。ほんとですよ。えーっと、初日は体育館でバド、バレー、バスケ、ハンド、あと卓球、二日目は外でテニス、陸上、サッカー、野球で、それぞれマネージャーも見てきました。三日目は中でブラス、美術、放送、演劇、文芸行って、四日目も中で新聞、茶道、調理に、合唱。五日目は武道場で剣道見て、あと、どこでやってるのか謎だったワンダーフォーゲル部もちゃんと探しました! それで昨日、六日目はまだ迷ってる友達に付き添って、何個か二周目って感じです。これで全部ですよね?」
俺はこの口上を最初の方は真面目に聞いていたが、あとの方は腕組みをして聞くともなく聞いていた。よく早口はマシンガンになぞらえて表現されるものだが、さしずめ目名方あきらの言い草は、一つ一つの事実を相手の耳に縫い付けていくミシンとでもいったところか。それだけ彼女の言葉には、何が言いたいかということを否が応にもわからせる力があった。
「……おそらく、はい」
確認するまでもなく、彼女がそのように言うのだからそうなのだろう、と俺は新入生相手にはそぐわない一種の信用をもとに返事をした。
さて困った。これは困ったことになったぞ。もしかして仕事が増えるのではないか。と、俺の中のプライベートな部分が声を上げる。
「それで、目名方さんは、どの部活も気に入らなかったということ?」
俺はやがて来る厄介ごとに向けて心の準備をするように、ゆっくりと確認を進める。
すると意外にも、目名方あきらは手をひらひらさせて否定した。
「いやいや、どれも面白そうだったんですよ! でも、すでにあるもので面白いなら、自分で一から始めたらもっと面白いんじゃないかって思ったんですよね」
それは確かに一理ある。すでにあるレールに乗ることで得られる安心や期待は、それだけで価値のあるものだが、ある種の人間にとっては、それらよりレールの外側に存在する可能性と冒険の方が大きな価値を持つことがある。
そして目名方あきらはそういう人種であるらしかった。
「なるほどね、考えはわかった」
「はい!」
だが俺はその期待の眼を退け、現実を突き付けてやらねばならない。
「新しい部活はね、作れません」
その言葉が彼女の耳に届いてから、先ほどまではきはきと喋っていた自信に満ちた顔が驚愕の表情に変わるまでには、少し時差があったように思う。
「……えぇーーーーーー!!? なんでですか!?」
「なんでって、理由はいろいろあるけど……」
俺はそのいろいろをここですべて説明してやっても良かったのだが、ひとつ思うところがあって、ここでは別の方法を取ることにした。これは紛れもなく、教育者としての行動だった。
「まず何の部活を作るか考えてないでしょ」
「あ、はい」
「あと人も集まってないでしょ」
「はい。なんでわかるんですか?」
目名方あきらは目を丸くしてこちらを見た。そんなに驚くほどのことではない。
「そうやって言ってくる生徒を何回か相手にしてるからだよ」
まあ新入生のこんな時期に言い出したのは君が初めてだが、というのは言わないでおいた。事実、一年生の夏休み明けや、二年生になってからこのように言い出す生徒は、毎年出るわけではないが、少なくもない。だいたいそのいずれもが、入った部活を途中でやめて、やることのなくなった人間だ。そして彼らが新部活動を結成できたという試しは、まずない。
すると目名方あきらは「へぇー」と感心するような声を出しながら、ふんふんと頷いて、次のように言った。
「ってことは、先生、まず何の部活か決めて、何人か集めたらいいんですか?」
「それでいいってわけじゃないけど、まあ最低限のラインではあるな。あと、そのあたりのことはすでに君たちの手に渡った資料に書いてあるよ」
「えっ、そうなんですか? 何に載ってました?」
少し可能性を感じ始めたのか、彼女は身を乗り出すようにして尋ねる。が、俺もそこまで優しくしてやる義務はない。あまり深入りすると今度はこちらの仕事が増えるのだ。ここまでヒントをあげただけでも十分な教育的配慮というやつだ。
「本気で作りたいならそれも自分で探しましょう」
「えー!」
と、彼女は途端に椅子の背にもたれて不平をこぼすが、すぐに居住まいを正して「わかりました、探します!」と宣言した。
一方、俺は繰り返して念を押す。
「まあでも、さっき言ったのは嘘じゃないよ。新しい部活は作れません。これが基本だから」
目名方あきらはその言葉を黙って受け取ると、すん、とした表情で一呼吸置いてから、不敵な笑みを浮かべてまっすぐ俺の方を見た。
「それは、先生、やってみないとわからないですよ。私、やりますから」
これで引き下がるならそれまでと思ったが、彼女はやはりそうはいかなかった。やはりというのは、俺がそれを半ばわかっていて泳がせるように仕向けたからだ。
実際、新しい部活は作れない。それはこの偏差値の冴えない公立高校では教員間の暗黙の了解だった。もしかしたら、他の高校でも同様に。
しかし、彼女は違う。暗黙の了解など知らない、まっさらな新入生だ。彼女がこれから目的のためにあれこれと調べ、動く中で、それに伴って多くの人が動かされる。そんな予感がしたのだ。もちろん頑張ったところで、何も外界は動かされないかもしれない。それにしたって本人は動いたのだから、その中で得られるものは決して小さくはならないだろう。
そしてもしかしたら、本当に大きなものを動かすことになるかもしれない。
だったらそれに賭けてみるのも、教育的には面白い。
「そうかい。ま、あんまり期待しないで待ってるよ。他に何かある? いい? じゃあ面談終わりね、一年間よろしく。次の人呼んできて――」
そうして彼女がぱたぱたと教室を去っていく背中を見送る間に、俺の頭の中ではすでにこの一件の是非に関する活発な声が飛び交っていた。
……やめときゃよかったか?
などと考えてももう遅い。目名方あきらは走り出したのだ。ああいう手合いのエネルギーは大人の想像を超えることがあるので、少し見ない間にとんでもないものを引っ提げて帰ってくる可能性がある。それがどんな成果か、爆弾かは、未だ計り知れるところではない。
ともかく教員と言う人種はやっかいなもので、どれだけ仕事を増やしたくないと思っても、その性ゆえに仕事を増やす方向へ自分を導いてしまうのである。
だからこれは俺にとっても一つの挑戦だった。
目名方あきらの無謀な挑戦を見守りつつ、しかし自分の仕事は増やさずに、いかに円満な最後を迎えられるかという……。また自らやっかいを引き受けてしまったものだ。
俺の不安をよそに、やがて教室のドアががらりと開いて、次の面談相手が入室してきた。
「おねがいしまあす」
「はあい、どうぞ」
ああ。
新学期が、始まる。
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