目名方あきらは諦めない
望月苔海
1学期
4月10日
今年はこいつかもしれん。
というのが、彼女に対する率直な第一印象だった。
高校に入学する新一年生が一番輝いている瞬間はいつか知っているだろうか。
答えは合格発表の日だ。
ここから素晴らしい学校生活が始まるのだ、という喜びと期待に満ちたあの目、あの場面こそが、その後の一年で最高の瞬間であるということにその時点で気が付いている者は、さすがにいない。
その後春休みの間には、新しく課せられた宿題やら提出書類やらをやっつけながら、SNSで合格報告をしたり、入学前から他の中学の生徒と「#春から〇高」などと交流したりしなければならぬなど、それはそれは大事な仕事がある。
まったく、いまの子供は大変だ。
そうして高まりに高まった期待は、入学してから数日のオリエンテーションの間に、現実を見せられながら大抵はしおしおとしぼんでいってしまう。
それはそうだろう。なんなら中学校より生徒指導部はうるさいし、部活動は厳しいし、先輩たちは怖い。知っている人がいないクラスに入ったら目も当てられない。ものの数日の間にクラス内のグループ分けが水面下で行われ、学年内のヒエラルキーもが雰囲気と噂話で着々と形成されていく。たとえSNSで繋がろうが対面で声をかけなければ誰とも認識してもらえない。そんな当たり前のことに絶望して、次第に声を小さく背を丸くしていく人間のなんと多いことか。
とまあ、今日はそんな感じで入学後の数日を過ごした新一年生の目がようやくどろんと淀んできた頃合いの日だ。一通りの事務連絡や各部のオリエンテーションが終わり、やっとまとまった時間をホームルームで過ごすことができる。
さあて、ここでいざ自己紹介の時間だ!
などと教員側が悠長に構えている間に、すでに彼らの中では事の八割方が終わっていたのだった。いや、わかっちゃいるがね。こちらにも事情があるんだな。許せ。
出席番号の若いものから順に、その場に立って自己紹介をさせる。名前と、出身中と、入っていた部活、入ろうと思っている部活、好きなものを一つ、みたいな内容だ。
拍手や交代の時間も考えると、一人一分もかけたら時間オーバーだな……なんて考えていたのは、俺が初任の頃だけだった。
なんのことはない。彼らは一分もしゃべらないのだ。
これは彼らの言葉でいう「陽キャ」とか「陰キャ」とかそういう問題ではなく、彼らはただただ人前で自らをさらけ出すことに抵抗を持っているからだ。先ほどのようなテンプレを与えればその通りにしゃべるが、それ以外はしゃべらない。だから早口の生徒は十秒くらいで切り上げてしまうし、ぼそぼそ声の生徒などは十を数える間もなく、言ったか言わないかもわからないうちにすぐ座ってしまうので、周りも拍手をしたものかどうか、まばらな反応しかできなくて、逆に気まずい。
それじゃあ逆にテンプレをなくしてはどうかというと、名前と一年間よろしくという旨しかしゃべらない生徒が続出してしまい、本当に全員が五秒以内に終わるという、自己紹介の体をなさなかった苦い過去がある。
高校生というのはすごいもので、彼らは自分が身を置いた環境に速やかに適応する。つまり、「あ、ここはそういうクラスなんだな」と思ったが最後、自分も「そういうクラスの一員」に位置付けて、行動を変えてしまうのである。そしてその時の暗さというか勢いのなさが、後のクラス運営にまで影響してしまうことが多々ある。いわゆるスクールカーストの形成にも、こうした心理が大いに働いていると言えるだろう。
それゆえ、教育界では四月当初を「黄金の一週間」などといって、バチバチに固めたクラス開きのメソッドが声高に唱えられている。
俺も確かにそういうメソッドを勉強しかけたことはあった。そう初任の頃は。
でも何年か担任業務をやってみて気が付いたことは、結局のところ、どんなメソッドに従ったところで、教員とウマが合わない生徒は出てくるし、生徒同士のいざこざは起きるということだった。違う人間が集まっているんだからしかたがない。それが学校だ。もちろんこっちも仕事だから、努力はするがな。
それでも救いを見出すことがあるとすれば、それはある性質を持った生徒の存在だ。その生徒がクラスに一人いるだけで、クラスの雰囲気が変わり、多くの人間が動かされることがある。
あるいはそれが、もっと大きなものを動かすことも。
その性質とは何か?
美少年や美少女? そりゃ、いたら見てみたいけどな。
運動神経抜群のスーパースター? 推薦取れるならどんどんやってくれ。
コミュ力おばけ、高偏差値層、真面目一徹――どれも違う。
それはちょうど次のような人間のことだ。
「南中学校から来ました、1年1組31席、
教室の廊下側二列目、前から四番目の席に立つ女生徒が、はきはきと述べた。よく通る声だった。似たような紹介が続いて俯きかけていたいくらかの男子生徒も、声の主を探すように、それでいて目立たないように首を巡らした。
たいていの生徒はこういうとき、自分の手元か、教員か、知っている友達の方向を見て喋るものである。しかしこの生徒は、少しずつ周囲に目を配りながら喋っていた。なかなかできることではない。
「高校では、んー、まだ決めてません。でも何か、新しいことがしたいです。あの、いろんな部活に見学行くので、話しかけてくれたら嬉しいです」
その様子は、自信を持ってはいるが、近づきにくい印象を与えない。軽い口調に聞こえるが、多少の緊張を含んでいる。絶妙なバランス感覚だった。
「一年間よろしくおねが……アッ!」
そうして最後にいいところで声を上げるので、みんなが何かと見守る。
「好きなもの! あ、好きなものえっと、ぱ、な、バナナです! 違う! パンです!」
慌てて言い加えたのに間違えたので、本人は恥ずかしそうに口を押さえたが、これを誰かがぼそりと「どっちだよ!」と拾うと、幸い小さな笑いが起こった。彼女は照れ臭そうにしながら、しかし最後には「よろしくお願いします!」と言い切って座ったので、拍手は滞りなく響いた。
その後四十席までの自己紹介の間、俺は順に生徒の話を聞きながらも、目名方あきらの様子を目に収めていた。口を押さえて恥ずかしそうにしていたのは少しの間だけで、その後は喋る生徒の方を見て話を聞いている。ふと視線をずらすと、いつしか他の生徒までもが、彼女と同じ姿勢で他の生徒の自己紹介を聞いているのだった。
こいつか。と思った。
今年はこの目名方あきらが、このクラスの何かを動かす生徒なのだ。
それで、結局彼女の性質を何と表現するべきかというと、未だ答えはない。
断片的に言うなら、元気で、自信家で、嫌みがなく、人の話を聞く、というところだろうか。それにしたって、やはり断片的な情報に過ぎない。ともかく教員をやっていると、男女問わずたまにこういう生徒に出くわすことがある。
これはもうこういう生徒と言うほかはない。しかし逆に目名方あきらのような、と言ってしまうとまた語弊がある。彼女はあくまで「こういう生徒」の一人でしかなく、彼女が指標そのものではないからだ。まったくややこしい話だ。
こうして1年1組の新学期が始まりを迎えたわけだが、俺はこの数日後にとんでもない爆弾を抱えることとなる。
なぜかって、目名方あきらがこんなことを言い始めたからだ。
「先生、新しい部活を作りたいんですけど!」
それみたことか。こういう生徒がいると、何かが動き出すのだ。もちろんそれが誰かにとって良いのか悪いのかは、また別の話なのだ。
俺が彼女こそが爆弾であることを悟るのには、そう時間はかからなかった。
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