第2話 追う
翌日も、舟鴨の電話は繋がらなかった。舟鴨は地元の国公立医学部へ進学している。私は別の学部へ進学した地元の友達に連絡を取るも、彼らも舟鴨とは最近連絡を取り合っていないとのことだ。田橋くんやゆきえちゃんも連絡が取れないらしい。つまり舟鴨とは音信不通となってしまった。
研修医を辞め、連絡が取れないという事実に、少し心配になってくる。ゆきえちゃんもそうだったが、どこか精神的に追い詰められているのではないだろうか。
「あ……」
そこで私は連絡を取れる手段があることに気が付く。舟鴨の家は開業医で、私も何度か行ったことがある。病院の電話番号なら分かるはずだ。迷惑であることは分かっているが、それしか手段は残っていない。ネットで調べ、営業時刻を少し過ぎてから私は電話をかける。
『はい。舟鴨クリニックです』
出たのは、妙齢の女性だった。私は自分の高校と名前を包み隠さず話す。そして、「舟鴨悠さんがいらっしゃいますか」と訊ねる。直後、電話の向こうで女性が息を呑むのが分かった。
『……悠のことは、知りません』
こちらが何も言う間もなく、がちゃりと、感情的に電話が切られる。
(……知りません?)
お答えできません、ならば理解できる。だが知りません、とはどういうことだろうか。何か知っているが答えたくない事情がある、と勘繰るのは考えすぎか?
休日の昼、私は田橋くんに電話をかけていた。平日は遅くまで残業をしているとの子だったので、電話するには忍びない。彼は察しがよかった。
『舟鴨のことだろ?』
「うん。連絡が来たときのこと、もう少し詳しく教えてくれる?」
学生時代は、男子である田橋くんと舟鴨の二人で遊びに行くことも珍しくなかった。あの場では言い辛かったかもしれないが、何か事情を聞いているかもしれない。
『ちょっと待ってくれ。ベランダ出るわ。……よし。いや、隠してることはなくて、この前に言ったので全部だ。俺も電話で聞いたときは驚いた。でも、舟鴨なりに考えたんだろうと思って、深くは突っ込まなかった』
「そう……」
『部活のこともあったしな。やっぱ医者って色々と大変なんだろ』
「まあ、大変なのはそうだろうね。……待って。部活のことってなに?」
『え? いや、あいつ、大学でサークル色々と入ってたって言ってたろ。漫研とかSF研とか』
「うん」
高校時代と同じで、彼自身は創作をしないが、部誌の取りまとめなどをしていたらしい。
『それ、全部辞めたらしいんだよ。四回生のときに。聞いてないか?』
「……初耳」
違和感を覚える。人が真剣に打ち込んでるのが好き――そう語る舟鴨の笑顔が脳裏に浮かぶ。そもそも医学部は六年生だ。サークルを四回生という中途半端な時期で辞めるだろうか? いや、周りの同級生は四年で卒業する人が多いし、それを機にという考えもできるけど――。
その時、電話口の向こうで女性の声がした。田橋くんは、ばつが悪そうに言う。
『悪い、ちょっと嫁から呼ばれてるわ……。掃除の途中でな』
前の飲み会で「土日が家事だけで消えていく」と愚痴っていたことを思い出す。
「そうだったんだ。ううん、ごめんね急に。舟鴨に電話かけても、繋がらないから、少し不安になっちゃって」
『俺もだよ。ここんところ、しばらく話してないし不安だな。……あ、待ってくれ。そういや年末に、舟鴨と少しだけ話した。向こうから着信があってさ』
「年末って……直近だね」約二か月前だ。「なんか言ってた?」
『いや、それが変な電話でさ。かかってきたの、夜中の一時とかだぜ? 用件聞いたら、結局なんでもないとか言うからよ……』
「……そう」
『色々疲れてるのかもしんないな。舟鴨には俺から連絡取ってみるからさ。また四人でどっか行けたらいいよな』
「そうだね、うん」
電話を切った後、私はしばし考え込んでしまう。部活を辞めたというのもそうだが、気にかかったのは最後の話、年末に舟鴨が電話をかけてきて何も言わなかったという点だ。舟鴨は、自分の言いたいことを真っ直ぐに言う奴だ。研修医を辞めた時のこともそうだが、彼が何か言い淀むというのは相当珍しいように思う。
続いて私はゆきえちゃんに電話をかける。彼女も、私と同じで舟鴨が部活を辞めたことも初めて知ったそうだ。ただ一つ、それで思い出したことがあるという。
『あ、あのね。なんか、別にわざわざ言うことでも、ないかもだけど……』
「大丈夫だよ。なんでもいいから、教えてほしい」
『う、うん。ちょうど四年くらい前だったかな。舟鴨くんが……うちの大学の演劇サークルに、知り合いがいないかって聞いてきたことがあって』
「……演劇サークル? それって、ゆきえちゃんの大学の?」
まるで想像していない言葉が出てきた。
『う、うん。知り合いとかいれば紹介してくれないかって……。文化祭で見て、気になったんだって。でも私ってほら、友達少ないし、知り合いもいなくて、結局は誰も紹介できかったんだけど……』
ゆきえちゃんの通う私大は文化祭が盛大に行われることでも有名だ。舟鴨がそこで演劇サークルの公演を見て、気にかかった? 四年前ということは、舟鴨が四回生か五回生くらいか。時期がサークルを辞めたのと一致するのが引っかかる。
「変だね。舟鴨の奴って、別に演劇とか好きそうでもなかったし」
付き合っていた当時、私が誘って舟鴨と演劇に行ったことがあるが、恐らくその一かいくらいだ。そもそも、男子は女子と比べて演劇やミュージカルにあまり興味がないように思う。
『そ、そうだよね。もしかしたら、何か事情があるのかと思って、蜜浦ちゃんには言えなかったんだけど……』
「事情って?」
『あ……』電話の向こうで、ゆきえちゃんが黙る。『えっと、そ、その……なんというかほら、舟鴨くんじゃなくて、彼女さんが興味あって……とか』
「……ああ、確かに」
自分ではなく彼女の趣味というのは、ありそうな線だ。部活の両立ができずに辞めたというのも納得できそうな話ではある。では、研修医を辞めたこともその延長か? さすがに彼女優先にしたとは考えにくい――考えたくない。
「気を使わせちゃったね。大丈夫だよ。もう当時、別に吹っ切れてたから」
などと私はやせ我慢の言葉を並べ、礼を言って電話を切る。
(演劇サークル、か……)
ゆきえちゃんの私大名、演劇でググるとサークルのSNSアカウントが出てきた。豪華な舞台セットの前に、髪色が明るい人物が並ぶ写真が出てくる。予算も人数も多いのか、学生の演劇サークルとしては力が入っているようだ。
(彼女が演劇に執心してるというのは確かにありそう。そう言えば、舟鴨の大学にも演劇サークルはあったはず……)
舟鴨の大学の演劇サークルを調べると、同じようにアカウントがヒットする。メディア欄を遡ると、公演前の集合写真が出てきた。都内の私大と地元国公立の違いなのだろうか、メンバーもセットも大人しい雰囲気だ。なんの気なしにメディア欄を遡る。合宿やバーベキューの写真が続いて新入生歓迎会――いた。
「……はっ」
一瞬息が止まる。写真に見覚えのある顔が映っている――舟鴨だ。十数人の大学生たち。手前の、まだ垢抜けていない学生と並んで、舟鴨がいる。今から四年前の新歓の写真だ。ということは、舟鴨は五回生になったばかり。
(……待って、舟鴨ってこんなだったけ? いや、間違いない……)
快活に笑う舟鴨――その記憶のイメージとは随分と異なっていた。気のせいかもしれないけど、舟鴨は周りより少しだけ老けて見える。フレッシュな瑞々しい野菜に一つだけくたびれたものが混ざっている印象。他の写真も注意深く見てみたが、舟鴨が映っているのはその一枚だけだ。
「……」
てっきり女関係かと勘繰ったが、それならば舟鴨自身がサークルに入るのはおかしくないか? いや、演劇が好きな彼女で勧められて入部したとか――ずっと続けていた部活を辞めてまで? 疑問が次々と湧いてくる。
「どうして――」
どうして部活を辞めたのだろう。どうして演劇サークルへ入ったのだろう。どうして医者の道を諦めたのだろう。どうして二人には伝えて――私には何も告げてくれなかったのだろう。
演劇サークルの最新の投稿が目に入った。三月八日、二週間後に学内で卒業公演を実施予定。舟鴨が演劇サークルに入ったのは四年前。とすれば、当時の舟鴨を知る人間がまだ在籍しており、この卒業公演にも出るはず。
(ここに行けば、当時の舟鴨の話を聞けるんじゃない? それに足取りも……)
演目は三つあり、予約すればどなたでもご覧になれます――とあるが、日程は平日ど真ん中。社会人には行けるわけがない。ましてや、そんな聞けるかどうか分からない話のために、遠方まで足を運ぶ必要もない。
この時点では、私は行く気なんてさらさならなかったのだ。
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