1997.9.16
1997.9.16
日本でこつこつ稼いで貯めたお金には限りがあるから、計画的に使用していきたい。
このところのわたしの食事は、近所のboulangerieで購入する5Fのバゲットと、これまた5Fで購入したLanguedoc地方のvin de table、20FのEpoisses(AOCチーズ/Appellation d’Origine Contrôlée/原産地名称管理)で済ませていた。なにしろ食事は自分一人のことだから、バゲットは一本買えば二日は足りるし、Epoissesはバゲットに塗りつけて食べるだけだから、一度の食事にさほど消費もしない。冷蔵庫に入れれば一週間はもつ。vinは嗜む程度に飲むくらい。この三つさえあればお腹も膨れるし、言うことはない。値段の割に満足感が得られやすいから、食事が安上がりで済む。
baguetteのあるものは天然酵母を発酵させて作ったものには酸味が加えてあるらしく自分の口に合わないため、酸味のないマイルドなものを選ぶようにした。漂白していない小麦粉を使ったbaguetteは茶色味を帯びて、田舎風の野暮ったさが感じられる反面、滋味は豊かで、噛み締めるほどに口の中に甘味が広がる。
Epoissesはいかんとも形容しがたき奥深さを秘めている。「神のお御足」という異名をとるその匂いは、チーズを食べ慣れない人が嗅げば悪臭としか言えないような複雑奇妙な臭気を発している。日本の納豆やくさやなどを思い浮かべるといい。くさやは魚の内臓などを味付け熟成させた中に漬け込むのだが、Epoissesは塩水や葡萄酒を作った後に出た絞りかすmarcを周囲に塗りたくる。表面は若干オレンジがかっていて、ねっとりと粘っている。その粘りだけでも、匂いは察しがつくというものだが、日本の伝統的な珍味が大体においてそうであるように、これもまた、食べ慣れるとやみつきになってしまう代物だ。
スプーンでEpoissesを一匙掬ってbaguetteに塗りつけて口に放り込む。すると、両者が合わさることで、baguetteだけ、Epoissesだけでは得られない豊かな風味が得られる。舌に纏わりつく粘質と若干の塩味、鼻腔に拡がるこなれた乳製品の風味、一ヶ月や二ヶ月では決して得られない熟成感が満喫できる。触感、風味、芳香、味、はじめはてんでばらばらで荒々しかったものが、半年、一年という熟成期間を経ることで一体感を持ちはじめる。たったひとつのチーズからでも、時の流れの偉大さを感じとることは可能だ。
口の中に残り香が漂っている間に、酸味の利いた土っぽい安ワインをそっと流し込むのが気にいっている。ここでは、たった5Fの安ワインとはいえ、馬鹿にはできない。vin de tableなのに、日本で1,000円や2,000円出しても味わえない風味を持ったワインがここには数多くある。
もっとも、Beauneくんだりまで来て、Bourgogne地方のものではなく、Languedoc地方のワインを飲んでいるというのは、一種の皮肉のように感じないでもないが、その皮肉の対象が自分に対してなのかBourgogneに対してなのかははっきりとしない。
とにかく、一杯のvin de tableは私を満足させてくれた。
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