1997.9.14

1997.9.14


 同居人とはまずまずの関係を保つことができたようだ。やはり初日の村名AOCワインを振舞ったことが功を奏したようだ。二人は背の高い方がトマ、低い方がアントニーといった。二人は市内の同じレストランでキュイジニエとして働いているらしい。ここ数日のスケジュールを見るにつけ、彼等は朝の8時過ぎに部屋を出て、いったん15時過ぎに戻ってきて、17時まで小休憩したあと、夜の遅い時間(ときに日が替わるあたり)まで働くようだった。早いときでも23時は回るようだから、一日当たりの労働時間は相当なものになるのだろう。

 食べることは好きだが、作る方はほとんど経験がない。それでも二人が夜にする会話を聞くのは面白い。わたしがかなり自由な時間を持っていることを知ると、長身のトマが今度食べにおいでよと誘ってくれた。おすすめはTerrine de foie de canardだという。伝統的で素朴な味付けであるからこそ、自家製バゲットにつけて、ワインと一緒に楽しむこのメニューは誰の口にも合うだろうといっていた。日本人でもそう思う? と軽口を叩こうとしたが、せっかくワインを飲んで饒舌になっている相手の話の腰を折るのも気がひけてしまって、そのまま聞き役に徹した。

 部屋のコンポはふだんからほとんど使用されないらしい。電源を入れる許可を得たあと、最近購入した、Enyaの "Memory of Trees" をセットして酒のお供に流すことにした。男三人、国籍は違えど、夜の時間に顔つき合わせてしんみりと赤のグラスを傾ける。青カビチーズのFourme d'Ambertを肴に、近場のboulangerieのバゲットを合わせる。ワイン・チーズ・バゲットの安上がりな三点セットでもそこそこ満足の行く飲みができる。わたしには食事も兼ねているから、結構な量を食すことになったけれども。


 海外の夜は危険だから部屋から出ないことが推奨される。しかしここ二、三日様子を見るかぎり、この街の治安はかなりよさそうだった。血の気の多い人も見かけないし、荒れている場所も見受けなかった。これなら平気だろうと、昨日は夜中にバーに入っていくつかのお酒を注文しもした。ポートワインだったり、モスコミュールだったり、ジントニックだったり。カミカゼは通じないかと思って注文は差し控えた。いつかレシピをわたして作ってもらえる日も来るかもしれないと淡い期待を抱きながら、いくつか飲んだあとで店を後にした。

 日本人だからとか、東洋人だからとかいったことで奇異の目を向けられることもなかったように思う。もともとBeauneは観光都市でもあり、世界各地から観光客が集まる土地柄だから、国外の人間を見るのも慣れているのだろう。昨今のワインブームもあって、この街を訪れる日本人もいる。一日、街を歩いていると、一組や二組は日本人らしき顔を見ることになる。旅慣れた感じの女性二人組もいれば、新婚旅行で来たらしい初々しい二人を見かけることもある。とはいえ、物は一方だけから見てはならない。彼等からすれば、異国の地で、平日の昼間に街中をひとりうろうろしているわたしのほうこそ、奇異な存在に見えていたことだろう。

 街中の人の髪色は、ブロンドはかえって少なく、茶色や飴色の人も多い。瞳は、青もあれば茶色もある。ひとりひとりちがった髪や瞳をもっていて、海外の小説が、髪色や瞳、顔のつくりを細かに描写することを思いつかされる。白人と一口にいっても、見てみるといろんな特徴があることがわかる。ドイツ系の顔立ちもあれば、英語圏の顔立ちもある。北欧のものもあるし、中東地域がルーツかと思われる人たちも街にはいた。

 こう見てくると、どの街に行っても、黒い髪・黒い瞳が標準である日本が特殊なんだと思わせられる。みんな一緒が当たり前。この考えは、外見の相似性から来ていることに着目すべきかもしれない。みたいなことを考えても何も始まらないから、これ以上この先のことを書くのはやめておこうか。


 あてもなく街を歩いてみた。Parisの一区や二区、Lionの旧市街もそうだが、歴史のある都市には、いまも古い街並みが残っている。ローマ帝国時代からの都市もいくつもあっていまも名前を変えて現存しているのが素晴らしい。


 Beauneの通りの多くは石畳になっていて、それも細かい長方形の石を隙間を空けて並べていることから、歩く足裏に、いい刺激になって面白い。脇を自転車が抜けていくことがあるが、車体は小刻みにカタカタと揺れて、その振動の全身への伝わりかたが見ていて愉快だった。自然と顔に笑みが浮かんでくる。

 中央広場に差し掛かり、ちょうど昼になったので近くのBistroに入ることにする。テラス席もあったが、建物の中で食べることにする。席に着くと、給仕がすぐにメニュー表を持ってきてくれた。前菜をサラダにして、主菜をSteak au poivre、合わせるのはボルドーの赤ワインにする。価格は50Fをすこし越す程度。

 ミシュランガイドのページを繰りながら時間をつぶす。

 やがて注文の品が運ばれてくる。

 サラダはリヨネーズ。たっぷり盛られたサラダを食して肉の皿に取りかかる。ナイフで一口大にカットして口に運ぶ。こっちにきて赤身肉のうまさに開眼したかもしれない。肉もさることながら、皿にたっぷり盛られたポテトの量がありがたい。

 Bistroでゆったり時間をつぶして、再び路上に出る。日差に変わりはなかった。それでもあと一時間か二時間もすれば和らいでくるだろう。この時季は気候的にもとても過ごしやすい。日本よりも若干気温は控えめなようである。体を動かしてもさほど発汗しない。暑すぎず寒すぎず、活動に適した気温でもあった。


 きょうはまだ歩いていない通りに足を延ばした。どこにでもあるワインショップ。そのほかにもboulangerieやpâtisserie、fromagerieに総菜屋もある。restaurantやcafé。白い絵皿がたくさん並んだ食器店もあれば……と、ここまで書いてきて、飲食関連の店しか挙げていないことに気づかされた。ほかにもあるにはある。不動産屋もあるし、銀行もあるし、書店だってある。しかし何を措いても食事関連の店の多いことに気づかされる。

 土産物屋に足を運ぶ。何を買うでもなく、店内に入って物色する。コルクにワイン瓶、さまざまな大きさのグラスに、ソムリエナイフ、ピンバッヂ、色味豊かなテーブルクロスなどもある。この国を発つときには、なにか買って帰りたいなと先に希望だけもって、店内を後にする。


 観光客はあいかわらずとても多い。一人一人が街にあるものに目を配り、なにか面白い物はないだろうか、自分の興味を惹くものは見つからないだろうかと期待するようである。仕事を持って忙しく立ち働いている人は後景に退いてしまって、観光を楽しんでいる旅行者がメインになる。毎日がお祭り――という言葉が口をついて出た。自分もまた祭りの参加者なのだろう。パレードに参加している気分だ。高揚感をおぼえる。悪くない。悪くないけれど、これでいいんだろうかと思わないでもない。

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