#17:混乱の果てに
パニック状態は時間を置くことである程度回復することができた。
埠頭区から尋常区までは、どうしたって電車で移動するしかないからだ。イライラしながら電車に乗っている間に、少しだけ冷静さを取り戻した。
落ち着こう。
雪駄屋貴雄という人物が何者で何を企んでいるのか。何を狙って俺に嘘をついて接触したのかは分からない。さくらに関する何かが目当てなんだろうということくらいしか。もう今となっては、さくらが金塊の隠し場所を知っていましたという情報が出てきてもおかしくないくらいだ。
だが裏返せば、さくらを狙っていることだけは間違いない。俺に身分を偽って接触する理由なんてさくらの件以外に考えられないからだ。そして貴雄先輩はおおよそ、俺の住処に目星をつけている。この数日でどこまで絞り込んでいるかは分からないが……。
いますぐ戻る必要がある。場合によってはフレデリカさんと連絡を取って、さくらを安全なところに移動させなければならない。
だが。
貴雄先輩は俺の住所、つまりさくらの居所をまだ把握できていない可能性もある。そして俺が麗人学院に向かったことはメッセージで了解済み。俺自身がメッセージを送ってしまったからな。
この場合考えるべきは、尾行だ。
慌てているのをいいことに、俺に尾行をつけて居場所を割り出そうという腹積もりかもしれない。俺の不在を把握して既にさくらの拉致に動いている確率もあるが、そちらに関してはもうじたばたしても仕方ない。今は早まった行動でさらに状況を悪化させるのだけを避けるべきだ。
だから俺は、尋常駅に着いたところで急いだ素振りで走り出した。駅前のロータリーでビラ配りをしているのを尻目に、動く。
向かう先は尋常小学校だ。
どの道帰宅ルートの間にあるし、それに……。
野次馬がいるかもしれない。
尋常小学校での出火騒動でおそらく、警察や消防が出動しているだろう。そしてそれを見物する野次馬も集っているなら、利用できる。野次馬の中に突っ込んで尾行をかわす。ついでに小学校の様子も確認しておこう。
「これは……」
正門前は思いのほか混乱した状況だった。幸い、警察車両や消防車は学校の敷地内に侵入しているので、車が邪魔で通行できないということはなかった。それにしてもこの暑い日に、炎天下の中人の集まりはかなりのものだ。そんなに暇だったのか、物珍しいのか。
人込みへ分け入りながら、野次馬たちの会話に聞き耳を立てる。
「火事って何があったんだ? ボヤか」
「ボヤであんな煙が出るかよ。ありゃ灯油の焼ける煙だぜ」
「灯油だ? なんで今どきの学校に灯油があるんだよ。空調は全部エアコンだろ?」
「そんな金が市から回ってくるかよ。今の市長はカジノ作るのにご執心で給食だって値上がりしてんだぞ」
「ほーん」
ちらりと校舎の方を見ると、確かに黒い煙がもうもうと立ち上がっている。教員が隠れて吸った煙草が出火元です、という気配ではない。
「死体が出たんですって? いったい誰の?」
「子どもじゃないのは確かなんだけど……」
「大人の男女でしょう? 心中?」
「いや校舎で心中はさすがに……」
「なんでも既に殺害されていたらしいって」
「でもそれがすぐ分かるってことは、あまりひどく焼けなかったのかしら」
ニュースでも死体が出た話はしていたな。しかも死体に外傷があり、つまり焼けて死んだのではなく焼ける前に既に殺されていた可能性があると。
殺人事件。男女……?
連想したのは、今朝会ったばかりのあの二人だ。少女の両親というスーツ姿の男女二人組。死体の外傷にすぐ気づけるくらいにしか焼けていないのなら、身元確認もそう難しくない。死体が教員なら校舎に居残っている同僚がすぐそれと判別できるはずだ。だが未だに身元が判明しないということは、外部の人間と推測され確認に手間取っているということ。
条件には合致する。
だがなぜだ?
そう不可思議な事態が別個に多発するはずがない。ましてやさくらの通う尋常小学校で、さくらの両親と業務上の関係があった人物が死んで、他殺の可能性がある。ほぼ間違いなく、例の毒殺事件に絡んでいる。しかし……。あの二人を殺害することにどんなメリットが?
毒殺事件は警察が事件性なしと判断したものだ。確かに俺は不自然に思って捜査しているけど、言ってしまえば男子高校生の戯言。一笑に付して終わりにできる。そりゃ犯人からすれば探られるのは気が気じゃないだろうが、それでも新たに罪を重ねるよりは警察権力の結論を笠に着て押し通す方がはるかにリスクが少ない。
にも関わらず、殺した。しかも直接的に事件を疑っている俺ではなく、その周辺の人間をだ。さらに俺はあの二人からもう情報をほとんど得ている。手遅れだ。口封じにすらなっていない。
いったい、なぜ…………? どうしてあの二人が殺されなければならなかったんだ?
「天馬くん!」
肩を叩かれる。振り返ると、野次馬の中にフレデリカさんがいた。顔面蒼白で、なのに暑さのせいでひどく汗を掻いていた。
汗に濡れた金髪が太陽の光を反射して輝いている。エメラルドグリーンの瞳は細かく震える。病的な美しさがあった。
「フレデリカさん、どうして?」
「さくらちゃんの様子を見に来たつもりだったんだけど……」
「戻りましょう」
彼女の手を引いて、俺は自宅に急いだ。
「尋常小学校で事件なんて、なにが……」
足をもつれさせて転びそうになりながら、フレデリカさんが呟く。
「俺にもさっぱり。だがどうにも、さくらの抱えた事情が俺たちの想像より大きくなっているみたいです」
「そう、だね」
さすがにもう、野次馬に紛れたから尾行がいても回避できただろう。一直線に家を目指す。
「さくら!」
帰宅。玄関扉の上に貼った紙テープを外すのも忘れ、俺は勢いよく開いて中に駆け込む。
『以上、現場からでした。尋常小学校での出火については、続報が入り次第お伝えいたします』
テレビから流れるニュース。リビングからさくらが飛び出してくる。
「帰して!」
絶叫。
「帰してよ! ねえ! なんで……なんで!」
「落ち着いて」
フレデリカさんがさくらを受け止め、抱きしめる。
「大丈夫だから、ね?」
「いやだ! いやだ……。あたし、家に……」
さくらの暴れ方は並大抵ではなかった。パニック……にしても、小学校で事件が起きただけのことでここまで混乱するか?
「天馬くん。私がさくらちゃんを宥めておくから、ちょっと買い出し頼まれてくれる?」
「え、ああ……」
俺はさくらに頼まれていた回収した本の入った手提げ袋をその場に置き、リビングを出た。
なんだ……。
なんだ?
俺は今、何をしている?
自分の意志で動いているはずなのに、妙にふわふわしている。
玄関を出て、扉を閉めたところで、思い出す。
財布は手提げ袋の中だ。
足取りがしっかりしない中、俺はまた自宅に入る。
『先ほどお伝えした尋常小学校での出火について、続報が入りました。体育倉庫の一部を焼いた火災は既に鎮火し、警察が現場検証に入っています』
テレビから聞こえるニュースの声が、やけに耳に響く。
『火災現場である体育倉庫には暖房器具用の灯油が保管されており、この灯油が撒かれた上で火をつけられたのではないかと見られています』
『この火災で学校関係者側は児童、教員双方に負傷者はありませんでした』
『しかし現場からは男女二名の遺体が発見されたとのことで、警察は当時学校を訪れていた来客の誰かが火災に巻き込まれたものとして身元の特定を行っていました』
『火災直前、校舎ではボランティアの会合が行われており、その中には外部の人間もいたとのことです』
『ただ、出火当時、ボランティアは付近の駅前広場で活動しており、全員の安否が確認できています』
リビングは、静かだった。テレビの雑音以外は。
「……………………」
ソファに、さくらが寝ていた。
寝転がされていた。
その体を、ソファの中に沈みこませるよう押し付けられて。
「…………」
フレデリカさんが、さくらの首を絞めてソファに押し付けていたから。
「…………は?」
「……ああ、ああ」
さくらから手を放したフレデリカさんが、ふらふらと距離を取る。その手は小刻みに震え、膝も笑っている。
ついには、がくりと膝をついてしまう。
「なんだよ、これ」
状況が、全然分からない。
「何がどうなってんだよ!!」
「見ての通りだ馬鹿が」
後ろから、声がした。
鋭く、冷たく、清冽な声が。
振り返ると。
あの少女が、いた。
「サプライズニンジャ理論というのがあったな。ドラマの展開に唐突なニンジャを加えて面白ければ、その脚本は考え直した方がいいという話だ。実際、連続する論理性ある展開をニンジャで破壊すればそれは一定程度面白いに違いないから、あくまで指針や心づもりの話だろうな」
「じゃあ、唐突に探偵が出るのも面白いのかい?」
彼女の背後から、のっそりと葵不喫が現れる。手には彼女の羽織っていたカーディガンを丸めて持っていた。まるで使用人のように。だがあのカーディガン、不自然に膨らんでいる気がするが……。
「それはどうかと。少なくともニンジャよりは展開の理にかなった存在である以上、そこまで破滅的なカタルシスを生みはしないでしょうし」
「だが目の前の彼には、ニンジャも探偵も大差ないように見えるが」
「それは向こうの責任です。僕にどうと言われても」
何を話しているんだ、この人たちは。
『遺体で発見された男女二名の身元ですが……』
テレビはこんなときでも、呑気に放送を続けている。
『警察の発表によると、同校の児童である轍さくらちゃんの両親、轍輪太郎さんと轍花枝さんとのことです』
「……え」
思わず画面を見る。そこには、確かに俺が小学校で会った二人の写真が載っている。
今俺の目の前にいる少女と一緒にいた、あの二人。
彼女の両親だったはずだ。
なのに。
さくらの両親だって!?
「解決編は必要ないな? その義理もない」
冷たい言葉が刺さる。
「第一、僕はお前に使える言葉を持ち合わせていない。存在しない事件を解決しようと右往左往していた馬鹿を理解させる言葉も理屈もこの世には存在しないからな。さくらの父親の毒殺事件のように」
「お、お前は……。誰なんだ」
今俺の目の前にいる少女は、いったい……。
「そうだな。それを答えれば、この事態を解きほぐすには足りるか」
一歩、前に出る。だがそれは、単に足元に転がる手提げ袋を取り上げるためだったらしい。手提げ袋から取り出した本を後ろの不喫先生に渡し、さらにもうひとつ、スマホを取り出した。
スマホ? 俺のものじゃない。ひょっとして、彼女のか? そういえば、カーディガンのポケットから滑り落ちた後、手に持っていたはずのスマホをいつの間にか手放していたが……。
手提げ袋の中に滑り込まされていた? そのスマホのGPSを追ってここまで来たのか。
「それでは自己紹介といこう。名乗りは大事な礼儀だからな」
黒いワンピーススカートを摘まみ、恭しく彼女は腰を負った。
礼儀正しく、ではなく。
嫌味ったらしく当てつけるように。
「麗人学院二年生、個々森
「……」
「実にサプライズ。噂の高校生探偵とは僕のことだ」
俺は回れ右して走り出した。
窓を開き、庭に出て。
そのまま塀を乗り越えて道路に飛び出す。
「思い切りいいな」
不喫先生の呑気な声は遠くに聞こえた。
自分でもこんな動きが素早くできるなんて考えもしなかった。長く暮らした自宅だが、庭に何があって、どこからなら塀を超えやすいかなんて想像もしていない。
それでも人間ってやつは追い詰められると爆発的な力が出るらしくて、気づけばするっと俺は自宅を飛び出せていた。
…………追い詰められて?
なんで俺が追い詰められて?
俺が何をしたって言うんだ!
「自覚がない、と。最初から対話に持ち込まなくて正解だ。コミュニケーションとは人間同士だけにしか許されない高度な営みだからな」
さらっと。
少女――
なんだよ!
俺の人生はいつ、自称高校生探偵の馬鹿どもにいいようにされるものになったんだ?
俺の人生だぞ!
「なら人生の重みを噛みしめろ。それは轍さくら自身の重さでもあるはずだ」
カーディガンが翻る。
中から、サッカーボールが出てくる。
黄色いサッカーボール。
小学校の中ではスリッパ履きだったので気づかなかったが、今の彼女はスニーカーを履いていた。
ていうかそれって、俺の家に土足で上がったってことだよな。まさか靴を履き直して追ってくる暇はなかったはずだし。
なんて。
どうでもいいことが頭によぎる。
「は……っ!」
息を吐いた。
笑ったのかもしれない。
だって、逃げるやつをサッカーボールで仕留めるなんて。
本当に漫画の中の高校生探偵みたいじゃないか。
そんな漫画アニメみたいな展開、現実を生きる人間なら簡単に回避できる。
だって、そこの曲がり角を曲がればいいんだから。
真っすぐにしか蹴り飛ばせないボール。しかもそれを蹴るためにあの子どもは足を止めた。あいつの足なら普通に走っても俺に追いつけるかもしれないのに――――。
「――と思っているようだから言っておくぞ」
角を曲がる瞬間。彼女の声が後ろから追いかけてくる。
「僕の技術は玄人裸足ってやつだ。あいにく、足に合う下駄がなくてな」
眼前に、ボールが迫る。
「え」
よく見えなかった。
変だな。ボールが、曲がったように見え……。
気づけば、俺は太陽に熱せられた熱々のアスファルトの上に転がっていた。
だが熱くはない。
何も感じない。
頭が、未だ現実に追いつかなかった。
何がどうなって、いる?
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