#16:緊急事態

 ついうっかり彼女の珍しい笑みにほだされるところだったが、むしろ事態はどんどんひどくなっている。

 的外れの推理で彼女がガンガンと前に進みだした。これまではただのボランティア、メイド喫茶の従業員くらいに思っていたのに、ここへ来て急にだ。対処を誤れば、何が起きるか分からない。

 そこで俺は予定を変更。急いで麗人学院に向かった。貴雄先輩に対処を願い出るためだ。アプリで連絡したが返答を待つより先に麗人学院へ向かっていた。

 先に脳髄書館へ向かって本を返却しておけばよかったと気づいたのは後になってだ。それほどに焦っていたし状況は煮詰まっていた。

 ところが、焦ってことを進めても上手くは行かないものだ。

「入場許可は出ていますか?」

「……あ」

 しまった。一昨日は読子先輩、昨日は貴雄先輩にとってもらっていたのだが……。今日はそもそも、麗人学院に来る予定はなかった。そして貴雄先輩に連絡はしたがまだ返答はないという状況。入場許可などあるはずもない。

「どうすれば……」

 炎天下の中、アプリの開きっぱなしでバッテリーが熱を持ち始めたスマホの画面を見ることしかできない。送信したメッセージには未だに既読すらつかない。

 あの人は今、何をしているのか……。

「お、おっと?」

 聞き覚えのある声がして振り返った。そこにいたのは何を隠そう読子先輩だ。

「先輩?」

「やあ。君がこんなところにいるとはね。私が入場許可を出したのは一昨日だったと思うのだけど、知らぬ間にデロリアンは時を超える機能がオプションでついたのかな。それどこのディーラーに行ったら買える?」

「訳分からないこと言ってないでいいですから! 今すぐ校舎の中に用があるんです!」

「ふうん?」

 万年インドアの読子先輩はアームカバーに日傘、サングラスと万全の紫外線対策を施していた。どこかのセレブかと言いたくなるが、そういうコントはやっている場合ではない。

「つまり中にいる高校生探偵とやらに用があると」

「そうなんですよ」

「おいおい。そうはいっても私は一生徒だ。諸々の手続きを無視して君を入れることなんてできるわけないだろう? たとえ頭脳髄家の人間だとしてもね」

「……そういうものですか? 名門高校なのに?」

「名門高校ってことは、私程度の家柄の人間なんていくらでも生徒にいるということだからね。まあ私はその手の横紙破りできる側の人間なんだが」

 警備の人と簡単に言葉を交わすと、なんと先輩は俺を簡単に校内へ招き入れた。じゃあさっきの発言何だったんだ。……地域の学習を一手に担う頭脳髄家は、学校からすれば大勢の生徒の中のひとり程度の家柄でも便宜を図る以外に選択肢のない一族だということか。家柄の程度というよりその家が抱える力の種類の問題だったわけだ。

「まったく。ほとんど登校しないのにいざ来たら我儘し放題では立つ瀬がないよ」

「すみません」

 とはいえ、やはりこの手の強権は使うだけ立場を悪くするものでもあると。

「構わないさ。金銭も情報も信頼も、私の抱えるリソースという意味では等しい。使うべき時には惜しみなく使うべきだ。抱え落ちほどもったいないものはないからね」

 あまり学校に来ないという先輩は学校を嫌っているのかと思ったが、むしろテンションはいつもより高いくらいだった。はしゃいでいるような……。単に夏休みの学校という非日常に興奮しているだけかもしれないが。

「しかし随分慌てていたじゃないか君。探偵によほど緊急の用があるらしい」

「はい。……いや、別に急ぐことでもないのかもしれないですけど」

 読子先輩に茶々を入れられたことで少しだけ冷静になる。考えてみれば、あの傲慢メイドさんが恥をかいたところでそれ自体は俺のあずかり知らないことなのだ。

 とはいえ……。

「下手に動いている子がいまして。彼女が赤っ恥をかくのは自業自得ですからいいんですが、状況をかき回されると困るなと」

「ほう?」

「それで貴雄先輩に相談をと」

「…………先輩?」

 職員玄関から入り、スリッパに履き替えたところだった。俺の言葉に読子先輩が疑問を浮かべる。

「ああ、いや、二年生なんだっけか。じゃあ君からすれば先輩か」

「…………え?」

「君は立場よりも年齢の方を重視するタイプと思っていたんだが。……………………………………ああ、そういうことか」

「どうかしました」

「失礼特に何もない。いろいろ合点がいったというだけだ。アオイから変な指示が出ていたのでね」

 指示? 何の話だろう。アオイ……ってのは一昨日生徒会室で見た、あの暑苦しい体育教師みたいな男性だよな。読子先輩からその人経由で、俺は貴雄先輩に会っているわけで。

「あれもあれで苦労する。どうせ高校生探偵からの言伝をそのまま私に通しただけだろうがね。とはいえ理解できない指示をそのまま相手に伝えるというのはストレスにならないのかな。その辺割り切れるのが大人ってやつなのかねえ」

 突き当りの階段を登って三階が生徒会室だ。だが、読子先輩は突き当りまで行くと、そこから折れて外へ出ようとした。別の棟へ続く渡り廊下がそこにあったのだ。

「どっち行こうかな。……どっち行くのが正解だ? ああ面倒だな。私はこういうの向いてないんだ」

「先輩?」

「アオイなら……こっちか」

 くるりと反転し、階段を登り始める。さすがに不登校では校舎の見取り図に対する理解は俺とほぼ同じくらいか。

「ところでつかぬことを聞くんだが」

 こちらを見ることなく、先輩が尋ねてくる。

「君が会ったという高校生探偵の名前ってなんだったかな」

「…………はあ、え?」

 質問の意図を図りかねた。

「質問の意図を図りかねた、と思ったみたいだから言っておくとその努力は無駄だから止めた方がいい」

 まったく理解が及ばない。

「まったく理解が及ばないだろうだからそういうのはいいんだって。これは確認だよ。私が存在のレイヤーを上に押し上げて安心するための作業でもある」

 立ち止まり。

 振り返る。

「鹿谷天馬君。少し思ったんだが、もしこの事件が小説だったら、私はどんな立ち位置になるかな。君を語り手とする、轍さくらの『』から始まる過去の毒殺事件の探求。その物語を書くならば、私はどういう人物になる。登場人物一覧にはなんて書かれるだろう」

「………………」

「埠頭区に存在する私立図書館。その運営者の一族の娘で、自身も図書館の番人として存在する高校生。おあつらえ向きに博覧強記ときている。自分で言うのはだいぶおもばゆいのだけど、これって結構名探偵っぽくないかな」

 それは……そうだな。確かに、読子先輩は探偵みたいなキャラ設定をしている。

「でも私は探偵じゃない。少なくとも君にはそう見えている。どうしてかな?」

「それは……真実を解き明かすという行為は、まず現実を直視しないと始まらないから、でしょう。変人が変人であるゆえんは、現実認識の歪みに端を発する言動の奇妙さにある。現実認識が歪んでしまう人間に、現実の積み重ねである真実は解き明かせない」

「それは君の言葉じゃない。君にそれだけの思索を重ねる力はない」

 ずばりと。

 決めつけるように言ってくる。

「私は私が探偵役を自認できない理由を知っている。どっかの誰かさん曰く『』のさ。私は探偵に情報を渡すことはできても探偵にはなれない」

「それは……」

「誰の発言か分からないだろう。君のレベルはその程度だ。そんな君がなぜ探偵役を私ではない誰かだと感じたのか。それはもう単純。探偵は少女に向かない職業だからだ」

 その言葉の意味は理解できなかった。ただ、読子先輩は芯からそう思っているわけではないらしいというのはなんとなく分かる。

 彼女がそう思っているのではなく。

 俺がそう思っているのだと指摘しているようだった。

「話が逸れたね。私もたまには意味深長な、見透かしたようなことを言ってみたかったのさ」

 再び階段を上る。

「それで。君の会った高校生探偵とは誰だったかな」

「雪駄屋貴雄先輩」

 間髪入れず。

 そんなことを言われ――――――え?

 真夏だというのにセミの声は聞こえない。室内だからではなく、あまりの暑さにセミも出てこないからだ。猛暑が酷すぎるとセミが出てこれないと聞いたことがそうじゃなくて。ぴろん、ぴろんとうるさいのはセミではなくスマホから聞こえるアプリの通知音だった。音からしてメッセージアプリではなく、ニュースアプリのはずだ。通知を許可した記憶がないのだが、たぶんさくらの誘拐が世間でどう認識されているか把握するために通知を許可したんだっただろうきっと。

「しかし誰なんだろうな、雪駄屋貴雄ってのは。不登校の私はとんと聞かない名前だ。男だということしかわからない」

「え、いや……そんなわけはないでしょう? 貴雄先輩って、名前を読子先輩自身が言っていたじゃないですか。『高校生探偵タカオ』って」

「うんそうだね。だから私自身が結構驚いている。がいるとは思いもしなかったものでね」

「そんなはずは……。だって、あの人は自分のことを高校生探偵だって」

「言ったのかい? まさかとは思うけどそれっぽい名前で呼ばれていたとか、当人はそんな気がしていないけどへえそんなふうに呼ばれてたんだとか思わせぶりなことを言ってたりしないかい?」

 そっちだった気がしてくる。確かに……言われてみればあの人は自分を高校生探偵と自称したことはない。

 なんだった?

 高校生探偵じゃなくて相談役だったか?

 なんだよ相談役って!! 島耕作か?

「生徒会の相談役、ねえ。うちの高校の生徒会に相談役なんて名前の役職はないんだが」

 先輩がため息をつく。

「ちょっと考えれば分かると思うんだけどね。つい最近まで女子校だった学校の生徒会に正式な役員でもないのに入り込んでる男子生徒とか絶対クソ面倒な厄タネだぜ?」

 面識がないのをいいことに言いたい放題だった。

 だが……だとするとどういうことだ?

 何がどうなっている?

 雪駄屋貴雄……貴雄先輩が高校生探偵ではない。これは確定的な情報だ。なにせ俺に紹介した当の読子先輩がそう言っているのだ。先輩に俺を騙す動機はないし、そもそもこの人の紹介である以上、この人が違うというなら違うという結論にしかならない。俺がいくら「いや貴雄先輩こそ高校生探偵だ!」と言い張ったところで読子先輩が紹介したかった人は別人なのだ。

 じゃあ本物の『高校生探偵タカオ』とは誰なのか。だが今この瞬間に限り、それはあまり重要じゃない。

 ヤバい……。

 やばいやばいやばい。

 俺はさくらのことをあの人に喋りすぎている。

「急転直下。あまりにも唐突な路線変更だが仕方ない。なにせ君のストーリーラインに『相談した高校生探偵が実は偽物でした』なんて設定は用意されていないんだからね。君の語りが悪い」

 貴雄先輩は俺が求める本物の高校生探偵が自分じゃないことに気づいていたはずだ。最初から! だって自分は高校生探偵なんて呼ばれたことがないはずなんだから! だとして、なんで先輩は俺を騙して高校生探偵のフリをしたんだ?

 動機はおそらく、さくらだ。

 何がどうつながるのかまでは分からないが……。俺がさくらの件を相談しようとしていたから、探偵のフリをして情報を集めていたんじゃないのか? ただの一般人の俺を騙して得られるものなんてそれくらいしかない。

 さくらが俺の家に今いるという情報。さくらがどうして家出したのかという情報。

 幸い、俺は自分の住所を明かしてはいない。だが貴雄先輩は俺の住んでいるところをおおよそ把握している。尋常区の高校の徒歩範囲だと。そこから調べればある程度絞られているかもしれない。

 ……………………いや。

「待ってください」

 そこまで思考が進んで、肝心なことを思い出す。

「読子先輩は高校生探偵と面識がないんでしたよね。高校生探偵タカオとは聞いていても」

「そうだね」

「だからアオイという教師を仲介役にした。……なんだ、だったら貴雄先輩が高校生探偵で合ってますよ。勘違いしているのは読子先輩の方です」

「ふうん?」

 生徒会の顧問。貴雄先輩が青井先生と呼んでいた人だ。あの人が仲介役なら、間違えてはいないはずだ。なにせあの人が俺を貴雄先輩の客として引き合わせたのだし、入場許可もあの人が取って、警備の人が電話で確認したから俺が通れたのだ。

 なんだ……変な勘違いか。焦ったせいでおかしいことを。

「どうしたお前ら?」

 と、そこで。

 噂をすれば影だ。

 階段の上に、紺色のジャージを着た熊のように大柄な男性教師が立っていた。件の青――――。

?」

 読子先輩が首をかしげる。

「この学校にこんないかにもな体育教師がいたとはな。……体育教師か? てっきりそう思ったが」

「………………………?」

 面識が、ない。

 !?

 先輩は青井先生と面識がない? どうして?

 じゃあ彼女の言っていたアオイこそ誰だよ!? この人が俺の入場許可を取り付けたんだぞ? そういえば一昨日、生徒会室への行き方を教えてくれた女性職員も……。

 あれ?

 そういえばあの人たち、一瞬誰か分からないような素振りをしていたような……。

「ここにいたのか」

 今度は階段の下から、人が出てくる。

 例の。

 あの、幽鬼のような司書教諭だ。

 不吉先生。

「やあアオイ」

「は…………」

 そっちが、アオイなのか。

 じゃあ俺が一昨日、脳髄書館で会ったこの司書教諭が? 昨日、『チャーチグリム』で会っていた飲んだくれの男がアオイなのか?

「アオイ、随分こんがらがった状況らしいぞ?」

「……聞いてはいる。だが本当に?」

「ああ。君の名前がアオイ不喫フキツなのも原因だろうな。フキツ先生なんて呼ばれ方を君が嫌うので気を利かせて苗字で呼んだせいで大変な惨事だ」

「僕はあの名前嫌いでね。喫することなしとは、まるで生まれて死ぬまでキリキリ働けと宣告されているみたいだ」

「その割に名前の通りの勤労ぶりだ。休みに生徒の様子をいちいち見に来るくらいだからな」

 苗字がアオイ……? そんな、そんなややこしいことがあってたまるか!

「それより、聞きましたよ青井先生」

「おう?」

「僕が受け取るはずだった入場許可を勝手に承認したそうじゃないですか」

「そうだったか? 悪い悪い! まー警備のやつが早とちりしたもんでな!」

「早合点してるのは先生もでしょう。身に覚えがないなら受けないでください。警備に差し障ります」

「細かいな。別に大したことじゃないだろう」

「一応つい最近まで女子校だったものですから、警戒は厳にと」

 じゃあなんだ?

 この粗野な教師が身に覚えのない俺の入場許可を取ったのか?

 そして勝手に貴雄先輩への客だと思い込んで紹介したと?

 で、貴雄先輩はその流れを利用してあたかも高校生探偵かのようにふるまって?

 俺は騙されたって?

「はあああああああああああっ!!!?」

 俺は取るもの取らずに駆けだした。

 さくらの身に、どんな危険が迫っているのか分からなかったからだ。

「……おい、そこの君!」

 不喫先生の呼びかけも気にする暇がない、が。

 ぴこーん、と。

 通知が届いた。

 その音がさっきまでのニュースアプリと違った気がしたので、立ち止まってスマホを取り出す。肝心の貴雄先輩からメッセージが届いたと思ったのだ。

 だが違う。これもニュースだ。

『速報:横浜市内の小学校で出火。男女二名の遺体を発見』

『尋常小学校で火災。男女二名が焼死体で発見』

『死体に外傷あり。他殺の可能性も』

 …………。

「なんだよ、もおぉ…………」

 現実が、どんどん、分からなくなっていく。

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