展開編:俺たちは現実を知らない

#14:とんだ忘れ物

「あーっ!!」

 唐突な叫び声に驚き、俺は自室を出てリビングに降りた。

 そこではテレビを見ていたさくらがソファに座って呆然としていた。

「どうした?」

「ご、ごめんなさいおにーちゃん」

 大声をあげてしまったことに謝罪して、さくらがテレビを指さす。

 ひょっとして、事件に関して何か大きな進展があったのだろうか。

 そう思って見てみると、朝のワイドショー番組が映っているだけだった。少なくとも毒殺事件や誘拐事件の進捗を伝える絵面ではない。

 画面の向こうで流れていたのは、映画の紹介だった。番組側に金を握らせて、大して面白くもない映画をまるで超大作のようにタレントたちに絶賛させるあれだ。映画は『かっぱ寿司の秘密』……かっぱ寿司の秘密!?

『先生のチェーン店シリーズは一般文芸として刊行されましたが、データによるとむしろ、中高生に人気で最近は小学生まで読者層が低年齢化しているとか。読者の低年齢化に伴って執筆の苦労などありましたでしょうか』

『いやー。子どもたちが読むと思うと緊張しちゃって……。最初はオフィスラブとかあって、それはさすがに見せられないなっていろいろ工夫したんです。でもヤングアダルトのレーベルで文庫化したときに、児童向け小説に詳しい編集さんにつないでもらったおかげで助かってます』

 インタビューを受けているのは北小路あいろという女性作家である。どこかで聞いたことがあるな。チェーン店シリーズ?

 名前の柔らかい感じにたがわぬ、明るい笑顔の女性だ。和装姿なのはよく分からないが、それも作家らしいと言えなくない。

『今日のお着物も綺麗ですね。北小路先生と言えば、SNSでは和服ファッションの写真を上げていることでも有名ですね』

『ありがとうございますっ! これ、友達に選んでもらったんです。着物友達。でも最近、結婚しちゃって遊ぶ機会も減って……。二十代前半の友達が結婚したのに三十路の私に出会いが――――』

『以上現場からでしたー』

 作家なんてインドアな個人事業をしていたら出会いがないのもやむをえないだろう。……専業作家なのか? いまどき珍しい。

『というわけで新作映画楽しみですね。北小路先生は漫画原作者としても有名でして、なんと秋にはアニメが公開されるようです。楽しみですね』

「……で、これがどうかしたのか?」

「え、えっとね。思い出したんだけど」

 なるほど。テレビの映像自体は事件と関係ないけど、関連して何か思い出したのか。

「小学校の教室に、借りてた本を忘れてきてた……!」

「えー……」

 そっちも事件関係ないのかよ。

「大変なことだよ! 脳髄書館で借りた本だったの! 先週借りたから、来週に返さないと」

 脳髄書館の貸出期限は二週間だ。

「貸出延長すればいいんじゃないのか?」

「無理だよ。予約がいっぱいで次に借りる人も決まってるんだから!」

「ふむ……」

 これは少し問題があるな。いや貸出期限と予約者がいることは当然問題だけど、それだけでなく……。さくらが借りたことは脳髄書館側で把握している。それなのに貸出期限が過ぎた、しかも予約がある本を返さないとなると向こうが状況を把握しようとするだろう。ただでさえ警察が平凡な家出に見える事件を熱心に捜査するおせっかいを発揮して、クラスメイトがビラ配りをする中、さらに詮索するやつを増やすのは得策じゃない。

「でも返却ってわけにも……」

 じゃあ回収して俺が返却とはいかない。なんで俺がさくらの本を持っているんだって話になってしまう。

「それは大丈夫だよ。返却ポストに入れておけば誰が返したかは分からないし。ママがあたしの部屋にある本を返したって思うんじゃないかな」

「……なるほどな」

 返却ポストは図書館の開館中は使えないのだが、幸い今は蔵書整理の長期休暇中だ。ポストに突っ込んでおけばいい。監視カメラの存在は気になるが、顔を隠して本も見えないようにすればいいか。さすがにポスト内のどの本がいつ入れられたかなんて判別はつかないはずだ。

「おにーちゃん、お願いしていい?」

「それくらいなら、構わないよ」

 なにより。さくらにとって警戒するべきフレデリカさんを無遠慮に招いてしまった前科がある。さくらの信頼は稼げるときに稼ぐ方がいい。

「あたしの教室は五年三組だからね。机は……横に名前の書いた巾着がぶら下がってるから分かると思う」

「本は机の中だな? じゃあ行ってくる。いつものように、人が訪ねてきても出ちゃダメだからな」

「うんっ!」

 そうして今日も、俺は夏休みを使って動くのだった。



 尋常小学校は徒歩圏内なので、『レオーネ』に行くよりは簡単な道筋だ。しかし問題がある。そのことに俺は小学校へ近づくまで気づけなかった。

「しまったな……」

 問題。それは警備だ。麗人学院がいい例だが、最近の学校は不審者が侵入できないよう警備が厳重だ。あらかじめ入校の許可を取り付ける必要があるし、その許可だって簡単には下りないだろう。それこそ麗人学院は、頭脳髄家のご令嬢読子先輩と生徒会の高校生探偵貴雄先輩という完璧な身元保証人がいたが、小学校ではな……。さくらの知り合いですと言って入れてもらえる道理もないし。

 ところが。

 俺の不安は杞憂だった。

「あ、ボランティア関係の人ですね」

「え?」

「会議は昇降口から校内に入ってすぐの階段を上ったところの教室です」

「……はあ」

 ここの警備員はバイトだったとしても失格レベルのザルだった。俺を勝手にビラ配りのボランティアの関係者だと勘違いして入れてしまう。急ごしらえの警備のツケなのか、公立学校なんてどこもこんなものなのか。そういえば俺の通う尋常高校も、麗人学院ほど立派な警備が敷かれている気配はなかったしな。

 ビラ配りと言えば、伏がボランティアに参加しているのも間が悪い。高校生の俺が来てもボランティアであることを早合点してしまう下地ができているわけだ。

 なんにせよ、助かった。これでさっさと用事を済ませてしまおう。

 昇降口に入ると半透明の衣装ケースらしいプラスチックの箱へ無造作に、スリッパが大量に詰め込まれているのを見つける。どうやらこれに履き替えろという意味らしく、実際、来客のものらしい靴が近くに並べて置かれている。

 俺は履き替えて、さらに校内の奥へ入っていく。これで知り合いに……伏なんかに出会ったら、ボランティアで来ているという体裁を取っているせいで面倒になるな。

「あ、天馬くん」

 階段を上ったところに伏がいた。なんでだよ。いやボランティアだからか。

 伏は珍しく、制服姿だった。いや麗人学院の女子制服を俺は知らないんだが、半袖のブラウスとプリーツスカートでまさか制服じゃないってことはないだろう。胸ポケットのあたりに校章らしい模様も刺繍されているし。

 そんな伏はハンカチを取り出して、隣にいる少女の汗を拭ってやっていた。……『チャーチグリム』にもいた、あの高慢なメイドさんだ。

 さすがに今はメイド服を着ていない。ノースリーブの水色のワンピースを着て、白いカーディガンを右手に持っている。生白い腕がむき出しになって、目のやり場に困るほどだった。

 さっきまで外を歩いていたのか、それとも健康な子どもらしく代謝能力が高いのか、伏より汗をひどく掻いていた。

「こんなところで会うなんて奇遇だね。でもどうしてここにいるの?」

「あー、えっと」

「こいつは僕が呼んだ」

 少女が伏の言葉に答える。というか地味に彼女の一人称を聞くのは初めてだな。高慢僕っ子メイド。設定が過積載過ぎる。

「少し訳ありだ。伏はボランティアの会議の方に出てろ。その間に、こっちは僕が受け持つ」

「りょーかい。それじゃ、上手くね」

 ハンカチを仕舞い、伏は教室に入る。残されたのは俺と少女だけだ。

「…………上手くね、か」

 残った汗を、彼女は左手首に巻いたリストバンドで拭った。

「なんで俺を呼んだなんて嘘をついたんだ?」

「確認したいことがある。そのために面倒を排除しただけだ。お前としても、事件の解決に興味はあるだろう?」

 事件の解決……?

「夏休みは長い。それに子どもなら何度でも味わうことになる。でも小学五年生の夏休みは一回きりだ。お前にも、僕にもな。さくらにその一回きりの夏休みを失わせる道理はない」

「……ああ」

 なるほど。シンプルで分かりやすい動機だ。彼女の探偵としての能力はともかく、その意気は本物というわけだ。

「最後の情報収集だ。こういうのは、一番知ってるやつに聞くのが一番いい」

 ちらりと、彼女は階段の下を見た。俺もつられてそちらに目線を動かす。

 そこには、スーツ姿の男女二人組。大人がいた。

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