#12:メイドと教師
さくらの周囲に蠢く厄介な大人についてはさて置き、俺は貴雄先輩との約束があったので、また家を出た。今日はまったく忙しい。
ちなみに服は着替えて俺の通う尋常高校の制服にした。私服でもまったく構わないだろうとは思うが、やはり学校に行くのに私服では妙に落ち着かない。繊細な事件の話をするのに余計なことで集中力を削がれるのを嫌った形だ。
しかし埠頭駅についたところで、先輩からメッセージが入った。
『サッカー部の応援が長引いて少し遅れる』
「まいったな……」
そういえば、昨日そんなことも言っていたな。生徒会が忙しいのは漫画の中だけと思っていたが、名門校はまた別らしい。
どこかで時間を潰す必要があった。こういうとき、埠頭区内なら当然、脳髄書館を利用するわけだが。
間が悪いとはこのこと。図書館は閉館していた。なんでも蔵書整理のための長期休暇らしい。夏休みが中盤に入って子どもの利用が増える前に、一度身ぎれいにしようという算段か。
いずれにせよ、路頭に迷った格好だ。まあ都会の埠頭区中心部なので時間を潰す場所に困ることはない……と言いたいが、制服を着てきたのが面倒だった。時刻は夕方を過ぎたところ。制服姿でゲームセンターだのアミューズメント施設だのに入ったら、巡回の警察官や教師に変な目をつけられかねない。
幸い、日は傾き酷な暑さも多少は和らいでいる。どこか適当な場所を探して……。
そこでひとつ、思い出してスマホで検索する。
『チャーチグリム』。
伏がバイトをしているという店だ。あまり興味はなかったが、時間を潰す場所を探していたのなら都合がいい。行ってみるのも一興だろう。それに彼女が言うには、『レオーネ』の従業員や常連客も利用しているという。なにか思いもよらない情報が手に入るかもしれない。
調べたところによると、いわゆる喫茶店兼バーという趣の店らしい。昼間は喫茶店、夜は酒を出すバー。店主は英国王室に仕えていた経歴がある元メイドの老婦人だとかで、従業員への教育は厳格。バイトの時給はその分高いが、麗人学院その他周辺の高校からバイトに来た生徒は数日経たず逃げ出すという。名門のお坊ちゃんお嬢様が逃げ出すってどんなレベルだよ。
マップアプリに場所を聞くと、脳髄書館と麗人学院の間にある一角を示した。これで学院と反対方向なら少し考えたが、近いところなら余計に行かない理由がない。ともかく時間潰しをかねて向かうことにした。
『チャーチグリム』があるのはある種の住宅街だった。ただ尋常区の、それこそさくらの通う小学校があった住宅街とまったく雰囲気は違う。素人の俺でも豪勢な造りと分かる邸宅が並ぶエリアだ。道は広くとも、両側に塀があるせいで圧迫感が強い。そしてそれぞれの屋敷に大きな庭があるのだろう、家と家の間は広く取られていた。
こんな高級住宅街に、高校生がバイトをするような店があるのだろうか。ただいくら家が立派でも、そこに住む人の様子が極端に違うということはないらしい。俺の後ろから駆けて追い抜いてきた三人の小学生らしい子どもたちは、黄色いサッカーボールを蹴ってわんぱくに遊んでいる。道路で遊ぶのは危ないのだが、このあたりは車通りも多くないようだ。
三人組はひときわ広く、それでいて奥まった気配のT字路に行きついてボールを蹴り合っていた。ちょうど、その路地の突き当たりが目的地の『チャーチグリム』のようだ。黒い木の柱や梁がむき出しになって、そこを白い漆喰が埋める奇妙な色合いと組み合わせの建築物。客商売の店らしく、周囲の住宅より塀は低く作られ、解放感を出しつつ「入ってもいい」という合図を送るようだった。
あの呑気そうな伏がバイトをしている店なのに、『レオーネ』よりはやや入るのに緊張する店構えだ。『レオーネ』と違って店内の様子はほとんど見えないし。唯一開いている窓も少し高い位置にあるせいで、中は伺えない。
ともあれ、ここまで来て入らないという選択肢もない。ただの暇つぶしなら俺の一存だが、情報収集の目的もあるのだ。
入るか。
「へーい。パスパス」
「ちょっと待てって」
しかし入れない。単に店の前で遊んでいる三人組の子どもが邪魔だからだ。面倒だな。
「あっ」
案の定というか、やらかした。
子どものひとりが、ボールを強く蹴ったのだ。ボールは浮き上がり、パスを出された子どもの頭上をはるか超えて飛んでいく。その先には、『チャーチグリム』の大きな窓がある。幸い窓は開いているのでガラスを割る心配なさそうだが、店内にボールがあの勢いで飛び込んだら大惨事だ。
と。
悲劇を覚悟したところで。
窓から何か、モノクロの塊が飛び出してくる。
「…………メイド服?」
黒いワンピースと、白いエプロンドレス。ふわりとシルエットを膨らませるスカートとフリル。
そのメイド服は窓から飛び出すと、胸でボールを受け止めた。ボールに速度があったはずだが、胸元で受け止めるとバウンドすることなく荒ぶる勢いは収まる。
メイド服がボールと一緒に降りてくる。一度、塀の上に着地。ボールは先に地面へ落下し、バウンド。
衝撃を殺すように、塀の上からゆったりとメイド服が飛び降りる。メイド服の下降動作とは真逆に、先に落ちたボールは跳ねて上に。
そこでようやく。動作が落ち着き舞い上がるフリルとエプロンが制止したことで俺はそのメイド服の正体に気づいた。
尋常小学校で、伏と一緒にいたあの少女だ。
「や、やべっ……」
少女がにらみつけると、子どもたちはあからさまにうろたえる。
そして。
重力に引かれて再び落下してきたボールを、少女は蹴った。
極めて自然な動作。無造作と言ってもいい蹴り姿だったが、そこに無駄な力みや緊張はなく、眠気のある人間が欠伸をするような、当たり前で生理的な挙動にすら見える。
すなわち優雅である。
蹴鞠が平安時代の貴族に親しまれていたという話を聞いて、正直理解できなかった。どうして偉い貴族がそんなあくせく運動に励むのか。だがただボールを蹴るという動作ひとつにこれほどの高貴さをまとわせられるのなら、そりゃ蹴るだろうというものだった。
彼女はお嬢様ではなくメイドさんだが。
「うべっ!」
蹴られたボールは淀みない軌道で子どものひとりの顔面に直撃した。
「ここで遊ぶな」
「ひえええぇぇぇ!」
構図だけならば悪ガキに委員長気質の少女が注意をするというもので、この年頃の子どもなら揶揄の対象になるものだ。だがメイドさんの使用人らしからぬ圧のある言葉に恐怖し、子どもたちは捨て台詞ひとつ吐くことなく逃げ出した。ボールを放置するくらいだからよっぽどだ。
「…………ふん」
足元に転がってきたボールを、少女は足で操り出す。手癖というか足癖というか、それもまた無意識で自然の動作らしく見える。彼女はサッカーの経験があるのだろうか。
「……ん」
「やあ」
ようやくメイドさんは俺に気づいてくれた。ボール遊びを一度中断する。
「お前は……尋常小学校で通りすがったロリコンか」
「いやなんでだよ」
「轍さくらの件に興味を抱くやつの半分はロリコンだからな」
とてつもない暴論だ。
「俺はロリコンじゃない。さくらの件は、そりゃ近所に住んでいるんだから当然気にするだろ?」
「…………ふん。そういうことか」
またメイドさんはボールを弄び始めた。軽く上に蹴り上げ、足と膝でリフティングをする。あのロングスカートでよくやるものだ。
「大方ここには時間つぶしで来たか。この路地は『チャーチグリム』以外住宅しかないどん詰まりで、お前は住宅に用があるようには見えないな。……ああそういえば、伏がお前に会ったと言っていたな」
「そうだ。そのときこの店を教えられたもので、来てみたんだ」
「麗人学院で用を済ませようとして、お預けを食らったらしいな」
「まったく参ったもんで……え?」
どうして彼女はそんなことを知っている?
確かに『チャーチグリム』の存在は伏に教えてもらった。だが昨日埠頭駅で彼女に会ったときも、今日コンビニで会ったときも、麗人学院に用件があることは話していない。麗人学院の用件とはさくらの事件のことで、当然、ボランティアでさくらの失踪に関して情報収集のビラを配っている彼女たちに話はしないからだ。
なのに、なぜ。単に俺が埠頭駅近辺にいるというのなら、脳髄書館に用があったと推理するのが普通だ。少なくとも麗人学院よりは用のある人間が多いだろう。しかし彼女は、麗人学院とピンポイントで指摘した。
どうしてそんなことが。
俺の思索は、ボールがより強く蹴り上げられる音で中断する。彼女は塀の裏側へボールを落としたのだ。黄色いボールは残像を俺の視界に残しながら塀の向こうへ消える。
ともすれば自分が店の窓を割りかねない行為だが、平然とやっている。ボールの操縦技術によほどの自信があるらしい。
「入っていくか?」
「え?」
「サービスはしないが。一応客商売だからな、呼べる客は呼ぶのが筋だ」
主人にかしずくメイドどころか、客商売の従業員すら彼女の不遜な態度では務まらないと思うが、それでも仕事はするらしい。
言われるがまま、俺はメイドの少女に連れられて店内に入った。
店内はダークブラウンのフローリングと、同系統の色合いの家具が並んだ落ち着いた雰囲気をしていた。しかし暗くなりすぎないよう、カーテンやマット、飾られた食器類などがアクセントを出している。敷居が高いように思えたが、入ってみると案外アットホームというか、馴染みやすそうな店だ。
今日は朝から動きっぱなしなので落ち着くため、カウンターではなくテーブル席を用意してもらった。今は店内が閑散としていて、カウンターで料理とワインを摘まんでいる男性ひとりがいるばかりだった。従業員の方が多い。
テーブルの横に置かれたメニューを見る。この店はイギリス風の紅茶をメインにした喫茶店らしく、紅茶の種類がずらりと並んでいた。ダージリンだのアールグレイだの聞いたことのある茶葉から、ラプサンスーチョンというよく分からないものもある。適当にダージリンのアイスティーとスコーンを頼んだ。
「みゃーさん、注文」
「ほいほい」
猫みたいな名前で呼ばれた人がカウンターから出てくる。実際猫みたいに瞳が大きく、動きにどこか蠱惑的なところのある女性だった。入れ替わりにメイド少女はエプロンを脱いで裏手に消えていく。
「ほら、先生。飲み過ぎるとまた呆れられますよ」
カウンターから出てきたついでに、みゃーさんとやらは男性客に声を掛ける。
「構わないでしょう。人間、日が沈む前にアルコールを入れたい日もあります」
「それには賛同しますけどね、子どもの前では止めてください」
…………ん?
男性客の声に、聞き覚えがある気がした。
「というか先生、あの子の様子を見に来たんでしょう? 仕事中じゃないんですか?」
「もう一年以上様子見してますけど、特に問題を起こしたことないから構わないでしょう。というか夏休みにまで仕事なんてしたくないです。大奥様にも良くしてもらっているようですし、ここなら安泰ですよ」
「まったく……」
再び女性メイドが奥に引っ込むのに対し、メイド少女がまた出てくる。エプロンは身につけていた。おそらくボールを受け止めて汚れたエプロンを替えていたのだろう。
「今日はとことん暇ですね、先生」
少女は休みの日にゲームばかりしている子どもを見るような目をしていた。
「それで、例の事件についてですが……」
「ん、ああ、それなんだが、どうも変なことに……」
男性客が少女の方を向いたことで、横顔を伺えるようになった。
幽鬼のようなその顔立ちは……。
「あっ」
「うん?」
昨日、脳髄書館にいた不吉先生とか言う、変な教師だった。
「ああ、君は。…………………………誰だったかな」
向こうは覚えていなかった。
「つい最近会った気がするんだが」
「昨日、脳髄書館で会いましたよ」
「………………………………ああ君か」
たぶんまだ正確には思い出せてないな、と感じさせる間があった。
「その節はどうも。なにぶん、いろいろ慌てていたもので。でもおかげで読子先輩のこと思い出して、高校生探偵に繋がれましたよ」
「読子さんの知り合いだったのか。………高校生探偵? すると彼女が言っていた件は?」
「…………………………」
メイド少女がじっと教師を見つめる。というか、読子先輩はどうしてこの人に事件の話を?
「この朴念仁は一応麗人学院の司書教諭だからな」
少女が口を挟む。
「当然、同校の生徒でしかも頭脳髄家となれば交流もある。だったな?」
「あーそうそう。そんな感じ」
ガンガンと靴で椅子を蹴る。この少女と教師の力関係は明白のようだ。
「聞いた話によると」
さらに少女が話を続ける。
「昨日、麗人学院にいたんだったな。伏と埠頭駅で出くわしたのもその都合か」
「ああ」
これはどうも、話の流れってやつだな。
俺はさくらパパの毒殺の件を、彼女たちに話してみることにした。
無論、さくらを俺が保護していること。そして貴雄先輩の存在は内密にして。
「話してみろ。この店は『レオーネ』の客や従業員も来るからな。何か有益なヒントが得られるかもしれないぞ」
まるで誘導されるように、俺は言葉を吐き出した。
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