#10:真実に向かえ
件の女性、てっきり外国人観光客だと勘違いしていたその人はフレデリカ・メルツァと名乗った。
「フレデリカでいいよ。ファミリーネーム呼びづらいし」
イタリア料理のレストランに外国人。らしいと言えばらしいのかもしれない。彼女の短髪も衛生面を神経質に考慮する必要のあるレストランなら当然とも言える。
「昨日はありがとうね。助けてもらって。まさかここで再会するとは思ってなかったけど」
「いえ、その……」
改めて対面すると、やはり背の高い人だ。ウェイトレスのフォーマルなパンツスーツが様になるカッコよさがある。
「それにしてもこんなお店に高校生がひとりで? 食べ歩きが趣味なの? まあいっか。お礼させてよ。おねーさんが奢っちゃうからさ」
「あーっと……」
参ったな。今日は客としてさりげなく店内を調べるくらいにするつもりだったのに、まさか既に従業員と接点を持ってしまっていたとは。だがここで固辞するのも違和感があるし……。
こうなったら、むしろ事件当時の話を当事者の従業員から聞き出してしまうか? 遅いか早いかの違いでしかないなら、この機会を利用した方がいいかもしれない。
「ふーむ?」
フレデリカさんは俺の沈黙をどう受け取ったのか定かではないが、何か探るようにこちらを見た。
「ひょっとしてお連れの誰かを待ってた?」
「え?」
「ほら。一緒に私を助けてくれた女の子いたでしょ。あの子、彼女じゃないの?」
「い、いえ違いますが」
「あらそう。夏休みにひとりは寂しいねえ」
なんで俺が独り身なの前提で話しているんだろうこの人は。フレデリカさんを一緒に助けた女の子――伏が彼女じゃないとして、じゃあ俺が別の誰かと待ち合わせている可能性は考えないのか。
「おーい、フレデリカちゃん」
厨房からひょっこりと、小太りの髭のおじさんが顔を覗かせた。厨房の入口付近にはいろいろな表彰状のようなものが、額縁に収められて壁に掛けられていた。中にはイタリア語なのか、外国語で書かれているものもあってその正体が分からない。
「なにしてんの?」
「あーマリオさん。いやね、知り合い」
「知り合い?」
「そ。一名様ご案内」
言って、彼女は俺を店内に案内する。
店内は暖色系の明かりが柔らかく輝く落ち着いた雰囲気だった。客はまばらで、みな料理に舌鼓を打ちながら楽しく談笑していた。
「あいにくカウンターがなくって。テーブル席でいい?」
「はい」
「それとも外の方がいいかな。ちょっと今は暑いけど、内緒話はむしろ店内の方がやりづらいだろうし」
「え?」
ちらりと、彼女は俺の方を見た。悪戯めいた、大人の女性の色気のある流し目だった。
「何か訳アリって感じだったけど、気のせいかな?」
「それは……」
「最近ちょっと事件があったからね。その関係かと思って」
最近? さくらパパの毒殺事件は一年くらい前では……あ、そうか。さくらの誘拐の話か。実態が誘拐ではない上に、俺は毒殺事件の調査で来たつもりだったからすっかりそちらが意識から抜けていた。
結局、俺はテラス席に案内された。往来のある外で事件の話などして大丈夫なのかと思ったが、むしろ店内に物騒な話題を響かせるほうが問題か。それに通行人がレストラン客の雑談にいちいち聞き耳を立てるとも思えないし。
外はひどく蒸し暑かったが、テラス席はそれでもある程度過ごしやすかった。張り出した日よけがきちんと日陰を作っているし、地面もアスファルトではなくタイルなので照り返しがそう厳しくない。
席に着いてすぐ、フレデリカさんが水の入ったグラスとおしぼりを持ってくる。
「ご注文は?」
「じゃあ……」
注文する料理は決めてある。無論、毒殺事件の時、パーティで提供された料理だ。毒それ自体は貴雄先輩の推理が正しければアルコールの分解を阻害するキノコである。料理のどれにキノコを入れやすいか確認してみるのがいいだろう。
「アンティパストのセット、リゾット、タリアータ……。えーっと、ポルポアッフォガードっていうのはありますか?」
「タコの溺れ煮? 君珍しい料理知ってるねえ。でも残念、うちじゃタコ扱ってないんだよね」
「そうなんですか?」
「うちで食べられるって誰かから聞いたのかな?」
「いえ……」
どういうことだ? いや、パーティのメニューが必ずしも店で提供されたものと同一とは限らないが……。単に季節的なものか? タコは今が旬じゃないから? だがフレデリカさんの口ぶりから察するに、通年でタコは扱っていない様子だった。
だがまあいいか。溺れ煮がどんな料理かは知らないが、キノコを混ぜられそうな料理は他にいくらでもある。
「じゃあそんなところで」
「はーい。少々お待ちを」
店内に引っ込んだフレデリカさんは、少しして大皿を持って戻ってくる。それがアンティパストのようだ。オードブルのようなものとさくらから聞いていたが、なるほどそうらしい。肉やチーズの盛り合わせセット。前菜としてつまむだけでなく、おつまみとしても提供されているだろう気配があった。
「お待たせ」
大皿がテーブルの上に置かれる。彼女は俺の正面に腰かけた。
「このオムレツみたいなものは何ですか?」
「オムレツ」
「いやそうじゃなく」
おそらくタマゴ料理の一種だというのは素人の俺にもわかる。もう少し詳細な情報が欲しい。
「フリッタータって言って、本当にオムレツみたいなものだよ。中にはトマトとボルチーニ茸が入ってる」
「ボルチーニ……」
キノコか。なるほど、オムレツにすら入れられるのではどうとでもなるな。正直、貴雄先輩の話を聞いたときは納得したが、後になって「いやさすがに怪しいキノコがあったら気づくのでは」と冷静になっていたところだったんだが……。これなら食べさせること自体は容易に過ぎる。
オムレツに混ぜた場合、証拠隠滅に平らげるのが少々手間ではあるか。もし共犯がいるならその人に始末を手伝ってもらえばいいし、別にオムレツに混ぜたと決まったわけでもない。ひとりで始末できるちょうどいい料理に混ぜたとも考えられる。
「イタリア料理だけじゃなくてフランス料理とかにも使われる有名なキノコだよ。実はイタリアってキノコ狩りもメジャーでね、ここの料理長夫婦も毎年イタリアに行ってキノコ狩りしてくるくらいだから」
「料理長夫婦……さく――轍氏の?」
「そうそう轍さん夫婦。よく知ってるね。SNS見た?」
「そんなところで……」
SNSは確認したが、写真は見てないんだよな。というか写真が上がってたのか? 俺が確認したのはあくまで店の立地と様子だけで……。
ん?
「轍さんって料理長なんですか? 経営者ではなく?」
「そうだけど?」
「それで、キノコ狩りに毎年行っていると」
「うん。ほら、店内によく分からないイタリア語の書類が飾ってあったでしょ。あれ、キノコ狩りの許可証。地域によって変わるんだけど、イタリアだと講習受けて許可出ないとキノコ狩りできない場合も多くてね」
「…………」
さくらのパパとママは料理人。そしてキノコの区別は間違いなくつく。するとパパにこっそり毒キノコを食べさせるのは難しいのか? それともやはり料理に混ぜればバレないのか。
随分際どい話になってきたものだ。パパがキノコに詳しいから毒キノコを見分けられたとも考えられるし、ママがキノコに詳しいからアルコール分解を阻害する毒キノコを使おうと思いついたとも言える。どちらが真実なのやら。
少なくとも、貴雄先輩が推理したように、毒キノコの見分けがつかないという話は単純ではなくなった。仮に毒キノコをパパにこっそり食べさせるなら、もう一工夫が必要かもしれない。実際はやっぱり気づかず食べちゃいました、が真相かもしれないけれど……。それでさくらが納得するかも怪しい。
そう、肝心なのはさくらの納得だ。仮に真相が明らかになっても、それをさくらに信じさせなければ意味がない。逆に真相でなくとも、彼女の安全が確保されるのなら問題がないとも言える。
「フレデリカー!」
「はいはーい」
店内から呼ばれて、フレデリカさんが戻る。……そういえばなんでこの人は、さらっと俺の目の前に座っていたんだろう。仕事は?
ともかく。適当に大皿の料理を摘まんだ。チーズも肉も、食べたことのない味わいだったが癖が少なくて舌に合わないということはない。日本人向けにいい塩梅で味付けを調整しているのだろう。フレデリカさんもそうだしさっき見た小太りの料理人もそうだが、外国人が多く働いている割には本格的な格式よりも気安さの方が前面に出ている感じがする。
ふと通りの方を見ると、反対側で何かが蠢いているのが見えた。気になってもう少し意識を向けると、それは暑苦しい制服を着こんだ警察官だった。何をしているのかは分からなかったが、地面を熱心に見ているのだけは理解できる。
「はいお待たせ。タリアータとリゾット」
フレデリカさんが次の料理を運んで戻ってくる。そしてまた当然のように椅子に座る。
「仕事はいいんですか?」
「んー? まあね」
その言葉にはどこか含みがあったが、俺が深く立ち入ってもあまり実入りのなさそうな様子だったのでスルーした。
運ばれた料理の内、さすがにリゾットは分かる。タリアータは牛肉を薄切りにしたものだとさくらが語っていたが、その言葉通りの料理だ。チーズのようなものがかかっているのが分かるが、これはパルミジャーノレッジャーノだという。
さて一口……の前に、水を飲んだ。水滴がついたグラスは滑りやすく、手から落ちそうになって少し警戒した。そこで思い出す。
「このお店、プラスチック製のグラスは使っていないんですか?」
「プラスチック?」
おうむ返しにするフレデリカさんの反応でだいたい察した。
「サイゼリヤじゃあるまいに。いくらうちが気軽なイタリアンレストランだとしても、そこまで安物の食器を使うほどじゃないでしょ」
「そうですよね……」
実際、さくらはグラスの材質については何も言っていない。ただパパが倒れる直前、グラスを落とした音があまりに軽々しかったと覚えているだけだ。俺もてっきり絨毯か何かに落ちた音なのだろうと思っていたが、店内を見渡す限り絨毯を敷くような内装ではないはずだ。だからグラスの材質が落としても割れず、軽い音を立てるもの、つまりプラスチックだったのではと思ったのだ。
グラスの材質は重要、だろうか。貴雄先輩の推理なら毒はキノコそのものであり、ワインは関係ないはず。だが、気になる……。
「……………?」
フレデリカさんは俺の顔を怪訝そうにのぞき込む。さすがに、ぶしつけによく分からない質問を繰り返し過ぎただろうか。
「少し、いいですか?」
「え?」
不審に思う彼女にどう話を切り出したものか考えていると、唐突に横合いから声を掛けられた。俺とフレデリカさんはきょとんとしながらそちらを見ることになる。
そこには、さっき通りの向かいで地面とにらめっこしていた警察官が立っている。
「歓談中のところ申し訳ない。少し、聞きたいことがあるのですが」
その警察官は端正な顔立ちをしていて、いかにも誠実そうな雰囲気を漂わせている。紳士な優男という印象。その、いかにも自分は良い人だと言わんばかりの気配がむしろ俺はあまり好きになれなかった。
「実は最近、この辺でちょっとした通り魔事件があって。今、その捜査をしているんです」
「あー」
フレデリカさんには心当たりがあるらしかった。
「そういえばあったね。なんだっけ? この辺の貴金属店を営んでるボンボンが犯人だったってやつ?」
「まだ容疑者の段階なんですが、容疑を固めるために凶器のガラス瓶を探さなければならなくて」
「こんなところに落ちてるの?」
「ええ。容疑者が言うにはこのあたりに捨てたと。聞き込みでは、市から雇われた清掃業者が確かにそれらしいものを回収したと言っていました」
「よく覚えてたね」
「このあたりにガラス瓶のポイ捨てなんて珍しいですからね。ただ割れていた上に、当時はそんな大事な証拠だと思いもしなかったので普通に回収して処分してしまったと。業者が覚えている限り、割れた瓶の中で特に、凶器として用いるなら容疑者の握っていそうな飲み口から首のあたりの見覚えがないということで」
「それでこの辺に割れたとき、そういう部分が転がってないか探してたんだ?」
「はい。業者の処分場は同僚が探していますから」
大人二人が会話をしている間に、スマホを取り出してニュースを検索した。確かにここいらで、通り魔事件があったらしい。フレデリカさんが語ったように、犯人は近隣のブランド貴金属店を営む経営者の息子で、悪い噂の絶えない札付きだったようだ。
「でも、それを探してどうするんですか?」
「うん?」
俺は思わず聞いた。
「仮にその飲み口が見つかって……指紋がついていて犯人の容疑が確定したとして。相手は金持ちでしょう。悪い弁護士をつけて無罪にするか刑を軽くするかもしれない」
「どんな被告人でも、弁護士をつける権利はあるからね。腕の立つ弁護士でも擁護しきれないよう、きっちり退路を塞ぐように捜査をするのが我々の仕事だ」
「だとして、最近は精神疾患を偽って責任能力がなかったフリをして無罪になろうとする人も多いんじゃないですか?」
「精神疾患を持つ人間が必ずしも責任能力がないと証明されるわけではないんだ。その精神疾患の性質に応じて、責任能力は判定される。それに精神疾患が原因で不起訴になった人は、病気だから強制入院させられるケースがほとんどだろうね。そして現在の日本の精神疾患医療の現状では、下手をすると普通に刑罰を受けるより不自由を強いられることも考えられるだろう」
「それでも、その苦労が報われるとは限らないんでしょう?」
どうして自分でもここまで食い下がるのかはよく分からなかった。今まさに俺が、真相の見えない事件に直面しているからだろうか。
いや。
たぶん違う。
俺は単に、この警察官ののらりくらりとした態度が気に入らなかったのだろう。俺自身が読子先輩や貴雄先輩の助力を得て、過去のぼんやりとした事件の真相に、それでも確実に迫りつつあるという実感も持っているのが原因だ。なによりさくらの話を聞いた、その俺の話を聞くという又聞きですら的確な推理を下した貴雄先輩を見たからでもある。
きっとそれ以前ならば、この警察官のことを真面目で勤勉な公務員だと思ったに違いない。だが今はそうは思わない。知能を巡らして真相に迫る方法があることを貴雄先輩に実演された後では、この人のやっていることは努力したフリにしか見えなかった。
「そうだな。私のやっていることは無駄に終わるかもしれない。いや十中八九そうだろう。今更ガラス瓶の破片がここで見つかる可能性は限りなく低い」
警察官は穏やかに語った。
「でも、私は結果だけを求めてはいない」
「…………」
それはあまりにもズレた善良さだった。
いっそ怠惰という罪に数えられるくらい。
「今の世の中はね。どんな努力をしても結果が出るとは限らない世界だ。あるいは結果が出そうになったところを、誰かにトンビのようにかっさらわれることもある。そんな世界で自分もまた結果だけを求めるのは、いらない競争に自ら足を突っ込むようなものだ。やる気も失せていくし、なにより結果を求める中で大切なものを見失うかもしれない」
「大切なもの?」
「大事なのは、真実に向かおうとする意思だと私は思っている」
…………。
「今回は容疑者を捕まえられないかもしれない。でも、向かい続ける限り、いつかはたどり着くだろう。向かっているんだからね」
結果を求めていない?
結果の伴わない行動に果たして、何の意味があるのだろう。
やっている感。いやそれより悪い。この警察官が満足している間に、容疑者は釈放され、また罪を犯して誰かを犠牲にする。
「それでは。食事中に邪魔をして悪かったね」
警察官は去っていく。また別のところでゴミ拾いでもするのだろうか。それとも休憩に向かっただけか。
「今どきにしては珍しい真面目な刑事さんだねえ」
フレデリカさんは呑気にそんな感想を抱いていた。
「どうだか。あの調子じゃ解決できる事件もできなくなりそうですよ」
「だから君はさくらちゃんの事件を警察に頼らず探っているのかな?」
「…………!」
おっと。
思い出したように、急角度から切り込まれた。
「ここ最近の事件だと、さくらちゃんの誘拐とあの通り魔くらいだもんね。で、君は通り魔事件についてスマホで調べていた。つまり知らなかった。なら高校生の君が訳アリみたいな気配を漂わせて場違いなイタリアンレストランに来る理由は、さくらちゃんの件だけでしょ」
考えてみれば、当然か。料理長夫婦の娘の失踪なんて、『レオーネ』でも中心的な話題になるに決まっている。そこに俺みたいな場違いな人間が来た。そしてフレデリカさんは、この悪戯っぽい性格と合わせて考えれば、俺にカマをかけたんだろう。
「何か隠してることがあるよね? おねーさんに話してみなさい」
さあ。俺はどうする?
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