#8:探偵推理第一回

 腹の探り合いはいかにも知的で賢く見えるが、意味のない場合がほとんどだ。だから俺は、素直に現状を貴雄先輩に伝えることにした。

 四日ほど前、さくらを保護した。さくらがママを殺人犯だと疑い不安になっている。その原因は一年ほど前の毒殺事件にある。もちろん、毒殺事件の概要も。

 衆人環視の中、ターゲットのパパだけを毒殺することは可能なのか。しかも、警察に疑われることなく。その死因を急性アルコール中毒だと誤認させて。

「ふむ、なるほど」

 生徒会室の窓際に並べられた、ひときわ大きな執務机と革張椅子のセットに先輩は腰かけ、思案気に頷く。本来であれば生徒の信任を得た生徒会長が座るべき椅子に堂々と居座っている。それほど、彼の立場が特殊で、かつ生徒会の信頼を得ているのが分かった。

「いくつか可能性が考えられたが、轍家父の死因が急性アルコール中毒だという点を鑑みれば、妥当なのはひとつしかないだろう」

「……本当ですか?」

 さくらの説明は決して詳細ではなかった。小学生の記憶力と理解力で、しかも肉親が殺されているという混乱の中なのだから無理もない。さらにそんなさくらから話を聞いた俺の話を又聞きしただけで、この人は複数の可能性を考え、そこから有力なひとつを絞り出したと?

「別に不思議なことじゃない。安楽椅子探偵ものといって、現場に出ることなく推理を働かせるような場合も少なくないからね。似たようなものだと思ってくれていい」

「はあ……。でもどこまで状況が正しいのか。さくらの記憶が曖昧なのは仕方ないにしても、警察が本当にきちんと解剖したのかどうか。あの神奈川県警ですし」

「さすがに司法解剖は大丈夫だろう。きちんとしたところで行われているはずだ。ではどうやって被害者だけを急性アルコール中毒に陥れたのか。これは単純。毒キノコだよ」

「毒キノコ!?」

 思わず大声が出る。

「毒キノコの中にはアルコール類と同時に摂取することで問題となる種類のものがあるんだ。なんでもキノコの中に、アルコールを分解する酵素の働きを阻害する成分を持つものがあるらしい。ホテイシメジなんかがその代表例で、こうしたキノコに含まれる成分はアルコール依存症の治療に使われたりする」

 さすが高校生探偵ということか。ハワイで親父に習った……わけではないだろうが、すらすらと出てくる。

「アルコールの分解を阻害するということは、通常よりアルコールの許容量が著しく落ちるということだ。依存症治療の場合、そうやって『お酒を飲むと気持ちよくなるどころか悪酔いして気持ち悪くなる』という状況を作って脳にそれを学習させるわけだ。そして今回は、被害者がキノコを摂取したことでアルコールの許容量が落ちた状態でいつも通り酒を飲み……」

「急性アルコール中毒になった」

 これなら、さくらのパパの死因は説明がつく。

「キノコを食べさせるのも、被害者をそれとなく誘導させればいい。夫婦ならそう難しくはない。いくらか皿に盛って被害者に提供し、残りは即座に自分で食べてしまえば証拠も残らない。ただのキノコだ。それがあったかどうかなんて誰も覚えていないよ」

 なるほど。キノコを食べさせるだけなら普通の毒を使うのと状況的には変わらない。だが犯人自身が食べて証拠隠滅できるという特徴は大きなメリットだ。酒を飲まなければ害はない。パーティの主催者なら酔うわけにもいかないから酒は断りやすいだろうし、そもそもママは酒を飲めない下戸という可能性もある。

「でも、さすがに毒キノコと普通のキノコの区別はつくんじゃないですか? だって、さくらの両親は料理人なわけですから」

「実はそうでもないよ」

 俺の考える推理の粗など既に考慮済みと言わんばかりに、貴雄先輩は笑う。

「キノコの仕分けは非常に難しくてね。まず素人だけでキノコ狩りをしてはいけないというのは常識だ。そしてプロの人間すら、時に間違える。まして事件現場はパーティの開かれたレストランだ。まさか毒キノコが出現するなんて思ってもみないし、それが調理されているなら余計に区別はつかない」

 盲点、意識の外というやつか。キノコの区別はプロでも間違える。「区別しよう」と意気込んでそれなのだ。毒キノコの存在など最初から考えてもいないパーティ会場の、料理に混ぜられたキノコをいちいち見分けようとはしない。

「そしてもうひとつ。確認してほしいのはさくらさんの両親が本当に料理人なのかという点だ」

「……それは、どういう?」

「単純な話、両親は料理人ではなくレストラン『レオーネ』の経営者というパターンはあるんじゃないかと思ってね」

「…………ああ」

 それも、まったく考えていなかった。

 言われてみれば、さくらは具体的なことは何も言っていない。レストランの主たる従業員ということでてっきり料理人だと思い込んでいたが、経営者の方だという可能性はある。イタリア料理店を経営しようというのだから経営者だってまったく料理に疎いはずもないが、さすがにキノコの区別は難しいはずだ。

「だとすると、動機に案外経営の問題も絡んできそうですね。パパの浮気相手が店の従業員だったとか」

「さてね。そこまでは分からないから、要確認というところかな」

 貴雄先輩は慎重に答えた。

「いずれにせよ、一度現場のレストランを見ておいた方がいいかもしれない。パーティ当時と様子は大きく違うだろうけど、それでも発見はあるだろう」

 現場百遍というやつだ。

「それに今回の目的はあくまで、さくらさんを安心させて家に帰すことだ。いくら事件の真相が明らかになっても、そこを達成できないでは意味がない。落としどころを探る意味でも、いきなり母親に当たるのは無理でも従業員に何か協力を仰げないか、様子見をしておくべきだろう」

「様子見……」

「真実を開示して、すべての関係者が参りましたとしてくれれば簡単なんだけどね」

 少し気が重いのか、ため息をついて貴雄先輩は椅子に背を預ける。高そうな革張椅子もさすがにギシギシと不満そうな音を立てた。

「真実がそれだけで価値を持つ時代は終わってしまったんだ。真実は適切に運用されて初めてその価値を十全に保つ。大事なのは真実よりも、むしろ真実をどう相手に納得してもらうかという点だ」

 ついさっき、コンビニで見た雑誌の見出しが思い出される。

 それにしても意外だ。

「高校生探偵と言う割に、思ったよりは常識的なんですね」

「そうかな?」

「はい。探偵だから、もっと変人かと。知的好奇心を満たせたら後は知らんぷりするようなタイプだと思ってましたよ」

「それは、フィクションの探偵だけの話だよ」

 先輩が再び体を起こす。

「天馬君。君はフィクションの探偵をどれだけ知っているかな」

「えっと……。体が子どものやつとじっちゃんの名に懸けるやつくらいですかね」

「数寄者でもない限りそんなところだろうね。あれらの漫画は国民的と言って差し支えないから。実写化でジャニーズとジュノンボーイが演じるなら作品としての知名度も説明不要なレベルだろう」

 実写化してたのか。アニメしか知らないぞ。

「実はその名探偵たちは、まだだいぶ普通寄りのキャラ造形なんだけどね。なにせ原初のホームズ様でさえ薬物中毒者だ。犬やら猫やらが探偵をやったりさえも当たり前。それがフィクションの世界だ」

「よく考えたらそうですね。でもなんでまた変人ばかり……」

「探偵というのは、その物語の顔だからね。魅力的な人物でなければならない。そしてフィクションにおいて魅力的な人物とは、概して変人なんだよ。普通の人間なんてみんな、現実で嫌というほど見飽きているものだから」

「でも普通の人間が魅力に見えることってありますよね。普通の、でも大人としてきちんと責任をまっとうするようなキャラは人気があります」

「責任を果たす大人というのが既にフィクションなんだけどね。それを差し引いても、普通のキャラが魅力的に映るのは、それだけ普通が得難いからだ。変人が多くいるから、常人が際立つ」

 そして話が戻る。

「では天馬君。どうして変人は変人だと思う? 演じていないのなら、どうして変人は変人になってしまうんだろう」

「それは……」

 生まれつき変人だから。でも、それじゃあ答えとして不適切な気がした。

「答えは、彼らの認識にある」

 俺の行き詰まりをすぐに察したのか、即座に貴雄先輩は答えを返す。

「世界に対する認識の差だ。例えば、このペン」

 先輩は机の上にあるペン立てから一本、引き抜いて置いた。赤色のボールペンだ。何の変哲もない。

「この赤ペンが君にだけ緑色に見えていたらどうだろう」

「えっと……」

「君だけがこのペンを緑色だと思っている。他のみんなが赤色と認識する中で。さてそんな状況でこのペンについて話したら、どうなる? 君はみんなと話が合わなくなる。なにせ見えている色が違うんだから。そして、君はみんなにとって変人になる」

 つまり。

「変人と呼ばれる人たちは、現実認識に齟齬を抱えている。だから言動がおかしくなり、周囲から変人と呼ばれる」

 言い換えるなら、と。

 貴雄先輩は銀縁眼鏡のブリッジを押し上げ、強調的に発言する。

「変人とは現実を正しく見られない人たちだ。明白に赤色のペンを緑色だと思ってしまう。さて、そんな人たちに真実を突き止められるだろうか。現実が歪んで見える人たちが、現実を読み解くことでたどり着ける真実に至ることなんてあるだろうか」

 それが、答え。

 貴雄先輩が探偵ながら、いかにも普通の人だったのはこれが原因だったのだ。

 変人には現実が見えない。

 現実が見えなければ推理はできない。

 ゆえに、変人は探偵になれない。

 ここは物語の中ではなく、現実なのだから。



 翌日はレストラン『レオーネ』に行くことになるだろう。その予定を立てながら、俺は帰宅するべく埠頭駅を目指した。脳髄書館も麗人学院もそこが最寄り駅なのだ。

 帰ったら、レストランの場所を調べないといけない。店のグレードによっては、ドレスコードなんかもあるかもしれない。さくらの話を聞く限りは、そこまで敷居の高い店ではないはずだが。

 それから、歩きながら少し考えたが、さくらに『レオーネ』に行くことは隠すことにした。別に秘密にするようなことでもないと思うが……。例えば俺が店に行って、帰ってから「君のママは殺人犯じゃないよ」と言っても、言いくるめられたようにしか見えないかもしれない。その疑念をさくらに持たせないために、ママとは接触していない状態で客観的な情報から真実を見つけたのだというパフォーマンスが必要だ。

 ま、店に行ってすぐママに会えるかどうかも分からないんだが。一年前の事件現場を見て何が得られるかも定かではない。今は秘密にしておいて、必要に応じて開示すればいいだろう。

 駅に入って、改札を潜ろうとしたところでカードの残高が心もとないことを思い出した。チャージするために券売機へ方向転換する。ピークは過ぎたとはいえまだ暑い夕方前だ。早く冷房の利いた電車内に入りたいところだが。

 そういえばモバイル版の交通系電子カードはオートチャージとかあるんだよな。もし捜査が難航すれば電車に乗る機会は増えるわけだし、これを機に利用を考えてもいいかもしれない。

 券売機のチャージ用機器の前に並んだ。この駅は利用者の大半が通学定期の学生だと決め込んでいるのか、気軽にチャージできるチャージ専用機は一台しかない。あとは券売機にチャージ機能があるもので、こちらはカードを機械に挿入し、その上でちょいちょい面倒な操作が必要だった。

 それこそそのくらいの手間など惜しむ理由もないのだけど、どの道券売機はのたのた切符を買う人が使っていて並んでいた。これならチャージ専用機の列に並んだ方が早い。実際、五人ばかり並んでいたが三分しないうちに俺の前の人まで列が消化されていく。

 だが最後のひとりが問題だった。のろのろしている。

 金髪のとても背の高い人だった。髪があまりに短いので男性かと思ったが、女性らしい。外国人だから操作がおぼつかないのか。だがどうも、機械の操作に手間取っているというのではない。体の動作全体がのろのろとしていて、体もふらついている。

 ひょっとして何か、体調でも悪いのだろうか。

 そう思ったのもつかの間。

「…………っ!」

 足をもつれさせて、その女性は倒れた。

「あ…………」

 兆候こそあったが、いざ本当に体調不良で倒れられると、思考が停止してしまう。

「その…………」

「大丈夫ですかっ!?」

 運良く。

 困ったところに助け船があった。横合いからするっと、誰かが入り込んで倒れた女性を抱え起こしてくれた。

「ねえあなた、ちょっと手を貸して! この人を涼しいところまで運びたいから」

「あ、ああ」

 言われて、ようやく俺も動く。

 そこで。

「ん?」

「あなたは……今朝の人?」

 助け舟の人物に見覚えがあった。今朝、尋常小学校でビラ配りのボランティアを監督していた麗人学院の女子生徒だ。

 奇遇というか、こんな偶然があるとは。いや、そうでもないか? 学院の生徒なら埠頭駅を使うことはあるだろう。ボランティアを午前中にしたのなら、報告に学校へ戻ってくることもあるだろう。

 その間に、事態を聞きつけた駅員が駆け付けた。俺よりもよほど屈強な大の大人なので、女子生徒はもちろん俺もこの時点でお役御免となり、女性の手当ては彼らに任されることとなる。

「大丈夫かな、あの人」

 女子生徒はまるで身内でも倒れたかのような素振りを見せた。ボランティアの件といい、基本的にどこまでも善良なのだろう。

「ありがとうね。手助けしてくれて」

「え? いや……」

 むしろ助けられたのはこちらだったので、そう言われると戸惑ってしまう。

「わたしは犬塚伏。あなたは?」

「鹿谷天馬だ」

 伏と名乗った少女の姿を、俺はここでようやく観た。観察とはただ見ることではない、という名探偵の台詞がよく分かる。今朝は例の、口の悪いさくらの同級生に注意が向かっていたために伏へまったく意識が向いていなかった。

 伏は俺と同じくらい……むしろ少し高いくらいの背丈だった。同年代の女子としては高背の部類。ヒールのある靴でも履いているのかと思ったが、踵がほとんどないサンダルを履いていた。髪を後ろで軽くまとめているがポニーテールと呼べるほど長くなく、ちょこっとしているのは犬の尻尾みたいだ。肉付きは良い方だが太っているとかだらしないという印象は受けない。同年代の女子にこう思うのもおかしな話だが、包容力があるという感じか。薄着のせいで、胸の大きさが強調され気味なのはどうにも困ったことだ。

「それにしても、朝からボランティアして今から学校とは忙しいな」

「そうなんだよねえ。なんでも用事があって学校にお客さんが来るからって不喫フキツ先生が」

「フキツ……?」

 なんか今日聞いた名前な気がするが、誰だっけ? そんな特徴的な名前、忘れないと思うんだが。いかんせん今日は忙しかったし、本題は午後の貴雄先輩との邂逅だったのでそれ以前のことは忘れ気味だ。

「うちの図書室の先生。変な先生なんだよね。やる気がないのかあるのか。昼行燈っていうのかな。今日だって仕事が休みなのに来客の話を超学交流会の人から聞いてセッティングしたりさ。たぶん仕事とプライベートの区別がないんだろうね。鹿谷くんはどうしたの?」

「俺は……脳髄書館に」

 伏が勝手に自分の事情を喋っただけなのに、なぜかこちらも喋らないといけない気分になってしまった。しかし事件の調査の件を軽々に話していいはずもなく、何とか嘘をついた。これがただの通りすがりとの雑談ならともかく、伏はさくらの事件に関連したボランティアをしているのだ。

「ふうん。勉強?」

「そんなところだ」

 さすがに目の前の、偶然知り合った男が事件の中心人物だとは思いもしなかったらしい。伏は腕時計を見て、慌てたように言った。

「じゃあ行くね! 手伝ってくれてありがとう! お礼するから今度良かったら店に来てね」

 走り去る彼女を尻目に、俺はふと思った。

 店どこだよ。

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