#7:高校生探偵邂逅

 麗人女学院……じゃなくて麗人学院の所在地は脳髄書館の近く、同じ埠頭区内なので家に戻ることはしなかった。図書館で適当に時間を潰し、近くのファストフード店で昼食を摂ったら移動する。

 家で留守番をしているさくらが気がかりではあったし、今は私服なので麗人学院へお邪魔するのに制服に着替え直そうかとも考えたのだが……。読子先輩は「別にいいよ」と言った。いや万年不登校のあの人の言い分を信用する道理もないんだけど。実際、あまりの暑さに移動が億劫過ぎたので、やはり一度帰宅するのは取りやめた。

 こういうとき、さくらがスマホを持っていないのがいろいろ不便だ。持っていて電源を入れたらGPSから居場所がバレるからどの道使えはしないけど、何かしらの連絡手段はあって然るべきだろう。さくらは家から出ないのだから、タブレットにメッセージアプリを入れてWi-Fiで接続するくらいの措置でなんとかなるはずだ。

 そんなわけで午後。

 俺は麗人学院に向かった。朝早くですら暑かったのに、太陽が天高く上る昼過ぎはもう暴力的としか言いようがない。いつから夏はこんなに暑くなったのか。人が生きていける気温ではない。

 よっぽど道中コンビニに寄って涼んでいこうかと思ったし、なんなら一度コンビニに入った。だが雑誌コーナーの週刊誌を見て、すぐ俺は本来の目的に復帰した。週刊誌の表紙に書かれた様々な三文見出しの中に、『AIによるディープフェイクの危機!』と書かれていた。それが別にどうというわけではないが、涼しい出版社のオフィスで記者が不安を煽る記事を書いている一方で、本当に不安を抱えたさくらをそのままにするのがあまりにも不公正だと思ったからだ。

 さくらが肉親を殺人犯かと疑う不安に比べれば、夏の暑さなどさして問題ではない。

「ここか……」

 麗人学院はまるで白亜の城だった。税金こそほとんど投入されていないにしても公的施設であるならばその見た目に大きな差はないものだと思っていたが、俺の高校やさくらの通う小学校とはまたえらい違いだ。校舎は美術館みたい……というか建物そのものが美術品のようで、太陽の光を受けて存在感を増している。

 それにしても二年前から共学になったと言うが、男子生徒を受け入れるにあたり施設になんらかの改築を施さなかったのだろうか。それとも素人の俺には分からないが、きちんと改築されていてそれが目立たないようになっているのか。

 学院の正門は閉じていて、横の通用口が開いている状態だった。そこから入りたいところだが、詰所に警備員らしい人がいて見張っている。

「すみません」

「はい?」

 元女子校とはいえさすがに警備員は男性だった。いかにも柔道で黒帯ですと言いたげな大柄な男だ。詰め所が余計に小さく見える。

「午後から校舎に入る許可をもらった鹿谷天馬と言います」

「鹿谷さん? では身元を証明できるものを」

 俺は財布から運転免許証を取り出した。原付のものだ。

「誰から手続きを受けていますか?」

「アオイ先生という人から」

「では確認しますね」

 警備員は近くの受話器を取った。おそらく職員室にでも繋がっている内線電話だろう。

「もしもし。こちら正門詰所です。午後からの入場許可で確認を。鹿谷天馬さん。外部の高校生です。アオイ先生に確認を……まだ帰ってきてない?」

 おっと?

「というか今日は来る予定がない? じゃあなんで許可なんて……。ああそっち? そっちか。職員会議でまだ学校にいますよね。はい、確認してください」

 少しして、また受話器の向こうがうるさくなる。

「はい。入場許可。鹿谷天馬さん。はい……え? ああ、はい。じゃあそれで」

 なんとか、面倒は回避できたようだ。

「確認取れました。では校舎内にいる間はこちらを首から下げてください」

 俺は受け取った入場許可証を首にかけながら、中に入った。

 ただでさえ学校に私服で入るのは場違い感があって緊張するというのに、それがまったく外部の学校、しかも名門お嬢様学校となればどうにも緊張した。今日が夏休みだったおかげで好機の目にさらされる危険性が低いのが幸いだ。それでもソフトボール部だろうか、グローブを持ってその辺を歩いていた女子生徒には怪訝そうな目で見られてしまった。

 校舎へは職員や来客用の昇降口から入る。付近に並べて置かれていた来客用スリッパを使った。考えてみれば、これほど大規模な施設ながら土足禁止なのは学校くらいじゃないだろうか。それだって大学くらいになればわざわざこんなことはしないはずだ。なんで土足じゃ駄目なんだろうな。

「おい、その新聞も剥がしてくれ」

「え、ああ、はい」

 昇降口ではふたりの女性職員がなにやら、掲示板から張り紙を剥がしていた。来客に見せつけるための掲示板なのだろう、いろいろ大仰な見出しの記事が躍っている。大手新聞の地方欄から、学校新聞の類もあるらしい。

 だがそれらの記事はどれも色あせている。名門高校と言えどそうそう見せつける話題もないのか、それとも無頓着なのか。

「でもこれ、去年からずっと貼ってましたよ? なんで今更」

「生徒の顔写真が載ってるからな。前の事件でちょいと注意を引きすぎたってんで、剥がしておくのが無難だろう」

「はあ。この飛び級の子が。なんて読むんですかね名前」

「ここ……なんだ? 本当に読めない名前だな」

 どうやら新聞に生徒の写真が掲載されていたと。さらにそれは、たびたび話題になる飛び級の生徒らしい。しかし読めない名前ってなんだ。よほどのキラキラネームなのか。

「ん? おい小僧」

 そうこうしていると、職員のひとりに気づかれた。小僧て。

「何の用だ? うちの学校の生徒じゃないだろ」

「そうなんすか?」

 もうひとりの反応はあまりに牧歌的だった。女性職員ということは、ひょっとすると女子校時代からの人かもしれない。それなのに男性の部外者に対して警戒心が薄すぎないか。

「馬鹿。ここから入って来客用のスリッパ使うやつが在校生のわけあるか。第一、男子生徒は数えるほどしかいないんだぞ。さすがに顔は分かる」

「でも今夏休みっすよ? 上履き家に持って帰ったとか」

「高校生にもなって上履き洗わないといけないほど汚すか? 仮にそうだとして、じゃあなんで持ってこないんだよ。洗ってもとっくに乾いてるだろ」

「ああそうっすねえ」

 心底興味なさそうだなこの人は。

「あの……許可なら得てるので」

 俺は首から下げた入場許可証を見せた。

「何の用だ?」

 質問は繰り返される。

「高校生探偵って人に会いに」

「はあ?」

 ふざけて答えたのが仇となった。怪訝な顔をされてしまう。

「俺も詳しくは知らないんです。アオイ先生って人にまず会わないと」

「アオイ……んん、生徒会顧問か? それなら生徒会室だろ。そこの廊下をまっすぐ進んで突き当りの階段を上って三階だ。あとは行けば分かる」

「進めば分かるさ。止まれば分からん」

「……どうも」

 教えられた通り、先に進むことにした。そりゃ、足を止めれば何にもならないだろ。

 道中、これまた無造作に大会のトロフィーや盾を収めたショーケースが並んでいた。ラクロスやバスケ、バレーにバトミントンとやはりスポーツ系のものが多い。サッカーのものもあり、未来のキングカズでもこの学校から生まれるのだろうか。俺は世代じゃないからよく知らないが。

 目的の生徒会室は、言われた通り行けば分かった。階段を上り三階の廊下を奥まで進むと、他の教室より少しだけ堅牢で豪華な扉が目についた。扉の正面には堂々と「生徒会室」と掲げられていて、これで目的地じゃないなら何を信用していいんだという有様だ。

 近づくと、内側から扉が開かれた。

「そういうわけだから頼んだぞ」

「いや、夏の大会は他の部活もあるのにそこだけ行くというのは……」

 生徒会室から人が出てきたのだ。紺色のジャージの、クマみたいに大柄な男だった。

「いいじゃないか。あそこの部長はこの前助けてもらったんだ」

「それは青井先生の話じゃないですか。生徒会は関係ないでしょう」

「顧問の事情は生徒会の事情だ」

 ずいぶんジャイアニズムにあふれる人らしいが、あの粗暴そうな大男が青井先生か? なんか、読子先輩から聞いていた話と印象が違うな。だがああいう熱血漢というか、いかにも古い体育教師っぽいのはむしろしっくりくるのか。不登校を決め込んでいる先輩のところに押しかけて学食のメニューまで報告するありがた迷惑をかける人間としては。

「そうは言いましてもね。確かに、その日は他の大会もないですが……」

 青井先生が出てくるに従い、中からもうひとりが出てくる。半袖カッターシャツにスラックス……つまりどこにでもいる男子高校生の制服姿。ならばあれが?

「うん?」

 生徒の方が俺に気づいた。その反応を見て、青井先生も俺の方を向く。

「おお、たぶんお前が来客だな」

 青井先生が快活に答える。

「来客?」

「ああ。もっとも、先生は何も聞いてないけどな」

 聞いてないのかよ。やっぱり読子先輩に仲介を頼むのは失敗だったかもしれない。……まあいいか。ここまで侵入できたなら後はどうとでもなる。

「ここに高校生探偵がいるという話を聞きまして。依頼……というほど大げさじゃないんですが、力を借りたいと」

「高校生探偵?」

 先生が首をひねる横をすり抜け、男子生徒が俺の前に立つ。

「高校生探偵と呼ばれたことはないな。僕はただの相談役だ」

「じゃあ……」

「体は子どもじゃないけれど、たぶん僕がそうじゃないかな。二年生の雪駄屋せったや貴雄たかおだ。生徒会で活動をしている」

「鹿谷天馬です。よろしくお願いします、先輩」

 俺は差し出された手を握った。高校生同士の初対面の挨拶で握手なんてあまりにも芝居かかっている。しかし、それが不思議と様になる人だった。

 裏返せばそれ以外は、特に代わりのない普通の男子高校生という印象だった。背丈は同年代でも平均に過ぎないし、体の線は細い。銀縁の眼鏡の奥から軽やかにこちらを見抜くような瞳が印象的だった。さすがに女子の多い学校のせいか、髪は短く整えシャツの皴も少なく、身なりは清潔感がある。

 大人びた男子高校生。同年代と混じって馬鹿話をするよりも、塾で受験勉強のことを話のネタにしている方がしっくりくるタイプ。それが雪駄屋貴雄先輩に対する、俺の第一印象だった。

 印象自体は良い。というか悪くなりようがない。この人は自然体のまま就活に挑んでも普通に大企業に受かりそうだなという感じ。だが逆に、その好印象が探偵としての能力を疑問視するものになってしまう。

 名探偵は変人揃い。詳しくない俺だってそれくらいは分かる。目の前の貴雄先輩はあまりに普通であり、探偵らしいとは言えない。

「それじゃ、サッカー部の応援頼んだぞ」

「……分かりました。検討しておきますよ」

 言うだけ言って、青井先生はその場を後にする。

「サッカー部の応援とは。らしいと言えばらしいような……」

 高校生探偵はサッカーを嗜むものだ。

「僕は厳密には、生徒会のメンバーじゃないんだけどね。こうして生徒会室の留守を預かることもある。本当は会長に諸々伺いを立てるところなのだけど、今は何をしているのやら。図書室かな。あそこの司書教諭に彼女はお熱だから」

「司書教諭……って人も男性なんですか。意外と多いですね」

「女子校とはいえ、男性の教員はいたらしい。司書教諭は四年前からだが、青井先生は二年前の共学時に増員した人だ。さすがにああ適当な性格だと、女子校は任せられないだろう」

 それもそうか。

「詳しい話は生徒会室でしようか。今は校舎に人はほとんどいないけど、それでもあまり盗み聞きされたい話題じゃないだろう?」

 貴雄先輩に導かれ、俺は生徒会室の中に入る。生徒会室は他の教室と一線を画する豪華さで、毛の長い絨毯が敷かれ、家具の類も充実している。格式ある会社の社長室ですと言われても信じてしまいそうだった。

「市内とはいえ電車ではるばるとは、相当な厄介ごとを抱えているらしいね」

「ええ、まあ…………え?」

 何気なく相槌を打ってしまったが、すぐに先輩の発言がおかしいことに気づく。

 なぜ。

 この人は俺が電車でここまで来たと知っているのか。

「なんで……」

「どうして電車で来たと思ったのか?」

「いや……それはあてずっぽうでも分かるでしょう? 高校の通学圏は小学校や中学校と違って、電車を使うケースも一般的になる広さだ。埠頭区の高校に電車で通う生徒だって大勢いますし」

「そうだね。君は尋常区に住んで徒歩圏内の高校に通っているから、一瞬そのことに思い至らなくて混乱したんだろう」

「…………?」

 それは。

 なぜ?

「簡単なことだよ」

 貴雄先輩は指摘する。自分の推理を開示するという、ともすれば見栄を堂々と張るような場面だが、あくまで軽やかだ。

「君が埠頭区内の高校生だった場合、そもそも僕のところに来るルートがおかしい。埠頭区内の学校は超学交流会という活動の場を持っているのは知っているかな?」

「聞いたことはあります」

「同じ区内に学校があるといろいろ、関わり合う機会も多くてね。交流会以外にもいろいろ。ともあれ、君が埠頭区内の高校に在籍している生徒なら、そうした課外活動の生徒を通してくるはずだ。なのに青井先生経由となれば、完全に部外者だったということだ」

 厳密には麗人学院の生徒である読子先輩を通しているが……。あの不登校先輩は課外活動に縁なんてないだろうからな。高校生探偵の貴雄先輩とも面識はなかったようだし。

「高校生探偵なんて虚構的な存在を頼ろうというだけでも相当なのに、そんな馬鹿らしい話を同年代の生徒ではなく大人の教師を通し、かつ遠方から来たというのなら君の抱える事情もそれなりだろう」

「いやでも、なんで俺が尋常区の人間だって……」

「君は大して荷物を持っていない。精々スマホと財布くらいだ。そして交通系ICカードは財布に入れるより専用のケースで持ち運ぶのが普通だ。財布だと他のカードと干渉して改札で読み込めなくなるし、取り出すのも煩雑だからだ。だが君はカード入れを持っていない。ならICカードを普段は使わないので財布に入れていてもさほど不便ではないのか、あるいはスマホにモバイル版を登録してあるかのどちらかだ」

 確かに、俺が電車移動に使ったのは財布の中にあるカードだ。実際、他のカードと干渉するので改札を通る時は財布をポケットから出し、さらにカードを出さなければならない。面倒だがカード入れ用意しようと思いながら結局そのままにしている。その程度の手間だということだ。

「モバイル版には定期もあるが、通学定期には対応していないからな。だから君は高校に電車を使わず移動できるところに住んでいると思った」

「自転車で移動しているという可能性は考えなかったんですか?」

「そこまで行くとあとは言葉の綾だよ。徒歩も自転車もそう大した違いはない。外していたらおどけて茶化すさ」

 そういう、相手にどう見られるかを加味して挽回手段を用意した上での決め打ちというわけか。したたかだ。

「尋常区だと思ったのもほとんど勘でね。位置関係とベッドタウンという性質から尋常区と言っておくのが一番可能性が高い。それにあそこでは最近、キナ臭い事件も起きているからね。間違っていてもそちらだと思ったと言い抜ければ、アンテナの高さは印象付けられる」

 探偵が必ずしも真実を当てられるわけではない。その中で、できるだけ好印象を与えて依頼人の信用を得るための手練手管を欠かさない。

 これが高校生探偵というやつか。

「さて。ここまで言えば分かる通り。僕は君が関わっている事件が轍さくらさんの失踪に関連するものだと思っているわけだが」

 そしてぐさりと、鋭く本題に切り込んでくる。

 ま、今朝見た通り、麗人学院の生徒がボランティアでビラ配りをしているのは生徒会の先輩なら把握していたはずだ。遅かれ早かれ。誰かが事件の調査を先輩に持ち込んでいた。

 それが偶然、さくらを保護している俺だったという偶然が神がかっているだけのこと。

「依頼人は嘘を吐くのが常だが、僕はできれば君から嘘偽りない真実を聞きたいものだね」

 これは。

 下手な舌戦に意味はなさそうだ。

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