#4:確実な一歩

 俺は探偵じゃない。

 これは予防線ではなく、現状の確認だ。

 例えばプロボクサーは、試合以外の場面でその鍛えられた拳を振るえば大きな問題になる。刑法的にも、道義的にも。ま、道義……ルールとして記載されていないが「守るべき」とされるものなんて、馬鹿が一方的に押し付けてくる自分勝手な道徳でしかないから俺はどうでもいいと思うけど。

 ともかく。

 プロボクサーはその立場上、公道で拳を振るうことを禁じられている。大半の人間より鍛え上げ屈強な格闘家にも関わらず、喧嘩に巻き込まれたら「攻撃する」という手段を封じられているのだ。馬鹿馬鹿しいことに。

 かように立場と身分は、その人が取れる行動を大きく制限する。

 探偵も同じこと。自分を探偵だと決めることは、問題解決に対して取れる有効な手段を潰すことになってしまう。

 そう、ひとつ挙げるなら。

 ネットで検索するとか、な。

「ふーむ……」

 俺は探偵ではないし、ミステリーマニアでもない。だからネタバレなんてものを気にする必要もない。どうせ読まないし、どうせ忘れる。

 だから最初に俺が取った手段は、ネットでミステリー作品を調べることだった。

 毒殺。大勢がいる場面で、特定の人間だけに毒を飲ませるトリックを使った作品。

 アルコール中毒、あるいは事故死に見せかけられる毒物を使用した作品。

 そういうものを探そうとした。

「え、でも……」

 さくらは怪訝そうというか、不安そうな顔をした。

「大丈夫なの? 探して見つかるかな……」

「意外と見つかるもんなんだよ」

 人間の想像力は無限大だが、すべての人間の想像力が無限大であるわけではない。またあらゆる行為に無限大のポテンシャルを発揮する道理もないのだ。人を殺して問題を解決しようなんて性根のねじ曲がったやつは、絶対に横着をする。過去のミステリー作品から、使えそうなトリックを探してきているはずだ。

 そうでなくとも、創作物に答えがある可能性は高い。車輪の再発明ってやつだ。調べれば分かることをうんうん悩んで考えるのは愚かしい。

 だが、俺の取った手段は適切だったのかもしれないが、調べ方が悪かった。

「意外と、ないな」

「…………ないね」

 映画を倍速で見るとか、ネタバレを最初に見てから映画鑑賞をするとか、そういう話を聞いたことがあるが。

 果たしてミステリーマニアってのはずいぶんお行儀がいいらしく、作品について書かれているものはだいたいが、ネタバレを回避して曖昧なことしか書いていなかった。ネタバレに踏み込んでいるものもいくらかあったが、全体の量からすれば微々たるもので、この中からお目当てのトリックを探すのは少々絶望的な気分にさせられる。

 SNSに書き込んで答えを教えてもらうという手も考えた。ネットの連中は教えたがりだし、「こういう作品を昔見た気がするのだが、覚えていないので教えてください」とか書けば答えてくれそうだが……。今は止めておこう。できるだけ内密に調査は進めるべき。どうしても切羽詰まったらその手は使う、くらいでいい。

 夏休みは始まったばかり。まだ時間的猶予は十分ある。変にリスクの高い手を取るのは早い。

「ネットは駄目だな。情報は多いくせに、肝心のものは掴めない」

「じゃあどうするの?」

「そりゃあ…………図書館か」

 誰もが持つ板っぺらでなんでも調べられる時代に軽んじられるようになった場所。しかし今はそこが一番適切な気がした。

「でも図書館で分かるかな?」

「いや、あるいはだな……。あの図書館なら」

 普通の図書館なら、目的は絶対に果たせない。ろくに予算が投入されていないおんぼろ市立図書館では役に立たない。だが横浜市の中心部……埠頭区にはあれがある。

 具体的な調査手段は思いつかないが、そこら辺も含めてなんとかなりそうなところが。

 そういうわけで。さくらから毒殺事件の概要を聞き、ネット調査を断念した日の翌日。

 夏休み四日目。

 俺は出かけることにした。

「じゃあ行ってくるから。誰が来ても開けるなよ?」

「うん。……いってらっしゃい、おにーちゃん」

 さくらに見送られて家を出る。玄関扉を閉めたところで施錠し、郵便受けにあった紙テープを扉上部に貼る。さくらは警戒心がきちんとある子だが、それでも子どもなので大人に言いくるめられて扉を開け、かつそのことを俺に隠すかもしれない。そうやって見ず知らずの大人が俺の知らない内にさくらと接触し問題を大きくするようなことがあればことだ。先んじてそれを察するために、マーキングとしての紙テープという役割もある。

 きちんと防犯策を講じてから、あらためて俺は家を出る。

 目的地の図書館がある埠頭区は、俺たちの住む尋常区から電車で六つほど行ったところにある。まずそこまで移動が必要だ。暑さを嫌って朝一に出たものの、既に空気は灼熱となっており十歩も歩かないうちに汗だくになる。

 住宅地を抜けて、駅までの道中。そこは尋常小学校の脇を通るルートだ。さくらの通う学校である。なんとなく避けたかったが、暑さに負けたのとぼうっとしていたのでそのまま近くを通るルートをそのまま選んでしまった。

 別に避けないと困ることがあるわけでもないしな。やましいことをしているわけでもないし、夏休みの今は学校に人なんていないだろうから通り抜けても誰かに会うわけでもない。

 と、思いきや。

「情報提供おねがいしまーす!」

「おねがいしまーす!」

 まるで駅前で声を張り上げる募金ボランティアみたいな集団が、尋常小学校の正門前にずらずらと並んでいた。

 もちろん、募金ではない。

 募金箱の代わりにビラを抱えた一群。昨日もニュースでやっていた、さくらの目撃情報を募る涙ぐましいボランティアの子どもたちだ。

 今日もやっているとは。というか活動場所は駅前じゃなかったのか。こんなところで出くわすとは思っていなかったので、さすがに面食らった。

 いくらやましいところがないと言っても、さくらの行方を知る俺がこうして情報提供を呼び掛ける子どもたちと顔を合わせるのはどうもむず痒い。こうして朝から汗を流している彼らの目の前に欲しい情報を持った俺がいて、さらにこの近くでさくら自身がエアコンの利いた部屋でゆったりしている。

 残酷なまでに滑稽な構図だ。

 さっさと通り過ぎてしまおう。いくら馬鹿らしくとも、それをわざわざ眺めて笑う趣味は俺にない。それにしたってなんでこんなところで……。確かに尋常小学校はさくらの通う学校だが、立地は住宅街の中だ。人通りが多いわけじゃない。

 けなげな小学生たちを横目に通り過ぎるべく足を動かした。そのところで。

 俺はあるものに注目した。

 ビラ? 当然違う。手作り感の漂う、コンビニのコピー機で印刷したような代物はどうでもいい。

 ボランティアの集団? それも違う。あの中の何人が、本物のさくらのクラスメイトなのかって話は知ったことではない。

 そんなボランティア集団に、大人……というほどではないが、俺と同じくらいの年代の少女が混じっていたことも気になりはした。たぶん、さくらの言っていた麗人女学院のお嬢様だろう。

 だが俺の目線がとらわれたのはそちらではなく。

 少し離れたところ。

 ボランティアの集団からわずかに離れたところで、じっとしているひとりの少女が、いきおい俺の意識を掴んだ。

「――――――」

 その少女は、この世のものとは思えない気配を漂わせていた。

 年のころはボランティアの小学生連中と同じくらい。さくらのクラスメイトかもしれない。連中と比較して、特別背丈が低いわけではないが、どことなく小柄な少女だという印象を与えた。体が細身だから余計にそう感じるのか。

 さくらは小動物的な愛嬌を感じさせる小柄さだった。動作のひとつひとつが自然と、庇護欲を引き立てるような。

 だとすれば、俺が目を向けたその少女はまるで逆と言える。

 その動作は静寂。微塵も揺るがない。

 「立つ」という行為は、明らかに動作のひとつであるにも関わらず、あまりにも静的であるという矛盾を抱えている。そんな話を昔、誰かから聞いた気がする。ゆえに通常、人は立ち、姿勢を整えようとすればそれに全力を尽くさなければならなくなる。姿勢よくピンと立つというのはとにかく困難で、軍人なんかがパレードのために必死に訓練するようなレベルのものだ。

 それを、彼女は。

 まるでアメンボが水面に浮くのが当たり前であるかのごとく、特に何の感慨もなくやっているように見えた。姿勢を正して立ち、その状態を維持する。そこに何の苦労も苦痛もなく。

 百回投げても千回投げても必ず表を向くコインを見せられたような気分だった。しかもそれを「え、なんか不思議なことでもある?」とでも言われたような。

見せつけていないのに見せつけられた。

 これで彼女の立ち姿が幽霊のようだったら、まだ納得は行った。立つことに苦労がないほど生命力がない、漂うような存在なら。しかし実際はまるで反対だ。

 彼女の小柄な体にはあらゆる生命力が凝縮しているかのようだった。細い体はひ弱で折れそうなのではなく、革製の鞭のようなしなやかさと強情さを思わせる。暑さに流し、髪先や頬を伝う汗の一滴にすら、燃える活力が染み出しているのではないかと思わせる。

 小柄な体躯であること。幼い少女の肢体であることに一切の妥協と甘えがない。まるで彼女自身が選択して、その身体を最も合理的なものとして選んだかのような自負心。

 飾り気のない艶やかな黒髪。同じ色のすべてを見抜くような瞳。日の光を受けて白く輝くような肌。薄く色づく唇は軽く結ばれ、じっとしている。

 少女という存在にもし理想像があるのなら、それは彼女のことを指すのだ。

 俺は直感的にそう思った。

「――――――」

 少女のただの沈黙すら何か意味があるのではないかと感じさせる。だがそこで、少女は太陽のまぶしさに負けたように目を細めた。

 何かと思ったが、すぐにそれは俺を見たものだと気づいた。

 さすがにぶしつけに視線を送りすぎていた。

「あ、えーっと」

 まさか見惚れていたなどと白状するわけにもいかず、どうしたものかと悩む。

 そこに都合よく、助け船があった。

「あなた、さくらちゃんのこと知ってるの?」

 ビラを持って俺と少女の間に入ったのは、ボランティアの中にいた高校生の方である。

「え、あ、いや」

 助け舟には違いないが、こっちはこっちで問答に苦慮する。

「タイタニック号とメアリー・セレスト号のどちらかを選ばされているような顔だな」

 そこで初めて、少女が口を開く。

 清冽で涼やかな声だったが、内容が激甚だ。すっきり冷えたラムネにクエン酸と重曹をドバドバ追い足しされた気分になる。

「もー、あなたはどうしていつも喧嘩腰なのっ!」

 女子高生は少女の肩を叩く。少女の方は気にしない様子で、ハンカチを取り出して髪先をしたたる汗を拭った。それも汗が嫌というより、服に余計な汗染みができるのを嫌ったような素振りだった。

 そこでようやく、少女の服装に意識が向く。それまで、少女の肢体が持つ生命力にばかり気を取られていた。

 彼女の格好は、シックなノースリーブのブラウスと、ややふわりとしたシルエットの黒いひざ丈のスカートというシンプルなものだった。着飾るところがない、あまりにも素朴な格好。足元だけが動きやすくウォーキングシューズになっている程度。

 唯一ズレ感というか、変わっていると思ったのは左手首のリストバンドだった。黒色のそっけないもので、白い刺繡で何かのマークが描かれている。スポーツブランドのロゴなのか、スポーツチームの標章なのかは定かではない。俺は彼女に活力こそ感じたが、それはアスリート的なものではなかったので意外だった。

 ともかくむき出しの二の腕は毒なくらいなのは確かだ。というか、彼女は日焼けを気にしないのだろうか。隣の女子高生はきっちりカーディガンで肌を隠しているが。若さゆえの特権か。

「それで?」

 少女の方が話を前に進める。

「お前は何か気になることがあって足を止めたように見えたが?」

 ずいぶんと傲慢というか、高飛車な語り口である。目上の人間に居丈高になるのは幼稚園児から小学校低学年くらいならある話だが、いい加減高学年くらいの年でこれなのはどうなんだ。

 だがともかく。不自然に足を止めたのは事実だ。さくらを知っているから……ではないが、誤魔化しの必要はある。

「昨日ニュースで見たからな。それでつい注意が向いたんだ」

「ニュース? そっかあ」

 険のある少女と違い、女子高生の方はおっとりとしていた。

「取材あったもんね」

「ニュースでは駅前でビラ配りをしているという話だったから、こんなところで出くわすと思ってなくてびっくりしたんだ」

 事実ではないが嘘というわけでもないライン。言わば不正確。嘘を吐くならこの程度にするのが安パイだ。

「まだ見つからないのか?」

「そうなんだよねえ。御両親いわく、家出するような子じゃないらしいんだけど」

 実際は家出と言えないまでも、殺人容疑のあるママからの逃亡だから的外れな見解なんだけどな。

「ただの家出ならいいけどな」

「家出がいいわけないだろ」

 俺の素朴な感想にすかさず少女が横槍を入れる。

「もう三日か四日だ。事件に巻き込まれている可能性は高い。そうでなくても、当初は家出だったものがこうも長引くなら、子どもを食い物にしたい連中に連れ込まれている危険は高い。轍さくらは犬の散歩に出たところだったんだ。数日を外で過ごせる金は持っていない」

 それは事実だ。さくらの持ち物には財布どころかスマホすらなかった。犬以外は着の身着のままである。

「警察はこの手の家出には腰が重いんだがな。最近の事件で面子を潰されたおかげで今回は動きが早いのが幸いだな」

「うちで起きた事件だよね」

 女子高生が語る。

「なんだっけ……。『男女共学殺人事件』だっけ?」

「知らん。馬鹿が勝手につけた名前なんてな」

 なんかミステリーみたいな名づけの仕方だな。自分たちの学校で起きた事件を野次馬的に語りたがるというのは分かる話だが、その野次馬がつけるにしては趣味が出過ぎている。お嬢様学校ってのはそんな感じなのか。

 というか、女子高生の方の話から察するに、やはり彼女は麗人女学院の生徒らしい。なので俺は昨日からの疑問をぶつけてみた。

「どうして他校の生徒がビラ配りのボランティアなんて?」

「学校というより、職場の関係なんだよね」

「職場?」

「バイト先。さくらちゃんのご両親が経営するレストラン『レオーネ』の従業員もお客さんも、けっこううちの店にも顔を出してくれるから。さくらちゃんのご両親とうちのバイト先の人たちが仲良しで。だから……小学生だけだとビラ配りも大変だし、尋常小の先生たちは警察との対応で忙しいしね。わたしと、クラスメイト達でボランティアってわけ」

 女子高生はちらりと少女の方を見た。なるほど。教師の手が回らないところをこの女子高生と、少女たちクラスメイトがお手伝いというわけだ。

「しかし……こんな校門前でビラ配りをしても意味があるのか? 駅前ですればいいだろ」

「駅前ではさっきしてきた」

 少女が腕を組む。

「戻ってきて、ここでやっている。あと十数分で担当の教師の体が空くからな。そこで今後の活動の相談をする。今のこれは、それまでの時間つぶしみたいなものだ」

「そんな適当な感じでいいのか」

「ビラ配りで情報が入ってくる程度の事件なら儲けものだからな」

 まるで「この事件の本質はその程度だ」と見透かすように、じっと少女は俺を睨んだ。

「どのみち本格的な捜査は警察の仕事だ。一般人のできることはたがかしれてる。だがやれるならやる、それだけだ」

 彼女の態度と気配は威圧的で尊大だが、結局子どもなのだろうなと思わせる発言だった。一歩離れて冷酷に事態を見ているフリをしても、クラスメイトの安否を気遣って動かずにはいられないというのはむしろ可愛げがあるが。

 こんな子が不安を押し殺して大仰な態度を取らなくても済むように、俺がなんとかしないとな。

「じゃあ、俺は行くよ。活動、頑張って」

「うん、ありがとうね」

 別れを告げ、俺は先を急ぐ。

 事件を解決するために。

 不安を押し殺すための地団駄ではなく、前に進むための確実な行動のために。

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