#2:発端

 横浜市尋常区で起きた女児失踪事件の発端は三日前に遡る。あるいは四日前だったか? いかんせん、俺の誘拐した日時と彼女の失踪が発覚した日時には多少の誤差があるのでその辺は曖昧だ。

 別にそれはどうでもいい。

『轍さくらちゃんの失踪から今日で三日が経ち、警察は捜査員を増員して対応に当たっています。神奈川県警は会見を行い、さくらちゃん発見に全力を注ぐと宣言。家出の可能性もあるこの事件に対し県警がやや過剰とも言える対応をしているのは、やはり六月に起きた麗人学院での事件の批判を受けて名誉挽回の目的があるだろうと専門家は語っています』

 リビングで流れるニュースでは、またさくらの誘拐について報道していた。麗人女学院の事件、とやらが何かはよく知らないが、どうやら神奈川県警はこの誘拐を自分たちが以前の事件で犯した失態の挽回に使いたいらしい。

 自分勝手な理由で捜査に力を入れたり入れなかったり。所詮神奈川県警ってことだな。

 尋常小学校五年生の女子児童、轍さくら。公には深夜に犬の散歩をしており、その際に誘拐されたということになっている。細部に差はあれど、基本的には俺のしたことは事実そうである。

 深夜に犬の散歩? と思われるかもしれないが、なにせ真夏の暑さだ。散歩をするなら日の上りきらない朝早くか、日の沈んだ夜でなければならない。そしてさくらは小学生なので朝は学校に行かなければならないし、そもそも起きられない。だから深夜ということになる。

「そういえば」

 俺はさくらに聞いた。

「なに?」

「あの犬……放っておいたけど大丈夫なのか?」

「あー、うん。大丈夫」

 散歩中の桜を『誘拐』するにあたり、犬は置いてきた。老いぼれた大人しい犬で、俺がさくらに近づいてもまったく吠えなかった。番犬としては役に立たないだろう。あのまま放置していたら野垂れ死にそうな気配があったが、俺は犬を飼ったことがないし、自宅にそのための道具もないので連れていくわけにもいかなかった。

「じーじは賢いから。自分で家に戻れるよ」

 じーじ……老犬だからそう呼ぶのか、あの犬はさくらの言う通り、報道では家族の元に戻ったとのことだ。ならば気にすることはない。

 俺はあらためてさくらを見る。

 三日ほどさくらを見て思ったが、彼女には小動物的な愛くるしさがあった。大きな瞳やせわしない挙動のひとつひとつが、可愛げを振りまくような少女。今は解いているが、長い髪をポニーテールにしていると尻尾を揺らしているようで、それが余計に動物的な愛嬌を意識させるのだろう。

 一方でどこか背伸びしているというか、大人のフリをしようとしているところもある。この年頃の子どもにはありがちなものだが、そういうところを含めて微笑ましいというのだろうか。

 ただ、彼女が家出の必要に迫られる人物には思えなかった。そういう、家に帰りたくないと思うような反抗期はまだ先か、もしくはまったくそうした大人への反発心と無縁の女の子のように思える。

 彼女の可愛らしさは異性に受けやすいタイプなので、同性からの逆恨みを買ってクラスメイトに根拠のない噂でも立てられたのかもしれない。それが元で家出が云々という憶測を生んだのか。

『駅前では今日もさくらちゃんのクラスメイトが情報提供を呼びかけるビラ配りをしています』

 ニュースは駅前の様子を映したVTRに切り替わる。普段使っている駅の様子がニュース映像として流れるというのはなんとも奇妙な感じだ。ドラマのロケ地に地元が使われているのと近い。現実と虚構の境目が薄くなって混ざりあい始めているかのような気分がする。

 駅前のロータリー付近で子どもたちがビラを配っている様子がテレビに映る。

「あれ、君のクラスメイトか?」

「うーん。何人かは」

 つまり点数稼ぎのいい子ちゃんアピールとして参加している連中が何人もいるってことだ。小学生のクソガキでも大人に媚を売るのだけは上手いやつってのはいるもんな。

「今どきビラ配りはないよな。本当に情報が欲しければSNSにでも投稿すればいい。あっという間に拡散される」

「じゃあなんでビラ配りなんだろうね?」

「やっている感の演出だよ。効果的な手段ってのは、必ずしも見栄えがいいものじゃないからな。自分たちが仕事をしているってアピールするためには、派手なことをしないと」

「ストローをプラスチックから紙製に変えるみたいな?」

「そんな感じ」

 ニュースは切り替わり、夏のインターハイに関連した話題を取り上げていた。特にサッカーの大会は、なんでも以前大きな事件が会場で起きたとかで未だに警戒心が強いとか。そういえば、そんな事件もあったかな。大会ではなくクラブの選抜試験のときの話だったような……。

 映像切り替わり直前に見たものに、注意が向いていたからというのもあるが。

 ボランティアの小学生に交じって、何人か俺と同い年くらいの女子が混じっていた。高校生もボランティアに参加しているのだろうか。私服だったのでどの学校の人間なのかは分からない。

「あー、たぶん麗人学院だよ」

「え?」

 さくらが俺の疑問へ先回りするように答える。

「映像にちらっと映ってた高校生くらいのおねーさんたち」

「同じ横浜市内と言っても、けっこう距離があるだろ。それになんでお嬢様学校の生徒が普通の市立小学校のボランティアに混じってんだ?」

「あっちの学校に飛び級で入学した子がいて、えーと、なんだっけ?」

 飛び級……。麗人学院の話題になるとだいたい一緒に出てくるな。そりゃ、この日本で飛び級ってのはだいぶ珍しいが。それにしたって目立ちすぎだ。

「そうそう。なんかどこかで知り合ったって。その縁かな」

「よく分からないな」

 話を聞く感じ、飛び級の生徒は年齢がさくらたちと同じくらいなのだろう。だからどこかで知り合うきっかけがあったとか、そんな具合か。尋常小学校側としても自校だけで情報提供を呼び掛けるより、名門で超学交流会にも属する学院の力を借りた方がいいという都合もあるか。縦にも横にも、一般市民の俺たちより人脈があるだろうし。

 ま、ここにさくらがいる以上、ビラ配りも何もすべては無駄な努力でしかないのだが。ズレた徒労だ。ボランティアでビラ配りをする時間があるなら、学院のお嬢様たちにカンパを募って探偵でも雇った方が確実だ。

 ……さくらの現状としては、そんなところ。当初こそ曲がりなりにも誘拐したという事実に緊張し、ビクビクしたものの……。警察の無能さは俺の想定をはるかに超え、学校側などの行動もここまで的外れな様を散々見せつけられると余裕も戻る。

 それは、さくらにしても同じこと。

「ところでさくら」

「ん?」

 俺はダイニングに移動して、椅子に腰かけた。きちんとした話し合いの気配を感じたようで、さくらもとてとてとこっちに来て、俺の正面に座る。

「結局、君はなんで俺に頼ってきたんだ?」

 誘拐。

 女児の誘拐及び軟禁という現状は、俺のやったことの表現としては極めて不適切だ。ザリガニをロブスターと呼ぶのと同じくらいの不正確さだと言える。

 俺のやったことは、さくらの保護だった。

 ことは四日前の深夜だか三日前の早朝だか……。いかんせん日付をまたぐ時間帯だったのでその辺の表現は難しいが、それはともかく……。夜遅くに俺がコンビニへ買い物に向かったところで、フラフラと犬を連れて歩く彼女を見つけたのがすべての始まりだった。

 生き物に詳しくない俺でも分かるほどよぼよぼの老犬だったが、さくらの状態はその老いぼれた犬よりもさらに衰弱しているほどで、一も二もなく俺は彼女を保護し家に連れ帰った。

「で、それから三日が経つわけだが」

 当初は彼女の容体が落ち着いたところで警察や児童相談所に引き渡すつもりだった。しかし彼女がどうもそういうところへの連絡を嫌がるそぶりを見せたため、さらにしばらく様子を見る必要が生じ、現在に至るのだった。

 その間は彼女の回復を優先させる都合上、詳しい話を聞き出そうとはしなかった。保護したとはいえ初対面の人間が根掘り葉掘り聞くというのも印象が悪い。心身の回復を待ちながらさくらと信頼関係を築き、後の展開をやりやすくするための準備に努めていた。

 とはいえ、引き延ばすにも限界はある。警察はさくらの足取りを掴んでいないし、その他誰もここを嗅ぎつけてはいない。両親の出張は九月まで続くので当分はさくらがいることに問題はない。

 だがいい区切り。ちょうど補習も今日で終わり、明日からいくらでも自由に時間を使える夏休みである。さくらが抱える問題を解決する上で、夏休み中というのは適切なタイミングだ。ずるずると引きずるよりは、この長期休暇中に問題を解決するべく、今日中にさくらの抱える課題を聞き出し当面の方針を立てるべきだ。

 それこそが真に合理的、効果的な問題解決の方法と言える。自称進学校の補習や、ボランティアのビラ配りとは違って。

「うーん、えっと」

 さくらは言いづらそうに、しばらく口をごにょごにょとさせていた。俺に何かを隠そうとしているわけではないらしいのは伝わった。込み入った事情を喋る上での整理が必要だったのだろう。俺はさくらが話すべきことの順序を決めるまで待つことにした。

「家に、帰りたくなくて」

「うん」

「あの時間にじーじを散歩させてたのも、あまり家にいたくないなって思ってたからで。だからおにーちゃんに頼っちゃって……」

 ぽつり、ぽつりと言葉を発していく。

「ごめんなさい。迷惑、かけちゃって」

「気にするな。関わり合いになりたくないと思ったらあのときスルーしてただけだ」

 できるだけさくらが気負わないよう、気楽に言ってみる。

「それで、どうして家に帰りたくなかったんだ?」

 簡単に思いつくのは虐待だ。ただ、さくらの体に虐待を推察する傷はなかったはず。肉体的な暴行ではなく精神的なものだというのなら話は別だが。

「パパとママと喧嘩でもした?」

 さくらが喋りやすいよう、こちらからあえてズレた推測をぶつけてみる。いきなり虐待の有無を聞くのは深入りしすぎだろうし。家出の理由として平和ボケした教師が思いつきそうなところをあえて言ってみよう。

 ところが。

「似たようなもの、なのかなあ」

 意外な答えが返ってくる。

「へえ? 君の様子は、ただ喧嘩しただけには見えなかったが……」

 あの憔悴具合は、ただの家族喧嘩ではないはずだ。

「うん。だから、似たようなもの。喧嘩じゃないけど、一緒に居づらくはなっちゃって……」

「居づらい」

 なるほど。常に一緒にいる中で価値観が乖離し続けて、それがひずみになっているような感じか。喧嘩という分かりやすい決裂を経ていない分、むしろ面倒な拗らせ方ではある。

「いつも帰ってこないくせにパパがいろいろ言ってきてうるさく思っちゃったとかかな」

「ううん」

 さくらが首を横に振る。

「パパはもう、いないから」

「…………」

 そして、衝撃的なことを。

「ママがパパを殺したの」

 だから。

「あたしも殺されるかもしれないって思って。それで家にいたくなかったの」

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