発端編:高校生探偵出動

#1:ある夏休みの一日

 やっている感ってあるよな。

 『行動』ってのは、ある目的に対する手段のことだ。目的を達成するためにどういう手段を取るべきか。それを考えて実行することが『行動』だ。

 漫然と生きていても、誕生ケーキに挿されるロウソクの数が増えるだけで大人になれない。それと同じだ。目的に対し合理的な実行でなければ、それは行動しているとは言えない。

 大人になるという目的に対し、意味のある実行でないといけない。

 ところが俺の見る限り、『行動』の本質を理解しているやつは意外と少ない。ようやく十五年ばかり生きた高校生が偉そうにと言われるかもしれない。

 いやいや。

 たかが高校生でも理解できることを大半の人間は理解していないと捉えるべきだ。

 例えば最近、俺の住む横浜じゃ五年前に作られたカジノ特区を撤回しろという騒ぎがうるさくて敵わない。横浜の中心街ならともかく、ベッドタウンのここで騒がれてもどうにもならない。というか、とっくにできてしまってるのだからそれを「どう活用するか」を考えるのが合理的で、そもそも五年前になんで反対運動してなかったんだと呆れる。

 大の大人がこの程度だ。ぼうっと生きてんじゃねえよってことだな。

「はい、今日はここまで」

 俺の思索は無粋な教師の声で遮られ、現実に引き戻される。

 今日はここまでというか、今日ここでようやく終わりだ。

 俺の通う横浜市立尋常高校はいわゆる進学校だ。つまり自称進学校。卒業生をひとりだって東大京大に送ったことなんてない。

 だからやっている感。生徒をきちんとしごいてますという対外アピール。

「お前ら、夏休みだからって羽目を外しすぎるなよ」

 教師は捨て台詞を吐いて消えていった。

 補習終わりのクラスは妙な気疲れに支配されている。ようやく解放されて快哉を叫ぶ者はいない。高校生はもう大人。いちいち大騒ぎはしないってことだ。

 それでも鬱陶しい大人の点数稼ぎから解放された充実感はあり、疲れはありつつも清々したという気分もまた、教室に充満していた。荷物を鞄に片付けている少しの間で、徐々に教室内は遊びの相談を始める声で満ちていく。

「ようやく終わったなあ、天馬」

「お前の人生が?」

「なんでだよ! 核の冬はまだ早いぞ!」

「お前、自分の人生の終わりに世界を巻き込むなよ」

 隣に座っていた男子、猪村が声を掛けてくる。小柄でメガネの分かりやすいインドア派の男だ。

「しかしなんで補習なんだろうな。せっかくの夏休みだぜ?」

「進学校でいたいんだよ」

 疑問に答える。

「金があってカリキュラムの自由が利く横浜中心部の名門高校に負けっぱなしだと、上がうるさいんだろ。勝てないまでも近づく努力しないと教師が怒られる」

「ああ、ふーん」

 横浜中心部の名門高校、という具体的なイメージが猪村の理解を促進したようだ。

「無理だろ。麗人女学院とか海軍高校と同格って。あいつら、バカでかい図書館に籠って金持ち高校同士で交流会してるような連中だぞ?」

「超学交流会か……」

 現実ってのは時たま、空想を超えてしまうことがある。超学交流会、横浜中心部の名門学校がいくつも集まって学校の枠を超えて交流する課外活動クラブは、ここに住む子どもなら何度も聞いたことがある。

 雲の上の存在。

 聞いたことはあっても、見たことはない。超学交流会に属するような人を知り合いに持ったことがない。俺たちにとってはMENSAとかイルミナティと同じだ。

「なあ知ってるか?」

「ああ知ってる」

「まだ何も言ってないんだが」

 別の男子、鯨井が乗り出して会話に加わってくる。こちらは猪村の真反対に巨漢だ。だが相撲は取らないらしい。

「麗人女学院、飛び級で入学したやつがいるって話。まだ十歳くらいなのに高校入ったとか」

「それ去年聞いたぞ」

 本当に知ってるやつじゃねえか。

 まだ中学生で高校受験にひーこらしてたときだ。担任の教師が「小学生でも頭のいい高校に入れてるんだからちゃんとしろ」ってな。飛び級ってのが仮に事実だとしても、具体的に何が評価されて入学しているのか分からないのに。

「あー、俺も言われたな」

 そのことを話すと猪村の同意が返ってくる。

「確かに。そんな天才小学生が高校生やってるような学校は俺たちとは無縁だよなあ。ラノベの世界だろ」

「でもよ、最近その飛び級の生徒が女学院で起きた事件を解決したとか、なんとか? そんな話聞いたぜ?」

「ふうん?」

 鯨井が話を次へ進める。

 麗人女学院で何やら物騒な事件が起きた、という話は聞いた。なにせ名門高校での事件だからニュースバリューがある。だが飛び級の生徒が関わったということは聞いていない。

「いや、それ重要参考人として呼ばれたってだけだぞ」

 俺は二人の情報を訂正した。

「女子校だから変な噂立てるやつが多いんだよ。そいつが重要参考人に呼ばれた後すぐ解決したから尾ひれがついたんだって。警察がそう発表してたぞ」

「…………」

 それが現実的な落としどころだ。ただ、警察の発表、しかも天下の神奈川県警の話を鵜呑みにするのはいただけない。飛び級の生徒が解決したってのは嘘か不正確か、だが警察が何か誤魔化そうとしてるのは間違いないだろうな。

 あまり興味のない事件だったが、自分で話題にしてみて少しだけ気になった。帰ってみたら調べて……いや。

 今は帰ってもそれどころじゃないな。

「それで、今日はこれからどうする?」

 会話は今後の遊びの件に移る。

「昼メシ食ったらカラオケにでも行かね?」

「いいね」

 補習は午前中だけなので、午後は丸々空いている。半日なら出てもいいかと思ったのが運の尽き、お天道様が一番高く照り付ける時間に帰らないといけない。予定はなくても学校で夕方まで時間を潰したいが、それもできない。

 俺は帰らないといけない理由がある。

「俺は帰る」

「ええ?」

「なんだよ、ノリ悪いな」

 鯨井と猪村がぶー垂れるが、どうもならんもんは仕方ない。

 そのとき、スマホの通知音がくぐもって響く。剣呑なことに猪村がサイレントモードにもせずポケットに入れていたらしい。

「おっと。しまった。今日は本屋に行かねば」

 ニュースアプリか何かの通知だったらしい。

「なんか新刊出てるのか?」

「『鳥籠の天使』だよ」

「あれ、最近出てなかったか?」

 その名前の作品、新刊が出たって猪村が言っていたのは夏休み入る直前だったくらいの記憶があるが。

「こっちは漫画。前言ってたのは小説」

「なるほど」

 同じ話の作品を漫画と小説で買う理由は分からないが、状況は理解した。

 俺たちは連れ立って教室を後にした。俺と鯨井は家まで、猪村はわざわざ電車で中心部の大きな本屋まで。学校を出て三つ目の信号のあるファストフード店までは同じ道。高校入学してから知り合った友人なのに、こうして帰るのがいつの間にかいつも通りの日常になっていた。

「その漫画、面白いのか?」

 鯨井が聞く。こいつはもっぱらソシャゲのガチャで金を溶かすのが趣味なので創作物には疎い。俺も課金しないことを除けば似たようなものだが。

「面白いも何も、最近のフィクションは政治や社会的なものを扱わないなんて言われてるけど、これはゴリッゴリに時事問題扱ってるからな」

「時事問題?」

 『鳥籠の天使』なるタイトルからはまったく想像もできない話だ。猪村が読みたがるということはラノベ系だろうから、時事的な話題を扱うジャンルにも思えないし。知らんけど。

「児童誘拐」

 猪村の言葉は端的だった。

 俺は思わず体を硬直させる。

その緊張は一瞬で、おそらく二人には気取られなかったはずだ。こいつらが筋肉の動きを目で見て次の動作を予測できるような超人的武道家でもない限り。

 冷や汗もかいたかもしれないが、炎天下の道を歩いて既に汗だくなのでこちらは心配ない。

「五年前だっけ? 軟禁された女子中学生が逃げ出して保護されたって事件」

「ああ」

 鯨井は相槌を打つ。心当たりがあったらしい。俺は五年前の事件、とやらは知らない。

「男子大学生が女児を誘拐して軟禁してってニュースになってたな」

「そう。警察はもう連日その大学生を変態ロリコン野郎と罵らんばかりの過熱報道だったな」

「凶悪犯罪者の集まる刑務所でもロリコンはリンチの対象になるって言うからなあ」

 人を殺して反省もない凶悪犯ですら超えてはいけないラインがロリコンなのか。単に刑務所内で鬱憤を晴らす相手としてロリコンが選ばれただけだな。

「じゃあ、その鳥籠なんとかって作品は児童誘拐事件について書かれたルポってことか?」

 この発言は鯨井らしいズレのようでいて、的確な推測だ。普通、事件を基に書いた話と言われればルポだろうと思う。猪村のルポなど読まないだろう性格を加味してもだ。

「違うって。実はその事件には噂があってな。被害者の女子中学生は家出していたんだってよ」

「誘拐じゃなくて?」

「男子大学生はそれを保護してたんだ。ところが、被害者の方が面倒になったんだか愛想が尽きたんだか、また飛び出した。そのついでとばかりに警察に通報してお縄ってわけだ」

「そりゃまた」

 事実はさて、どうだか分からない。ただ犯人なんて捕まえて自白させればすべて解決すると思っている警察ではたどり着けない真実があるのもまた確かなのだ。

「で、その噂をベースに書かれたのが『鳥籠の天使』ってわけだ」

 厳密には、誘拐犯と女子中学生を主役にしたほの暗い日常ものと言うべき作品だ。まさか「女子中学生が男子大学生を利用して捨てました」という話をそのままやっても受けないので、「世間的には誘拐犯と被害者と言われている二人にはこんな関係がありました」という話になっている。

「ん、ああ。思い出した」

 流れる汗をタオルで拭いながら、鯨井が答える。

「そういえば少し前、現実の事件を扱ってるって言われて批判された作品があったな」

「それそれ。『鳥籠の天使』が出たとき、散々そうやって非難されたんだよ」

 俺も思い出す。作品そのものは知らなかったが、その馬鹿らしい騒動は耳に届いていた。

「犯罪を正当化してるって言われてたんだよな」

「正当化?」

「そりゃ、誘拐犯と被害者が実は相思相愛でしたって話だもんな。少なくとも美化はしている」

 実際の事件における真相がなんであれ、事件をベースに、そこで語られた噂をもって脚色したのがこの作品だ。

 だから美化している。正当化している。

 的外れな理屈だな。

「あくまでフィクションだ。事件は発想の源に過ぎない。それがどうしてか、事件を正当化だの犯罪を助長するだの言われてるんだよ」

「いつものお歴々がヒステリックにうるさいんだよ。連中、自分たちの気にいらない表現は全部潰すんだ」

 猪村が毒づく。鬱憤が溜まっているようだ。

「最近だってアメコミヒーローだのディズニープリンセスだのを黒人にしてんだぜ? そのくせちょっと背徳的な話には火がついたみたいに怒りやがる」

「表現をコントロールしたくて仕方ないんだろうな。表現そのものを重視してるんじゃなくて、他人の創作を自分の思い通りに操れる権力に酔いたいんだ」

 まさに昭和のDV親父のような感覚。連中にとっての男女平等フェミニズムが何なのかよく分かる。

「第一、誘拐事件を描くのが駄目なら、ミステリーなんて全部がアウトだ。殺人ばっかりだぞあれ」

「名探偵コナンも十年後には禁書かもな」

 割とその可能性があるのが怖いところだ。『本を燃やす者はいずれ人を燃やす』、ヴォルテールの名言があそこまでしっくりくる連中も珍しい。

「誘拐事件、ねえ」

 鯨井が呟く。

「どうした?」

「いや、最近もなんか、そんな話を聞いたような」

「気のせいだろ」

「いやどこかで」

「気の迷いだろ」

「何を迷ったら児童誘拐を妄想するんだ……」

 俺はやつの引っかかりを取り除いた。やや食い気味だった気がするが、鯨井が元来ゆったりとした性質だ。むしろここで最近の社会事情を気にするのが珍しい。すぐに「まあいいか」とまた汗をタオルで拭う。

 そんなこんなで、俺たちはそれぞれの目的地に向けて散会した。明日から夏休みとはいえ今生の別れでもあるまいに、特別な挨拶はしなかった。この三人の誰かが休み明けまでに童貞を卒業していたら驚きだな、程度の軽口が精々だ。

「……ふう」

 分かれてしばらく歩き、角を折れる。猪村と鯨井の視界から確実に消えたところで息を吐いた。

 なかなか剣呑な雑談だった。

 短い人生の中でもここまで気を使った雑談も、そうないものだ。

 児童誘拐事件がベースとなった『鳥籠の天使』の話題が振られたのが最悪だが、その上で鯨井が最近の事件に言及したものだから大変だった。幸い、そういう勘の鋭い連中じゃないから助かった。

 そういうというか。

 普通十五年ばかり生きてきて、こんな勘が働く方がどうかしている。

 高校生探偵じゃないんだぞ。今の俺の挙動で何かを疑うやつがいたら洞察力が鋭いのではなくただの統合失調症だ。

 そそくさと家路を急いだ。まさか俺を尾行しているやつなんていないだろうが、それでも周囲が気になってしまうのをぐっと堪えた。ちらちらとあたりを見渡しなんてしたら、それこそ怪しい人物になってしまう。職務質問待ったなしだ。

 気分を落ち着けるため、スマホを取り出して画面を確認した。LINEの通知はなし。出張でしばらく家を留守にしている両親からの連絡は来ていない。登録しているクーポン系アプリの通知がいくらかあったが、それは無視。

 適当にニュースアプリを開く。地域のニュースとして、ある事件のことが取り上げられていた。

『横浜市尋常区、女児失踪事件。三日で目撃情報なし。警察は増員して対応中』

『失踪女児の両親、協力を呼びかけ。クラスメイトがビラ配り』

『「虐待してたんちゃうの?」松永氏が失踪女児の両親にラジオで苦言』

 どれも同じ事件に関するニュースだった。

 気持ちは少し落ち着いた。こちらの戦略に対して的外れな推測を自信満々に述べる対戦相手を見るような感じだ。

 俺の自宅は尋常高校から徒歩十五分しないところにある。ごく普通の一軒家。せっかくローンを組んで買ったのに長期出張が多く家でゆっくりできないのが唯一の不満だと両親はよく愚痴っている。とはいえ、その出張の手当てがあるおかげで不景気な今でもローンの支払いに苦慮することなく平穏に暮らせているのだから、不満こそあれ文句を言う筋合いでもない。

 郵便受けを開く。特に新しい配達物はない。

 普段はよく通販サイトで買い物をするが、ここ数日はそれを控えているので何も届かない。入っているのは紙テープが一巻だけである。これはよく使うので郵便受けに入れておくと便利なのだ。

「ただい……おっと」

 玄関を開ける前に、扉の上部に貼られた紙テープを見る。高いところに、扉の開口部をまたぐように貼られたものだ。もし玄関扉が開かれれば、剝がれるか千切れるかして分かるようになっている。

 用心のために、な。

 俺は背伸びして紙テープを剥がしてから、玄関を開いた。

「ただいま」

 両親は留守。俺に兄弟姉妹はいない。つまり今、家にいるのは俺ひとり。

 ではなく。

「……あ、お帰りなさい。おにーちゃん」

 てくてくと。

 リビングから出て俺を出迎える存在がいた。

 ひとりの少女。

 年は小学校高学年……十歳かそこらくらい。お洒落したい盛りだろうに、格好はTシャツとハーフパンツという質素なもの。顔色はやや悪いが、それでも三日前よりは随分元気そうになっている。

 そう、三日前よりは。

「いい子にしてたか?」

「うん。警察の人も来なかったし」

「警察はまだ、君の行方を掴んでないらしいぞ」

「そっか……それなら、うん。良かったね。……良かったの?」

「今はまだ、警察にバレない方が都合がいいだろうな」

 彼女の名前は轍さくら。

 三日前から、俺が少女だった。

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