第66話 透と勝
成瀬たちは病院の外にあるベンチに座った。
勝はポケットから煙草の箱を取り出し、吸ってもいいかと成瀬に尋ねた。
成瀬は小さく頷いて、前を向く。
勝はそのまま煙草を一本取り出すと、ポケットから100円ライターを取り出して火をつけた。
煙を深く吸って、勢いよく吐き出す。
「店長が煙草吸っているのを見るのは久々な気がします」
成瀬が懐かしいものでも見ているように言葉をもらした。
勝はふふっと笑う。
「最近はあんまし吸ってなかったからな。馨にもさ、味覚が落ちるからあんま吸うなって言われてるんだよ」
成瀬は心の中で、結城らしいと微笑ましくなった。
結城は他人に関心のないように見せて、本当は人を良く見ているのだ。
そして、さりげなく心配していたりもする。
「実はなぁ、蓮君には話しておこうと思うことがあるんだ」
「俺にですか?」
勝の言葉に成瀬が反応する。
勝は深く頷いた。
今更何の話だろうと思った。
「馨の母親の話だ」
その言葉を聞いて、一瞬固まってしまった。
馨の母親とは、酒場とおるの元店主で4年前に急性アルコール中毒で亡くなったと聞いている。
結城はあまり母親の事を話したがらないから、成瀬は詳しい事は知らないが、一度新宿のママから話は聞かされていた。
「新宿のバーのママから少しだけ聞いています。昔、銀座のホステスをやられていたとか。政治家と愛人の間の子で、母親の店を継ぐ予定だったけど、最終的には勝さんと駆け落ちしたんだって」
「かっちゃんか……」
勝はその話を聞いて、頭の後ろをくしゃくしゃと掻いた。
あの新宿のママは『かっちゃん』と言うらしい。
「ママは透さんに大きな貸しがあるとも言っていました」
成瀬のその言葉に、勝はふぅと大きく息を吐いた。
何かを思い出していたようだった。
「かっちゃんが透さんの事を話すなんて珍しいことだよ。蓮君は随分かっちゃんに気に入られたみたいだね」
「気に入られたなんて、そんな。俺が結城さんに頼ってばっかりだから、喝を入れられたって感じでした」
そう言うと、勝は煙草を指で挟んで、大声で笑い出した。
急に笑い出したので、成瀬も驚き目を丸くする。
「喝ねぇ。かっちゃんらしいと言うか、あの人、変なところに男気あるんだよな。ニューハーフの癖にな」
勝さんは相変わらず笑っていた。
恐らく、かっちゃんと勝は仲が良いようだった。
「それと俺はそのママに大きな貸しを作ったんです。それで、その時言われました。もう絶対、馨さんを悲しませないように、俺たちが全力で守ってほしいって。その時の俺にはその意味がよく分からなかったんですけど、そう言われなくても俺はいつかかならず今までくれた恩を結城さんに返したいと思っています。だから、結城さんが困っているなら全力で助けたい。力になりたいと思っています」
勝は成瀬をじっと見た後、呟くような声でそっかと言ってもう一度煙草を吸い始めた。
少しの間、沈黙が続く。
「口には出さないけど、本当は母親がいなくなっちまって淋しいんだと思う。あいつは意地っ張りで負けん気の強い子だろう。だから、母親が死んだ時も、葬儀の時も、全然泣かなかった。涙を堪えるような表情もしなくてな、ただ淡々と静かに仕事をこなしてた。俺はその時、悲しすぎて何も考えられなくなってんじゃないかって思ってたけど、それから今まで一度も母親の事で泣いたことも弱音を吐いたこともないんだ。俺が頼りないばっかりに、馨にはそんな余裕すら与えてやれなかったのかもしれない」
「そんなことないですよ。結城さんは勝さんの事すごく頼りにしています!」
成瀬の必死な言葉にまた勝はふっと笑った。
その成瀬の一生懸命さに勝は少し救われた気がしたのだ。
「だからさ、蓮君には知っておいて欲しいんだ。俺と透さんと、そして馨の事」
成瀬はどきっとする。
自分はこの家族の大事な部分に触れるのだと実感するとその重責を感じた。
成瀬が思うよりきっと複雑だ。
それでも、結城は成瀬が家族で辛い思いをしていた時、全力で助けてくれた。
だから、自分も全力で結城を助けたいと思った。
そして、成瀬は深く頷いた。
勝もそれを合図に話始める。
「俺が透さんと初めて会ったのは、俺がまだ銀座の割烹料理屋で見習いをやってた頃だった。俺がゴミ出しに外に出た時、透さんが仕事着のドレスのままで、裏道に倒れてたんだよ。ホステスなのに体中傷だらけでな、俺はすぐに救急車を呼ぼうとしたが、彼女にそれを止められた。ちょっとした喧嘩だから、警察沙汰にはしたくないって。それより腹がすいたって言うから、俺が練習用に作った茶碗蒸しを食わしてやったんだ。そしたら、それをがつがつ食い始めてな、本当に高級クラブのホステスかっていうような品のない食いっぷりだった。しかも、おかわりまで要求してきて、そん時はどこまで図々しい奴なんだよって思ったよ。でも、透さんは本当に美味しそうに俺の飯を食ってくれるんだ。食べ終わった後、満面の笑みを向けてな、ごちそうさんって言って俺に器を返した。俺の飯が今まで食べたものの中で一番うまかったって言うんだよ。あいつはその辺のキャパ嬢じゃねぇんだぞ。銀座でも1、2を争う人気高級クラブだ。そんなとこで働くホステスなら高い飯をいくらだって食ってきている。けど、透さんはいつも俺の飯を食って、勝の飯が一番だって笑うんだ。あの日から、透さんは用もないのに何度も店裏に来て、飯を食わして欲しいと言ってきた。俺も仕方なく食わしてたよ。料理長に見つかってたら、たぶん即クビだったろうけどな」
勝はそう言って笑った。
そのまま煙草を携帯吸殻でもみ消して中に捨てた。
「そう言えば、透さん、よく怪我もしてたな。どこで付けてくる怪我かは知らなかったけど、本人は喧嘩してぶっ飛ばしてきたって言ってた。ほんと、そう言うところ馨も似ちゃったんだよなぁ。だから、俺はいつも店裏に飯と救急箱用意しててさ、飯食わせながら傷の手当てもしたもんだよ。飯を食う時は幸せそうなのに、よそで見た時の透さんはどこかギスギスしててさ、ずっと心配だったんだ。そしたら、あくる日、透さんが大怪我をして店裏にぶっ倒れてた。さすがにこれは病院に連れていこうとしたんだけど、知り合いの闇医者がいるからそっちにって言われて、俺はそこまで担いで運んだ。俺もさ、もう喧嘩はやめろって言ったんだけど、聞いてくれなくて、怪我が治ってから3日後、透さんが俺の店まで来て言ったんだ。私に一生お前の飯を食わしてくれって。プロポーズだと思った。たぶん、そうなんだけど、彼女はそう言って俺を連れ出したんだ。もう、駆け落ち状態だった。俺もちゃんと挨拶できないまま店を辞めて、この町に来て、2人で店を立ち上げたんだ。金もなかったから、店借りるだけでも精一杯で、それでも透さんは幸せそうだった。書類だけ出しただけで、結局結婚指輪も買ってやれなかったし、結婚式も上げられなかった。俺たちを繋ぐものはあの店と馨だけだ。それでも俺たちは充分幸せだった。馨は元気で活気のある子だったけど、生意気な子で口先がたつからな、誰似たんだよって思ってたけど、あれでも俺たちの最愛の娘だ。透さんもすごく可愛がってた。馨も母さんっこでな、なんやかんや言って透さんを追いかけていたんだと思う。だから、透さんが死んだ時、一番悲しかったのは馨のはずなんだ。なのに、あいつは泣かなかった。ただ、茫然と母親の前に立って、「酒飲みすぎなんだよ。馬鹿だな、母ちゃんは」ってぼやいたんだよ」
成瀬はそれを聞いて、自分の事のように胸が痛くなった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます