第67話 かおる

「あいつはほんっと素直じゃねぇからなぁ。人に弱みとか見せらんねぇんだよ。だから、母親をなくしてからあいつは余計意地っ張りになったな。他人を寄せ付けないし、心も許さなかった。透さんがいた時はあんなにひどくはなかったんだぜ。照れくさそうにはしていたけど、もっと人と関わろうとしたし、他人の世話もよくやいていたな。近所の知り合いの子がいじめられたら、真っ先に助けに行って、いじめっ子を返り討ちにした」


それを聞いて、成瀬はつい笑ってしまう。

なんだかそれは簡単に想像できてしまったからだ。

勝も成瀬の表情の意味を理解したのか、一緒に笑った。


「俺はよ、女の子なんだからもう少し加減しろって言ったんだけど、透さんは馨の頭を撫でて、よくやったって笑うんだ。その後、返り討ちされた子供の家に行って俺が謝罪してたんだぜ。あいつはさぁ、困ってるやつ見るとほっとけない性格なんだよ。頼まれてもないのに自分から首突っ込んでな。けど、いつもいい顔されるわけじゃない。それでも馨は自分の信じる正義を貫いた。人の悲しむ顔を見るぐらいなら、自分が嫌われた方がましって思ってたのかもしれないな」

「それは今も同じですよ。学校では極端に人との距離を取ろうとしているけど、結城さんは誰よりも俺たちクラスメイトや周りの人たちの事を見てくれています。そして、俺たちが困っていたら、結城さんは黙って手を差し伸べてくれる。それが必ずしも感謝をされるわけじゃないけど、結城さん自体が見返りを期待しているようには見えませんでした。それに、結城さんにとって母親の存在が大きいのだと言うことも、ずっと感じていたことです。俺の母がクラブに入り浸りだった時、そんな母に喝を入れてくれたのは結城さんでした。葵が母の事をいらないって言った時も、いなくていいわけがないって止めてくれたんです。そして、なにもできなくても側にいて欲しいのが母親なのだって教えてくれました。結城さんにとって母親は、生きて元気でいてくれさえすれば、それでいい存在だったんだなと思いました」


成瀬はそう言って、自分の手のひらをぎゅっと握った。

勝が沈黙したことに気がついた成瀬が彼の顔を覗くと、彼は下を向いて泣いていた。

陽気な勝が泣く姿を成瀬は初めて見た。


「……そうだな。そうなのかもしれない。透さんはさ、杏子さんと似たところがあってな、家事とか裁縫とか細かい事が全然できない人で、何やらせても中途半端で、それでいて笑いながら、大丈夫って言うのが彼女の口癖だった。店の経営が傾き始めた時も、家族が揃っていればなんとでもなるって笑っているような人なんだ。だから、馨にとって母親の存在は灯台みたいなもんでな、彼女は俺たち家族の道標だった。馨の人生の前には常に透さんがいたんだ。だから、透さんが突然いなくなって、馨はどう生きればいいのかわからなくなっていたんだと思う。そして、人との関係を極端に絶って、1人になることで嫌な事から逃げようとしたのかもな。馨にとって一番辛いことは、大切な人を失うことだからさ」


そうかと成瀬は心の中で思った。

新宿のママが言っていたことを思い出していた。

結城は悲しみを避けるために人との距離をとっていたのに、成瀬が結城を頼ることで再び人との関係を濃くしてしまった。

だから、ママはそんな成瀬に責任をとれと言ったのだ。

成瀬にとっては人との関りが結城にとっていいものだと信じていた。

しかし、必ずしもそうとも限らない。

それによって結城が更に悲しむことだってあるのだ。

もし、このタイミングで杏子が本当に死んでしまっていたとしたら、結城はどうなっていたのかわからない。

何も知らなかったとはいえ、成瀬は自分がどれだけ無責任な事をしていたのかを知る。

新宿のママが怒るのもわかるような気がした。


「でもな、蓮君。俺は馨が君と会えて、たくさんのクラスメイトや周りの人と関われたことを良かったと思ってるんだよ。あのままずっと母親の事を引きずって、一人で生きる必要なんてないんだ。あいつは弱音を吐かないから平気なように見えるかもしれないけど、内心は淋しかったんだと思う。俺だけでも馨の力になってやりたかったが、力不足だった。だから、君が現れて、馨の事を引っ搔き回してくれて、あいつは今でも困惑はしてるだろうけど、馨の中で何かが大きく変わったんだと思う。母親に依存していた馨が、もっと外に目を向けようとしている。これはさ、良いことだと思うんだ。その先にあの時と同じような悲しみや苦しみが待っているのかもしれない。それでも構わない。そう言った辛さを越えて、馨もそして君も大人へと成長すればいい。俺だって一生、馨の側にいてやることは出来ないんだ。あいつには、外の世界を知って、その中で家族と同じぐらい大切な相手を見つけて、そいつと幸せになってほしいって思う。まぁ、父親としてはちょっと寂しいけどな」


最期はそう言って勝は笑った。

成瀬の目からも涙が溢れていた。

勝はなぜ、成瀬が泣いているかわからず、困っていた。

そして、成瀬は涙を手で拭って勝の顔を見た。


「俺も結城さんに、いや馨さんに出会えて本当に良かったと思うんです。俺も馨さんと一緒です。どんなに辛いことがあっても平気な顔をして生きていました。それは、家族や友達に心配をかけさせたくなかったから。自分一人が我慢していたら、頑張ってたら、それで済むんだと思った。けど、馨さんが教えてくれたんです。我慢する必要はないんだって。母の時も、俺たちの言葉を代弁するように訴えてくれた。父の時も迷っている俺にアドバイスをくれた。葵の時も、自分の事のように心配してくれて、迷ってばかりで何もできなかった弱い俺に喝を入れてくれた。馨さんはいつだって俺や学校の仲間の事を真剣に考えて、問題と向き合わせてくれました。そんな彼女を俺は尊敬しています。そして、大切な人だと思っています。俺も馨さんを悲しませたくない。力になりたいんです。そして出来ることなら、俺も彼女と一緒に成長していきたい」


勝は成瀬の決意表明を聞いた気がした。

結城だけじゃない。

結城と関わったことで、成瀬も変わったのだ。

これが運命なのか、はたまたあの世の透が残した置き土産なにかはわからないが、人生そう悪いことばかりではないと勝は感じた。

2人は泣いた顔をお互いに見合って笑った。

男2人が病院のベンチでガチ泣きとかかっこ悪いとは思ったが、きっとこの心優しい成瀬なら結城の固く閉ざされた心も開いてくれるだろうと思う。

現に高校2年生になってから、結城の私生活も変わって来ていたように見えた。

成瀬を店に連れてきて、成瀬の家族と関って、あんなに面倒くさそうにしていた学校のイベントにも参加するようになり、昔のあの頑なだった結城とは違うのだと感じる。

もう結城は一人なのではないのだと勝は確信した。

勝はベンチから立ち上がって、成瀬の顔を見つめた。


「蓮君。父親の俺から言うのもあれなんだけど、馨の事、これからもよろしく頼むな」


勝は笑って言う。

成瀬も立ち上がって答えた。


「はい!」


成瀬はこの時、結城が本当に多くの人に愛されて来たのだと実感した。

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