第20話 青山女子学院

放課後、ホームルーム終了のチャイムと共に、成瀬は席を立ち、結城に声を掛けに言った。


「結城さん、行こうか」


それを見たクラスメイトの女子が、一斉に結城たちの方へ振り向く。

その顔は正に般若のようだった。

まさか、成瀬自ら結城を誘い出すなんて、信じられないことだったからだ。

成瀬はクラスのアイドル的存在だ。

皆、昼休みは成瀬を独占したいし、放課後は一緒に帰りたい。

それは時として、親友とたたえ合ってきた友を蹴散らすことになったとしてもだ。

しかし、そんなことは出来るはずがない。

女子たちの間では暗黙の了解で、抜け駆け禁止となっているのだ。

妥協したとしても、成瀬と仲良くして許されるのは雨宮ぐらいだろう。

しかし、そんな雨宮でさえ、今まで成瀬と下校したことなどない。

部活まで一緒に歩くとか、職員室に用があって一緒に向かうとか、短い距離なら実現したかもしれない。

だが、一緒に登下校することは、雨宮にすら憚られる行為だ。

それにもかかわらず、結城から伺うのではなく、成瀬本人から声をかけてもらうなどもっての外だった。

女子たちが結城たちを不穏な目で見つめている。


結城はそんな女子たちの目線を微塵も気にかけることなく、席を立った。

そのまま鞄を肩にかけて、大股で教室を出て行った。

そんな結城についていくように成瀬も後に続いて出て行く。


彼らが出て行った後の数十秒間、教室内は沈黙に包まれていたが、一斉に浜内の机に女子が群がった。


「ちょっと、浜内!! これはどういうことなのよ!?」

「あんた、二人の邪魔ぐらいしてきなさいよ、このポンコツが!!」


浜内だって、自分もいつかは成瀬のように多くの女子に囲まれてみたいという願望はあった。

それが今まさに叶っているはずなのだが、彼を見つめる彼女たちの顔は険しく恐ろしい。

これはもう拷問と化していた。

どうして自分だけこんな目に合わなければいけないのか、彼は神を恨まずにはいられなかった。



「結城さん、ほんとありがとね」


成瀬は結城の横を歩きながら言った。

逆に、結城はお礼を言われても困るだけだ。


「別に。葵に会ったところで私に何が出来るかわからないしな」

「でも、母の時も父の時も結城さんには助けてもらったし、今は感謝しかないんだ。それに葵が家族以外の人にあんなに懐くことなんてなかったから」


成瀬は照れくさそうに話す。

別に結城自身は成瀬を助けたつもりはない。

河川敷でボコボコにされていたのを助けたのは、単純に見ていられなかっただけで、恐らくそれが別の人間でも助けた。

杏子の時は、あまりにも葵が悲しそうな顔をするから、どうにかしてやりたくなったのだ。

それに、一臣の時は偶然鉢合わせただけで、うじうじと悩んでいる成瀬に少しイラっとして口出しをしただけで、助けたつもりは全くない。

それで感謝していると言われても、結城はどう受け止めたらいいのかわからなかった。

それに、人助けなら成瀬の方が普段からよくしている。

クラスメイトからの信頼も厚いし、実際多くの人が成瀬に助けられてきただろう。

人を助けるのは当たり前なのに、人に助けられるのは特別だとか、どうしてそんな風に思うのか結城には成瀬の考えがわからなかった。



「そろそろ、青山女子学院中学校だ」


バスと電車を乗り継いだ後、ついに青山女子学院中学の校門の前まで来ていた。

それは偉く豪華な校舎で、まるで西洋のお城のようだった。

行きかう生徒たちもどこか上品で、校門からは、何台もの外車が通り抜けて行く。


「すごいところだな、青山女子って……」


さすがの結城もこの光景には驚いた。

貧乏学生の彼女には関わったこともないような世界だ。

校門の前で、生徒たちが「ごきげんよう」と声を掛け合っていた。

本当にそんな世界が存在したのだと初めて知った。

成瀬の方は、葵が小学校の頃から通っていたのでこの光景には見慣れている。

父親の知り合いのお子さんも何人か通っているし、女の子なら当たり前だと思っていた。

しかし、そのお嬢様学校に通っているにしては、葵はあまりお嬢様らしくない。

いつからあんな風になってしまったのかと、成瀬は肩を落とした。


二人は校門の前に立って、葵を探す。

当然、入り口には鋭い目つきの警備員が立っているため、親族と雖も気軽には入れない。

ひとまず、葵が校門を出るまで待つことにした。

その時だ。

校門の奥から女子生徒の甲高い声が聞こえた。


「あら、成瀬さん今日もお一人なの? お友達がいらっしゃらないのは知っておりましたけど、せめて他の生徒たちのように家の者に迎えを寄こしたらいかが?」


その女子生徒は嵩笑いながら葵に行った。

葵は鞄を背負い、帽子をかぶって帰宅する姿で女子生徒の前に立っていた。

鞄の紐を両手でぎゅっと握り、歯を食いしばりながら地面を睨みつけている。


「違いますわ。成瀬さんのお父上は官僚と言っても、ただのサラリーマンですの。お迎えを遣わすほどの財政はございませんのよ」


最初に話しかけた女子生徒の隣にいた別の女子生徒が答える。

葵はますます何も言えなくなっていた。


「そうでしたの、ごめんなさい。わたくし、一般的な家庭がどういうところなのか存じ上げませんの。わたくしの家は代々政治に携わる家系ですので、むしろあなたのお父上のような方に助けていただいておりますのに、そんなあなた方のような家庭が迎えの一人も寄こせないなんて、こんな皮肉なことはありませんわね。ならせめて、成瀬さんもそれなりのお友達をお作りになって、一緒に車で送っていただいたらよろしいのではなくって? 今のままではほんと、成瀬さんが不憫で仕方がないわ」


女子生徒は同情したように見せて、葵を侮辱している。

それがわかっているから、周りの女子生徒たちも一緒に笑っているのだ。

ただ、葵だけが悔しそうに俯いている。

言うだけ言って満足したのか、その女子生徒たちは自分たちの迎えの車に乗り込んで校門を出て行った。

彼女たちが立ち去った後に、葵は一人静かに校門に向かい歩いた。

そして、顔を上げると心配そうな顔をした兄の成瀬が立っていた。

後ろには結城もいる。


葵は顔を真っ赤にして、固まった。

こんな恥ずかしい場面を兄に、そして結城に見られたことが悔しかった。

どんなに家で強気な態度で接していても、こんな場面を見られては面目丸つぶれだ。

葵は慌てて走り出した。

成瀬も葵を止めようとしたが、その前に葵が門から出て反対方向へ走り出した。


「葵、待って!」


成瀬は葵に叫ぶが、葵は止まらない。

追いかけていく先は人通りが多くなって、すぐに葵を見失ってしまった。

その後ろから結城が追いかけてくる。


「葵は?」


結城も全力で走って来たので息を切らしていた。

成瀬は焦った様子で答える。


「わからない。見失った」

「どっち方向に行ったのかもわからないのか?」


成瀬は首を横に振る。

逃げ出すなんて思わなかった。

あんな場面を目の当たりにしたのだ。

葵がどんな気持ちでいたのか、どれだけショックなのかはわかる。

それでも今は放っておけない。


「わかった。とりあえず、私は右を当たる。お前は反対を行け!」


結城は成瀬に叫んだが、成瀬は聞いていない。

真っ青な顔をして、パニックになっているだけだ。

結城は何度か成瀬の名前を呼んだが、成瀬は返事をしなかった。

すると、結城は成瀬の胸倉を掴んで、大声を上げる。


「しっかりしろ、成瀬!! まずはお前が冷静になれ」


成瀬はその言葉で少しだけ自分を取り戻した。

そしてゆっくり結城の顔を見る。


「あんな場面を見せられて動揺したのはわかるけど、今一番辛いのは葵だろう。葵がどこ行ったか分からない以上、今は探すしかない」

「でも……」

「あの様子じゃぁ、まっすぐ家に帰っては来ないだろうな。なら、人数を増やして探した方がいい。まずは杏子と一臣に連絡しろ。あと、浜内にもだ」


成瀬はポケットからスマホを取り出した。

そして、連絡一覧を開く。

杏子の名前を押して、電話をかけようとした時、手が止まってしまった。

葵が逃げ出したと言えば、杏子も一臣も心配するだろう。

この状態だってどう説明していいかわからない。

きっと、二人とも傷つくし、葵だって知られたくはないはずだ。

電話をかける手が震える。

成瀬には家族に伝える勇気がなかった。


「いい加減にしろよ」


そんな成瀬に声をかけたのは結城だった。

結城は落ち着いてまっすぐに成瀬を見ている。


「何でお前はこんな時まで遠慮すんだよ! これはお前だけの問題じゃないだろう? お前ら家族の問題だ。真っ先に家族を頼れないなら、いったい誰を頼れっていうんだよ!?」


結城は怒っていた。

成瀬が電話をかけられないからじゃない。

これが成瀬の悪い癖だからだ。

誰にも迷惑をかけたくない。

誰も傷つけたくない。

だから自分一人でどうにかしようと今までもしてきた。

それで上手くいったことなどないのに。

自分だけが犠牲になれば、皆は幸せになれると思っていた。

だから今も両親に葵の事が話せない。

けれど、葵は両親にとって大切な娘なのだから二人とも知りたいはずなのだ。


「わかった。説明する」


成瀬はそう言って、母親の杏子に電話をした。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る