第5話 アルバイト

目が覚めると和室の天井が見えた。

畳の敷かれた部屋で座布団の上に寝かされている。

頭には濡れたタオルがかけられていた。

意識がはっきりし始めると、体中に蹴られた場所に激痛が走った。

気が付くと口の端も切れて、血の味が少しだけした。

成瀬は河川敷で葵を庇うために喧嘩をしていたことを思い出す。

どちらかというと一方的にやられただけだが、妹は守れたはずだ。

そう言えば、途中でクラスメイトの結城が現れた気がした。

彼女はいつも通りの態度で、強面の男子生徒に怯むことなく立ち向かっていた。

あれは何の護身術だったのだろうか。

合気道なのか、最後はかかと落としをくらわしていた気がしたが……。



「おい、兄ちゃん、大丈夫か?」


そう話しかけてきたのは、見知らぬ中年のおじさんだった。

頭にバンダナを付けて、甚平を着ている。

あの時の結城の格好に似ていた。

彼は無精ひげをはやし、口には煙草を咥えている。


「ここは……?」


成瀬は周りを見渡して男に聞いた。

男は笑いながら答える。


「俺の店。馨が連れて来たんだ」


馨と聞いて一瞬わからなかったが、結城の下の名前だと思い出した。

結城があの場所からここまで運んで来てくれたらしい。

目の前の男の姿から察するに、ここは結城のバイト先らしい。

この部屋も飲み屋の座敷部屋で、今は準備中なのか寝かせてくれたようだった。

成瀬は身体を起こして、男にお礼を言った。


「すいません。いきなり訪ねて来て、こんな面倒をかけてしまって」

「気にすることねぇよ。どうせ、馨の方から喧嘩に向かって行ったんだろう」


男は結城の事を良く知っているようだった。

喧嘩に関して、男の方も全く心配した様子はない。

結城が何かの護身術を身に着けていることを知っているようだった。


「あの、うちの妹が一緒にいたと思うんですが……」


成瀬は葵の事を思い出し、男に尋ねた。

あのまま助けが来たのだからきっと無事だろう。

そのまま家に帰れていたらいいのだがと心配したつかの間、奥の方から葵の声がした。

成瀬は痛む身体を起こして、襖から店内を覗くとそこには元気そうな葵と結城が立っていた。


「姉貴ぃ。今度私にも姉貴の護身術教えてくださいよ。めっさ、格好良かったんすよ、姉貴の戦う姿」


葵は目をキラキラさせて、結城に懇願していた。

さすがにこれには結城も困った顔をする。

我が妹はこんなところまで来て何を言っているのかと呆れた。


「教えてやれよ、馨。最近のお嬢ちゃんには護身術の1つや2つ知らねぇと生きていけないだろう?」


男は親しげに結城にそう言った。

結城は男に苦虫を嚙み潰したよう顔を見せる。


「黙れ、クソおやじ」


おやじ?

成瀬はその言葉に違和感がして、隣にいる気の緩んだ顔をした男を見た。

そして、それに気が付いた男が成瀬を見て笑う。


「あ、自己紹介忘れてたけど、俺は結城まさる。こいつの父親な」


そう言って勝は結城を指さした。

結城は不愉快そうに腕を組んで立っている。


「じゃあ、結城さんのアルバイトって」

「この経営下手な親父の店の手伝いだよ。下戸のくせに飲み屋なんて馬鹿げてるぜ」


結城が怪しいバイトをしているという噂はあったが、まさか自分の親の店の手伝いだとは思わなかった。

だから、学校が終わると急いで帰っていたのだ。

恐らく店は夜遅くまで営業しているから、結城は学校に来てその睡眠不足を補って寝ていたのだと思った。

そう思うと、成瀬の中の結城のイメージがだいぶ変わった。


「そもそも母さんが始めた店なんだから、俺が経営下手でも下戸でも仕方がないだろう?」


勝は困ったように答えた。

そう、結城の母親は早くに亡くしている。

この店はその結城の母親の形見の店なのだ。

成瀬は結城がこの店を懸命に切り盛りしているのは、その母親の意思を受け継ぐためだと思った。

なかなか慈悲深い子なのかもしれない。


「あの、結城さんのお母さんはなぜ亡くなったんですか?」


聞きづらかったが、成瀬は思い切って聞いてみた。

こうして結城家と関わった以上、成瀬は結城の事をもう少しだけ知っておきたかったのだ。

もしかしたら、結城を産むために母親は……


「アル中だ」


結城ははっきりと答えた。

成瀬は何かの聞き間違えかと思い、聞き返す。


「だから、急性アルコール中毒だ」


意外な答えに言葉が出ない。

それを補足するように勝も答える。


「こいつの母さんは飲むことが好きだから飲み屋始めたんだけど、料理はからきし駄目でな。経営の知識もなかったし、俺がいなかったら一瞬で潰れてたぜ。とにかく客と飲むのが好きでよ、何かにつけて仕事サボっては酒飲んでたわ。ついでに、こいつも母親似で料理は全く出来ない」


勝は再び、結城に指をさす。

その指を結城は思い切り捻り上げ、勝は痛みでのたうちまわっていた。


「馨はとにかく大雑把だから、魚は皮と骨ごとぶつ切り、野菜の皮は剥けないわ、千切りっていっても5㎜以下には切れない。だから、手伝いって言っても基本ホールの仕事と勘定なんかの金の計算がメインだ」


成瀬は少し意外だった。

なんとなく、結城はいつも物事を器用にこなしているイメージがしていた。

学校でも誰の手も借りずに、何でも卒なくこなしていた。

しかし、よく考えたら家庭科の授業中に結城が料理をしているところなんて見たことがない。

それは一緒に調理しているメンバーが嫌がっていたからだと思っていたが、本人も作る気はさらさらなかったのかもしれない。


結城は相変わらず不機嫌そうな顔をしている。

しかし、成瀬はどこかほっとしていた。

クラスメイト達が思うほど結城は悪いやつじゃない。

授業中もずっと寝ているのもどうかと思うが、生活の為に働いているなら大目に見てもいいかもしれないと思った。

それに今回の件は、結城にしっかりお礼を言わなければならない。


成瀬は座敷から降りて、結城の前に立った。

そして、頭を下げる。


「今日は本当にありがとう。結城さんがいなかったら、今頃俺も妹もどうなっていたかわからない」


結城は複雑な顔で成瀬を見ていた。

結城の隣にいた葵も気まずそうな顔をしている。

彼女はふうと大きく息を吐いた。


「妹を助けようとした試みは偉いと思う」


結城の意外な言葉に成瀬は驚き、顔を上げる。


「けど、男のくせに殴られっぱなしは格好悪いだろう」


ごもっとも。

成瀬は自分のやられっぱなしの状況を思い出し、情けなくなった。


「妹に護身術覚えさせる前に、兄貴のお前が妹をちゃんと守れるようになるのが先だ。大事な妹なんだろう? 兄貴がしっかり守ってやれ」


結城には兄弟がいない。

だから、成瀬の命を懸けても妹を守ろうとする姿勢はわからないが、羨ましくもあった。

最初から優等生の成瀬が喧嘩が出来るとも思っていない。

自分1人ならうまくやり過ごしていたのだろうが、守る者がいれば状況は変わるのだ。


「そうだね、その通りだよ。だから、結城さん、俺にも君の護身術を教えてよ」


成瀬は真っ直ぐ結城を見て答えた。

結城も茫然と成瀬を見つめていた。

誰かに何かを教えて欲しいとか、自分に自ら関わってこようとする人が珍しかったからだ。

後ろで勝も温かい目で見守っている。

成瀬は約束の印に握手を求めた。


「これから、よろしくね、結城さん」


彼は笑顔で結城に話しかける。

結城の口がゆっくりと開いていた。


「だが、断る!」


それはものすごく渋い顔で答えていた。

逆に成瀬の方が握手を求める格好のまま固まってしまった。

その横で今度はすがるように葵が頼み込んできた。


「兄貴の事はいいけどさ、私には教えてくださいよぉ、姉貴」

「嫌だったら、嫌だ。私はバイトで忙しいんだ。護身術なら近所の道場で金払って教えてもらえ」


鬱陶しくまとわりつく葵を手で突き放しながら言った。

それもそうかと成瀬も自分の頭を撫でる。

これをきっかけに少しでも結城と仲良くなれたらと思ったが甘かったようだ。

ただ、結城が成瀬兄妹を助けたのは嘘じゃない。

成瀬はこれから少しずつでも結城の事を知っていこうと思った。

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