今何故ウクライナを支持しロシアを否定してるかといえば
こちらは西側諸国であり、西側の価値観に基づいて行動しているから
でしょうね
ウクライナにも悪い所はあるだろうし、ロシアにはロシアの正義はあるのかもですが、やはりその様な価値観及びそれに基づいた教育によって
「侵攻してきたのはロシアだしロシアが悪い」と単純に思ってしまってるのもアレかもですね
ちゃんとどちらの立場の意見も聞いて自分で判断する事が重要でしょうね
まあロシア・中国には国家を否定する事も出来ない「らしい」ですが
作者からの返信
素晴らしい応援コメントありがとうございます。
そうですよね、ちゃんとお互いの事を知って、話して、分かり合う。これが大切だと思うんですよ。
まぁ、出来て無いから起こるんですけどね。
読んで下さりありがとうございました。
はじめまして。野栗と申します。
「桃太郎と鬼」のたとえ、心から共感します。平和を考える上で、まっさきに自分の住んでいる国を相対化する視点を持つことが不可欠だと痛感します。
中学1年生のときに地理で、〖竹島や北方領土、尖閣諸島などをめぐって、韓国やロシア、台湾や中国との間に問題を抱えている〗と学習なさったとのことですが、その「問題」の背景にある歴史的経緯をどのように学習されたのでしょうか? 昨今、それこそ「桃太郎」の視点のみで近隣諸国の「脅威」を煽り立てる風潮が非常に強いと感じています。
8月は8.6、8.9、8.15と戦争と平和を考える節目の日が集まっています。
平和を考えていくうえで、これらの日とともに、アジア(特に日本植民地支配下で牢獄につながれた独立活動家など)にとっての上記3日間、そして、9.18・7.7や6.25などの日について向かい合わなければならないことを、これまで出会った多くの知人から学びました。
今の日本が「平和」だと言い切れる人がいるとしたら、その人はそう言い切れる自らの特権性にそろそろ気づいた方がいいのでは、と愚考します。
まとまらない文で失礼いたしました。
作者からの返信
返信が遅れてすみません。
そして、応援コメント、ありがとうございます。改めてまして、私、十六夜 水明と申します。
この、コメントを読ませていただいた時、嬉しかったのと同時に『こんなに真剣に平和について考えて下さる人がいたんだ』と心の中で感動しました。
今、私はいわゆる『意味が深いアニメ』が好きで、特に〖コードギアス〗シリーズや〖マギ〗シリーズ、〖憂国のモリアーティ〗等の、『人の在り方』や『生き方、政治、平等』等を題材にした作品が好きで、自分としてはそんな人の心に訴えられるような作品を書くことを目標としています。
さてさて、質問の回答に行きましょう。
この文章は、中学校2年生の時(今年)、私が書いた宿題の平和の作文なんです(あっさり、自分が中2だということがバレてしまう、、、)。なので、去年、地理で社会科の先生に〖問題〗が両国間であって、それが酷くなると最悪戦争になると教えられました。なので、まだ、その原因等は、学習していません。(まだ,鎖国辺りまでしか学んでないんです。するとしたら、今年か来年になります。)
でも、歴史的になにかが関わっているのかな?と推測しています。
『人は、権力の高圧的な力や物理的な強い力には、弱いとは思いません。それは、自分自身の気持ちが弱いだけなのだと感じます。
でも、それは一時の恐怖であり、それを乗り越えれば今までよりも一回り大きな存在になれると思います。
またその分、今まで自らの権力や力に溺れていた人々はその、自分達が作り上げたといってもいい、一回り大きな存在に討たれるのです。』
その、見本としてプーチン政権が挙げられるでしょう、、、、、、と言いたいところですが、ここでもプーチン氏がなにか事象があったのかもしれない、そうせざる負えなかったのかもしれない、と思うと、また、複雑な気持ちになります。
そんな、人の気持ちの裏の裏まで読めて世界を動かすことが出きる人がいたなら、人々が多少のいざこざはあっても楽しく、幸せに暮らせるのかもしれませんね。
でも、世界は摂理的にそうはならない。
逆に人間が世界を壊していると言っても間違いではないでしょう。環境を破壊し、生物を妨げ、自分達の種族を優遇し、自分達が良ければそれでいい。
もしかしたら、人間が世界を支配していなければ別の知識生命体が現れたのかもしれないのに。
長々と語ってしまいましたが、今回、私が言いたいのは、、、。
人には人の思想がある。それを、少ないからと優遇したり、多いからと適当に済ませてしまうのはなにか違うと思いませんか?これは権力や力を持つ人々も同じです。
この世の中、様々な思想達が行き交って成り立っているのです。
平和とは、それが止まり、思想が統一されてしまう事だと私は、思います。
それでは、時が止まっていることと、同じではないでしょうか?面白くないですよね。私としては、そう考えると平和な世界なんて、真っ平ごめんです。
今一度、この事をもっとしっかり〖学び〗〖知って〗みたいと思いました。
最後に、
『平和とは、多くの人々が〖平和〗という〖理想〗に向かって歩んでいくことによって起こる途中経過のようなもの』
だと私は思っています。
長々と語ってしまい、すみません。更に言えば、思ったことをただただ、綴っていただけなので、内容も最後の頃バラッバラで、、、。読みづらなったらすみません。
でも、これが私が今思っていることの、〖一欠片〗です。
今度こそ、最後の最後!
こんな、私の愚作を読んで下さり、本当にありがとうございました。
しかも、長々とコメントをわざわざ私の作品に書いて下さり、重ね重ね、本当にありがとうございました。
とても興味深く拝読しました!
歴史が好きなら、踏み込まずにはいられないテーマですよね……自分も僭越ながら、考えていることをコメントさせていただきます。
平和は「なんらかのルールで秩序が維持されている状態」と定義できます。
戦争は「問題解決のために戦争という手段を選択した状態」と定義できます。
平和と戦争は対義語ではなく、平和の対義語は「無秩序」、戦争の対義語は「戦争以外の手段」になります。
戦争を、争いや暴力に置き換えても同じです。
争いがあっても、秩序の下で裁定される状態なら、平和と言えます。
現時点で戦争をしているロシアも国民生活は平和で、麻薬組織が秩序を破壊したメキシコ北部は平和ではありませんね。
そして「全世界に平等な永遠の平和」でなくとも、国や地域ごとの平和は、長い歴史で確実に範囲と期間を広げています。
平和=秩序を広げたのは、国と政治、法律と教育の発展です。
そういう意味で、人間も世界も捨てたもんじゃありませんよ✨