第七話
「十一時十三分に着くな」
梅本は目的地を自動運転システムの端末に口頭で入力し、モニター画面に表示された到着予定時刻を確認して言った。
「そうか、着いてからゲートでいろいろチェックされるから、ちょうど良いんじゃねぇか?」
白いものが混じった髪をオールバック風に整え、縁なしの眼鏡をかけ、真っ白なシャツにネイビーのジャケットを着た相沢が、頷きながら言った。
大きく広がったフロントガラスの先に延びる道路に視線を向け、倒せばフラットになるシートに深く身体を鎮めている。
「だな……そうだ、昼飯は肉料理だってよ」
「ステーキか?」
「だろうな。ワインも用意してあるって言ってたからな」
「そうか……だけどゆっくり飯を味わってる暇はねぇけどな……。食事は誰が用意するんだ?まさかお前のダチがステーキを焼くわけじゃねぇだろ?」
「当たり前だろ!鎌倉の有名な何とかっていうレストランに頼んでるって言ってたよ」
運転席側のシートに腰を沈めている梅本は緊急時にだけ使う小さなハンドルを、指先で軽く叩きながら言った。
この日の服装はチェック柄のジャケットの下は薄いブルーのシャツで、カジュアルな服装だ。
今は被ってはいないが手にはハンチング帽を持っていて、いかにもゴルフ場に行きますといった雰囲気を醸し出している。
「やっぱ金持ちは違うな。俺なんか数えるくらいしかレストランの料理を食ったことしかねぇのによ」
「俺だって似たようなもんだ」
梅本は自嘲気味に嘆く相沢に同調した。
「しかし、昔の人が今の金の管理方法を見たらびっくりするだろうな」
「そうだな。俺たちが若い頃はキャッシュレスとかいって、現金を持たないようにしましょうってキャンペーンをしてたからな」
「今は金持ち程現金を自分で管理してるんだから笑っちまうよ」
「そりゃあ銀行預金に税金がかかるんじゃ、自分で管理するしかねぇだろ。俺たちみたいに今日の食い扶持すら乏しい人種とは違うからな」
そう言って梅本は小さく笑った。
おとなしい日本人が暴動を起こすのではないかと危惧をされる程、二十一世紀の中盤に施行された金融機関の預金残高そのものに課税をする税制改革は、国がひっくり返るような大騒動だった。
貯蓄好きの国民性は二十一世紀半ばになっても変わることはなく、多くの国民は利息が付かないのを承知で、銀行をはじめとした金融機関に資産を預けていた。
中々市場に出回らない国民の資産を何とか吐き出させようと、歴代の政府は様々な策を講じたが、全てが空回りに終始している。
国力の低下に伴い年々税収が落ち込む中、業を煮やした財務省が時の政府に強烈なプレッシャーをかけ、国中が喧々諤々と意見が衝突する中、政府は総辞職と引き換えに『貯蓄税』を導入した。
複数の銀行、あるいは信金、郵貯を問わず、個人の預金額の合計がペイオフと同額の一千万円を超えると貯蓄税がかかる仕組みだ。
一千万円未満には税はかからず、一千万を超えた金額に税が徴収される。
導入直後の税率は0.3%だったが、三年後に0.2%、更に五年をかけて少しづつ税率がアップし、最終的には1%になっている。
国民の預金額はマイナンバーで紐づけされているので、隠しようがない。
回避策として海外の金融機関に資産を移し替えることが想定されるが、カントリーリスクの低い国の金融機関でも『貯蓄税』は導入されている。
かといって、不安定な国の金融機関への資産の移し替えは金融のプロ以外にはリスクが大きく、素人では対応が難しい。
そうなると素人を食い物にしようと、詐欺まがいの仲介業者が跋扈するのは目に見えている。
だが、そこは政府も考えていて、海外に資産を移行する際に別の『税』を設けて事実上の規制をしていた。
結局、一般の預金者は利息が付かないばかりか、預けているだけで元金が減ってしまう金融機関への預金を引き出すことになる。
一部は低リスクの金融商品に資産を回すが、それは財務省や政府が期待した規模からはるかに遠く、『タンス預金』という時代を逆行するアナログな資産管理が大半を占めてしまっている。
『貯蓄税』導入を巡る大騒動の後、結局、儲かったのは金庫を販売する会社と、個人契約型警備会社だけだったという結果になっていた。
『頑丈な金庫に警備会社』が資産家の必須項目になっているが、そういった資産家に対する強盗事件は増え続けるばかりだった。
そこで、厳重な警備が保証された『住居』が、大きな需要となってくる。
都心の一等地に建つ超高級マンション等は建物自体が要塞化していて、入居者の関係者以外に外部の人間が建物の中に入ることは、ほぼ不可能なくらいに警備が強固になっている。
また、集合住宅を嫌う資産家向けに、強固な警備に守られた戸建てタイプの居住区が各所で開発されているが入居希望者が殺到し、抽選から漏れた資産家たちの開発促進の要望は後を絶たない。
一般に『コミュニティ』と呼ばれている戸建てタイプの居住区は、高いフェンスに囲まれていて、要所ごとに見張り台があって外部からの侵入は難しい。
当然、入り口の警備も厳重で、居住区の住人でさえチェックを受けなければならない。
住人以外の出入りは更に厳しく、コミュニティの住人から事前に届け出がない場合は、ゲートを通過することは出来ないケースがほとんどだ。
届け出がある場合も、空港の保安検査場以上のチェックが行われる。
コミュニティが運航しているシャトル便以外の車両については、車の下回りを含めた車体全体をチェックされ、不審物の有無を確認される。
国に認可された警備会社の警備を担当する係員になるには、国家資格を取得しなければならない。
筆記試験だけではなく、格闘技などの実技を含めた厳格な審査をクリアした上で、殺傷能力が低い銃器の所持を認められるようになっている。
いかつい体格で銃器を持ってコミュニティの入り口で来訪者をチェックする係員は、〈国境警備隊〉と揶揄されていた。
「そろそろ国境警備隊が待っているゲートに到着だ……落ち着いてやろうぜ」
「ああ、ゲートでドンパチやる羽目になっちまったら元も子もないからな」
モニター画面を見ながら言った梅本の言葉に、相沢は姿勢を正してから応え、低い声で笑った。
『間もなく間もなく目的地に到着します』
モニター画面に目指すコミュニティが表示され、モニター画面横のスピーカーから性別の判別が難しい声で告げられた。
「じゃあ、国境警備隊とのやり取りは任せたぜ」
「ああ、伊達に詐欺をしてきたわけじゃねぇから、その辺は安心しろ」
「頼んだぜ……
「ドンパチか?」
梅本が訊くと、「……だな」と相沢は短く応えた。
「ご訪問先は大塚様ですね。これから大塚様にご到着の案内をいたしますので、少々お待ちください。大塚様が応答されましたら、モニター画面に向けて梅本様から一言お願いいたします」
梅本の小型のタブレットに表示している招待者のインビテーションIDを確認しながら、異様に首の太い警備員は事務的に言った。
梅本は車のウインドウを下げ、警備員が差し出すモニター画面に視線を向けた。
「おう、着いたか。元気そうだな。ちょうどメシの準備が終わったところだから、早くチェックを済ませて来いよ……警備員さん、間違いなく私の友人ですので宜しくお願いします」
モニターカメラに向かって快活な表情で大塚は言い、それを確認した警備員は、「承知いたしました」と、短く応えた。
「大塚様の確認が取れましたので、お手数をおかけしますが、所持品とお荷物、それからお車のチェックをさせて下さい」
異様に太い首の警備員が、モニター画面を別の警備員に渡しながら運転席側に座っている梅本に告げた。
「はい、降りた方が良いですか?」
梅本がにこやかに言うと、「とりあえずあちらの枠線の中にお車を移動してください」、と警備員は黄色い枠線に左手を指した。
梅本は警備員が指定した枠線の中に車を進める。
その間、相沢は身じろぎもせず、腕を組んで、いつでも行動を起こせるようにシートには浅く座っていた。
「荷物はこれだけですか?」
首の太い警備員とモニター画面を受け取った背の高い警備員の二人が、二つのゴルフバックを車から降ろしてチェックを始めた。
「あと、こっちは着替えとかですけど……」
梅本はそう言って二つのボストンバックを警備員に差し出す。
「ありがとうございます。それでは一度お車を降りていただいて、このゲートを通って下さい」
首の太い警備員が梅本と相沢の二人を車から降りるように促した。
梅本と相沢は素直に車から降り、空港のセキュリティーゲートと同タイプのゲートを、落ち着いた足取りで潜り抜けた。
ゲートの横にあるモニター画面を見ている背の高い警備員は、潜り抜けた二人の後姿を見ながら、首の太い警備員に小さく頷いた。
「こちらは?」
首の太い警備員が、弾丸を仕込んだ置時計の箱を持ち上げた。
箱は薄い青色の無地の包装紙でラッピングされている。
「それは大塚へのお土産の置き時計です。彼はアンティークの時計とかが好きなので……包装紙を剥がして中を見ますか?」
梅本は穏やかな表情で言う。
✕レイのモニター画面を見ていた背の高い警備員が『どうします?』というように首の太い警備員を見上げる。
リーダー的な首の太い警備員は小さく頷き返し、包装された箱を戻し、「包装紙を破るのは何ですから、そこまでしていただかなくても大丈夫です」と言った。
「そうですか、それは助かります。私は不器用なので、包装をし直すなんて出来ませんから」
梅本は笑いながら首の太い警備員に応えた。
「私もそういったことは不得手でして……では、お車をチェックしますので、少しだけお待ちください」
首の太い警備員が、ゲートを潜り抜けて所在なげに立っている二人に言った。
「今のところ、大丈夫そうだな」
梅本が唇を動かさずに小さな声で言うと、相沢もほんの少しだけ顎を引いて応えた。
二人の警備員は地雷探知機のような物で車の底部を調べている。
「ボンネットも開けますか?」
外観のチェックが終わりそうな雰囲気になったところで、梅本が警備員に声をかけた。
「そこは結構です……お待たせして申し訳ございませんでした。お料理が冷めないうちにどうぞ。大塚様のヴィラはこちらのスティックをナビに挿し込んでいただければ自動で到着します。スティックは大塚様にお渡ししてください。ご協力、ありがとうございました」
首の太い警備員が親指程の大きさのスティックを梅本に渡しながら言った。
「こちらこそありがとうございました」
梅本がにこやかに応え、受け取ったスティック外部機器用のポートに挿し込む。
車は静かに動き出し、ゴルフバックを車に戻し終えた背の高い警備員がスイッチを押して開いた鉄扉の間を、滑らかに通過した。
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