第八話

「どうやら第一関門はクリアしたな」

 相沢が詰めていた息を静かに吐き出しながら言った。

「警備員がに仕事熱心だったのが幸いしたな」

「お互いにとってな」

 相沢は梅本の言葉をフォローするように言い、「早く一杯やりてぇな」と呟いた。

「もう少し我慢しろ。仕事ゴトが済んだら、吐くほど飲めるって」

「分かってるよ……」

『まもなく目的地に到着します』

 モニター画面から電子的な声が聞こえてきた。

「よし、そろそろだ」

「ああ、ここからは弱気になったりしないで、打ち合わせ通りにやるんだぞ」

 相沢が姿勢を正して言った。

『到着しました。指定のスペースに駐車をしますので、暫くお待ちください』

 日本家屋風の門扉の前で一旦車は停止し、方向を変えて後ろ向きに門扉の前にあるパーキングロットの枠線内に静かに停車した。

『降車が可能に……』

 梅本はモニター画面の声を最後まで聞かずに、モニター画面に表示されている車の動作停止箇所をタップした。

 二人が車を降りると木製の門扉が開き、中から銀髪で小柄な男が出てきた。

「待ってたよ、元気そうだな」

 白いシャツに濃いブラウンのカーディガンを羽織った大塚が、梅本に歩み寄った。

「そっちも元気そうで……あ、こっちが前から話をしていた相沢さんだ」

 梅本は大塚と握手を交わしながら、後ろに控えている相沢の方に顎を向けた。

「相沢です。今日は図々しく梅本さんにくっついてきて、申し訳ありません」

 相沢は柔和な表情で言い、軽く頭を下げた。

「いえ、こちらこそお忙しいのに、こんな田舎まで足を運んでいただき恐縮です。さ、中へどうぞ」

 大塚も頭を下げ、開いたままの門扉に方に二人を促した。

「あ、ちょっと待ってくれ。手土産って程のものじゃないけど、昼に肉をご馳走してくれるって言うから、赤ワインを持ってきたんだ」

 梅本はそう言って、車のトランクから赤ワインが入った箱を取り出した。

「気を遣わなくていいって言ったじゃないか……」

「安物だから気にすんな。もっとも、お前の口に合うかは分からないけどな」

「俺だってワインの良し悪しなんか分からないよ。じゃあ、肉が焼けたらそのワインを開けるか」

「俺はワインなんて洒落た物はあまり飲まないし、今日は車もあって飲めないから、お前に任せるよ」

 自動運転の車でも、万一自動での走行ができなくなった場合や、走行中になんらかのトラブルが発生した時に対応できるように、運転手はアルコール類の摂取は固く禁じられている。

「お前が飲めないのは残念だけど、相沢さんと飲もうと思って、一応俺の方でも用意はしてあるから、そっちを先にするか?」

「私はお付き合いで飲む程度で……。ワインの良し悪しは全く分かりませんから、大塚さんのお好きなように」

 大塚の提案に相沢は控えめな表情で応え、横にいる梅本もにこやかに笑いながら頷いた。

「まあ、とにかく中に入ってくれ。シェフが料理の準備をしているから、待たせるわけにはいかないし」

「料理をする人は、何人来てるんだ?」

 梅本は気になる点をさりげなく訊いた。

「お店からは三人だ。料理をしてくれるのは二人で、もう一人は料理のサーブをしてくれたり、後片付けをする人だ」

 大塚の話を聞いて、梅本と相沢はアイコンタクトを交わした。

 昼食に鎌倉の料理店が出張して来るというのを聞いていたので、スタッフの大塚邸での滞在時間や人数が気になっていた。

 そこで、二人はいろいろなパターンをシミュレーションしていた。

 単純に料理を作ったら帰るパターン。

 料理から給仕、後片付けまでを行い、食事が終わった後も暫くは居残るパターンなどを、あれこれと想定しながら対処方法を検討している。

 結果的に一番面倒なパターンだが、こうなった場合の手順も考えてある。

 この場合、一番の懸念は食事の時間が長くなればなるほど、梅本と相沢二人の緊張状態が継続することだ。

 料理店のスタッフに顔を見られることはそれ程問題ではない。

 既にゲートの警備員に顔を見られているし、警備室のカメラにも、鮮明に二人の姿は記録されているのは確実だろう。 

 先の時間が限られている二人にとって避けたいことは、現金を手にすることなく身柄を拘束されることである。

 あるいは、首尾良く現金を強奪したとしても、逃走中に身柄を拘束されたり、ほとぼりをさましている間に、発見、拘束されることである。

 兎にも角にも、短い残りの人生を少しも楽しめないことが一番の恐怖だ。


「広い家だな……こんな家に一人で住んでて寂しくないのか?」

 大人三人が横に並んで歩ける程横幅のある廊下を歩きながら、梅本は訊いた。

「別に寂しくはないな。元々一人でいるのが性に合ってるし。でも、結構来客もあったりして、中々自分の時間を楽しめないけどな」

「そうか、家事なんかはホームヘルパーさんとかに頼んでるんだろ?」

「いや、基本的には自分でやってるよ。ただ、庭の手入れとか熱帯魚の水槽の掃除などは専門の人に来てもらうけど……。それから、今日みたいに来客があった時の食事の用意とか、宿泊する人がいる場合なんかは専門の業者さんに来てもらって、ベッドメイキングや客室の掃除なんかをしてもらうけど、自分専用の場所は自分でやってるさ」

「そのマメさは変わらないな」

 大塚の説明に、梅本は頷きながら笑った。

「マメってことはないさ。独り暮らしが長いから、自然とそうなっただけだ」

「ふーん、そういうものかね。この先もずっと一人でいるのか?」

「一人って?」

 梅本の問いかけに、大塚は分かってはいるが、間を取るように訊き返した。

「いや、ほら、仕事をセーブできるようになったようだから、少しはプライベートに時間を費やせるだろ?このまま一人で生きていくのもいいだろけど……」

「誰かと一緒になれってか?」

 大塚は、笑いながら梅本の言葉を継いだ。

「まあ、そうだな。今まで仕事に全神経を集中してきたんだから、これからは自分のために時間を割けるだろ?そのついでって言い方は変だけど、残りの人生を共有できるパートナーがいた方がいいんじゃないかって思ってさ……まあ、余計なお節介だったな」

「もう他人に気を遣うのは勘弁してほしいよ。お前が言うように、残り時間は限られているんだから、尚更自分のためだけに時間を使いたいって思う」

「確かにそれもありだな、って、俺もお前と同じでこれから先を一緒に過ごすパートナーとかはいらないと思ってる……というより、こんな俺じゃ誰も相手にしてくれないしな」

 梅本が自嘲するように言うと、二人の会話を聞いていた相沢が、「そういうこと」と、梅本の言葉を追認して小さく笑った。

「相沢さん、ご家族は?」

「私もお二人と一緒です」

 相沢は大塚の問いかけに笑顔で返した。

「同じ境遇のおっさんが三人揃ったってことですね。今日はその話は無しにして、他の話題で盛り上がりましょう」

 大塚はそう言いながら、ダイニングに通じる扉を開けた。

 二十坪程の広さのダイニングルームは、中央に細長い楕円形で重厚そうなテーブルがあり、その他にも四人掛けのテーブルが四脚あった。

 中央のメインテールには背凭れの高い椅子が六脚ずつ、十二脚が整然と並んでいる。

 そのメインテーブルの奥には、高級そうな酒のボトルが並んだ棚の前にカウンターがあり、脚の高い回転式の椅子が四脚あった。

「ほう、なんか洒落たレストランって感じだな」

「本格的なバーのようなカウンターもあるな」

 梅本が感心したように言うと、相沢も頷きながら言った。

「たまに仕事関係の客が来るからな。今日は三人だから、あっちのテーブルに席を用意してある」

 大塚は物珍しそうにダイニングを見回す二人を、陽の差し込む窓際にある四人掛けのテーブル席に促した。

 テーブルの上には、既にグラスを含めて食器類がセットされている。

 三人がテーブルに近付くと、バーのようなカウンターから、痩せた男性が足音も立てずに近付いてきた。

 黒のスーツに光沢のある真っ白なシャツ、黒のボウタイ、短めの髪をオールバックに固めた四十過ぎの男だ。

「では、食事の方、宜しくお願いします」

 大塚が席に着きながら給仕を担当する男性に言い、梅本と相沢もそれぞれテーブルにセットされている席に座る。

「かしこまりました。お飲み物は如何いたしましょうか」

「食前酒はどうします?梅本はどうする?」

 相沢と梅本を交互に見ながら、大塚は訊いてきた。

「私はアルコールの強くないものを……ビールはありますか?」

 相沢が遠慮がちに訊く。

「はい、ございます」

 笑顔で頷き、給仕は梅本の方に視線を移した。

「私は車の運転があって飲めないので……じゃあ、ミネラルウオーターをお願いします」

「かしこまりました」

「私もビールで、その後は用意して頂いているワインをお願いします」

 給仕は顎を引くように頷き、静かにバーカウンターの方に戻って行った。


 良く冷えた瓶ビールから、相沢の目の前にあるグラスに、給仕が優雅な仕草で琥珀色の液体を注いだ。

 大塚のグラスにもビールが注がれ、梅本のグラスにミネラルウオーターが満たされたところで、大塚が乾杯の音頭を取った。

 各々がグラスをテーブルに戻したタイミングで、給仕がワゴンに載せて運んできたスープやサラダをサーブする。

 大塚は慣れた手つきでサーブされた料理に手を付けるが、相沢は戸惑い気味に梅本の方に視線を送り、梅本の所作を真似ながら料理を口に運んだ。

 食事の間は主に大塚が会話の中心になって、場の雰囲気を和やかにすることに注力をした。

 大塚が前科者の支援活動をしているという触れ込みの相沢に質問をするが、梅本は詐欺師の本領を発揮して、相沢が馬脚を現さないように、巧みにフォローをする。

 メインのステーキが運ばれ、箸で切れる程の柔らかいステーキ頬張り、梅本と相沢は口中で溶ける肉に目を丸くして感嘆した。

「こんな美味いステーキは初めてだ!な?」

「ああ、びっくりしたぜ、こん……普段は粗食なので、舌も驚いています」

 梅本の振りに思わず地が出そうになったが、相沢はすんでの所で踏み止まった。

「そうですか、それは良かった。足りなければもう少し焼いてもらいましょうか?」

「いや、もう十分だよ。食べ慣れない物ばかりで、腹の方がびっくりしちゃってるよ」

「本当にそうです。こんなご馳走、今まで頂いたことありませんから」

「そんな遠慮はいりませんよ」

「いや、本当にもういいって」

「そうか、じゃあ、デザートを持ってきてもらって、後はバーカウンターで酒でも飲みましょうか?」

 大塚は後半の部分は相沢に言い、給仕に目配せをした。


「これがバーボンですか?」

 相沢は琥珀色の液体を口に入れ、目の前にグラスを置きながら言った。

「ええ、昔はポピュラーだったようですが、最近は飲む人が減ったこともあり、生産する会社も少なくなっていて、結構品薄ですね」

「高いのか?」

 コーラの入ったグラスを手で弄びながら、梅本は訊いた。

「どうだろう?まあ、今、巷で流通している人工ウイスキーよりは高いけどね」

「私はその人工ウイスキー専門ですが……」

 相沢は自虐的に言って笑った。

「いえ、味は人工ウイスキーの方が安定していて飲みやすいし、アルコール度数やカロリーも低いので……」

「いいよ、別にフォローなんかしなくたって。相沢さんはそんなことで気を悪くしたりしないから大丈夫だよ。それより、トイレを借りたいんだが、どっちだ?」

 食事を終え、三人はバーカウンターに移動して、大塚と梅本はバーボンを飲み、梅本はコーラをチビチビと口にしている。

 鎌倉から来ていたレストランのスタッフは、後片付けを終え、五分程前に三人に挨拶をして、大塚邸を辞去していた。

「そこの扉を開けて、廊下の突当りにあるよ」

「あ、私も……ツレ何とかで品がなくて申し訳ございません」

 梅本に追随するように、相沢がスツールを降りる。

「こっちだな……」

 梅本はダイニングルームの扉を開け、奥に伸びている廊下の先を見ながら言った。

「分かるだろ?」

「ああ、突当りだな?」

 梅本は大塚の確認の言葉に応えながら、後についてきた相沢のために扉を大きく開けた。


「梅本は?」

「梅本さんは大きい方みたいで……」

 大塚の問いかけに、トイレから先に戻ってきた相沢が応えた。

「相沢さん、お代わりは?」

「そうですね、もう一杯だけいただきましょうか。ただ、今度は水割りでお願いします」

「お強いんでしょう?遠慮なさらずにどんどんやってください。梅本にも言ってあるんですが、なんなら家に泊まってくださっても一向にかまいません。明日のゴルフは戸塚でしょ?ここからなら一時間もかかりませんから」

「いえ、梅本さんとホテルを取っていますから……。初対面なのにご馳走になるばかりか、泊まったりしたら、ご迷惑のかけっぱなしになってしまいますよ」

「そんな、迷惑だなんて。私の方は今夜と明日はフリーですから。それに、毎晩一人で夕飯を食べるのもなんだか侘しい感じがします」

 大塚はバーボンの入ったグラスを弄びながら言い、カウンターの上にあるナッツ類が載っている小皿に手を伸ばした。

 その時、警戒心のない大塚の背後から足音を忍ばせて近付いた梅本が、副作用の少ない吸入麻酔薬を滲みこませたハンドタオルで、大塚の口を塞いだ。

 梅本は無抵抗の大塚がスツールから落ちないように、左手で支えながら相沢を見た。

 相沢も大塚の両脚を押さえながら、梅本に頷いた。

 梅本は大塚の全身から力が抜けたのを確認すると、背後から両脇に腕を入れ、静かにフローリングの床に横たえた。

「麻酔薬は全部使い切ったか?」

「ああ、この通り」

 相沢が結束バンドで大塚の両手首を縛りあげながら訊き、梅本はジャケットのポケットから空き瓶を取り出して見せた。

「大塚さんの体型なら三時間程度はもつだろう。だが、人によっては麻酔の効き目に差があるから、あまり余裕はないと思った方がいい……早速一件目のお宅に訪問するとしよう」

 相沢は後半部分をセールスマンにような口調で言い、結束バンドで拘束した大塚の頭の下に、椅子から外したクッションを枕代わりにした。

「そうだな。一件目はこの家からすぐの、婆さんが独りで暮らしている家だったな」

「ああ、とにかく急ごう。忘れ物はないよな」

「土産のワイン以外は手ぶらだから大丈夫だ。道具や武器は車に積んであるから、車の中で組み立てるか?」

 梅本の問いかけに、相沢は一瞬考えるようにダイニングルームを見回した。

「計画では車の中で分解と組み立てをしようと考えていたけど、警備員が巡回してたら面倒だから、一旦ここに運び込んでから組み立てるか」

「そうだな。それがいい」

 梅本は相沢の言葉に頷き、玄関に向かった。

「万が一、巡回している警備員に見られたとき、二人揃って車に行くのは怪し過ぎるから、お前一人でゴルフバッグと置時計の箱を持ってきた方がいいな」

「そうだな。この玄関扉に警報装置はないって、お前の弟子が言ってるけど大丈夫か?」

「大丈夫だと思うが、一応調べてみるか」

 相沢は玄関ホールを隈なくチェックし、最後に扉も入念に調べて、「大丈夫だ。特に仕掛けはない」と言って、親指を立てた。

「じゃあ道具を持って来るか……」

「ちょっと待て、ジャケットを脱いでいけ。その方が自然だ」

「おっと、俺としたことが……扉は鍵をかけずにな」

 ジャケットを脱いだ梅本は、扉を小さく開き、車を停めている駐車スペースにゆっくりとした歩調で向かった。

 スマートキーのスイッチを押してリアゲートを開けた時、道路の砂か小石を踏む微かな音と共に、屋根の上に設置されている青いランプを点滅させながら、警備の車が通り過ぎていく。

 多分、車体のどこかにあるカメラで、こちらの様子は撮影されているはずだ。

 梅本は車の荷室からゴルフバッグと置時計の入った箱を取り出し、ゴルフバッグを肩に担いで玄関に向かう。

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