第25話 裏庭市
昼過ぎに調理場の前まで行ってみると、すでに荷馬車が三台並んでいてメイドさんたちが群がっていました。半分くらいは初めて顔を見るメイドさんで、こんなに大勢いたのかと驚きます。
荷馬車の前には縁台が並べられて、いろんな品が並べられていました。
メイドさんたちがキャッキャと楽しそうに、目に付いた品を手に取って確かめています。真剣なまなざしで商品を睨みながら悩んでいる人、どっちにしようか右手と左手を見比べて迷っている人、二人でひとつの品を奪い合うように揉めている人、嬉しそうに商品を握りしめながら行商人にお金を渡している人、買い込んだ品物を詰めた袋を抱えて急ぎ足でお屋敷に戻る人。みんなどこか浮き足立ったようにソワソワしながらも楽しげです。
僕もその後ろから覗き込んでみます。
ざっと見た感じ、女性用の品が多いようです。化粧品、洋服、布地、ボタン、レース、裁縫道具、耳飾り、首飾り、指輪、手袋、靴、靴下、下着などもあります。他には、色とりどりの飴やドライフルーツや木の実などの瓶詰め、砂糖や塩、香辛料などの食料品。包丁やナイフ、鍋やフライパンなどの鉄製品もあり、その横には短剣や革の胸当てや手甲足甲なども置いてあります。
メイドさんたちの隙間越しに見て回っていたら、ルネさんにつかまりました。
「アルくん、アルくん。これとこれ、どっちが似合うと思う?」
ルネさんがうきうきした声で僕に呼びかけます。脇にすでに買った本を挟んで、両耳にそれれぞれ違った色と形の耳飾りを当てています。
「私の髪って赤いから、こっちの赤い方は逆に目立たないかなって思うんだけど、どう? こっちの青だとヘンかな?」
「僕に訊かれても……そういうのよく分かんないですよ」
「いいからいいから、パッと見た感じで!」
「う〜ん……そうですねえ、赤かな、でももっと明るい色がルネさんっぽいかなあ」
「え、そう!? なるほど、なるほど〜。ということは、このオレンジ? そうねえ、これもいいわねえ……」
別の耳飾りに目移りして、余計に悩みはじめてしまいました。
僕もつい薄紅色の耳飾りを手に取ってみました。
銀色の金具の先に小さな石が嵌まっています。これはガーネットでしょうか、拾ってきた鉱石の中にもこんな石があった気がします。輪郭は丸く整えられ、表面は複雑な角度でカットされていて、キラキラと透明な赤色に輝いています。
「あ〜、それね。それがいちばん素敵なんだけど、とても私に買える値段じゃないのよねえ、残念だけど……」
ルネさんがそれを僕の手から受け取ってじっと眺めたあと、ため息をつきながら台に戻します。値札には1200と書かれていました。つまり金貨1枚と銀貨20枚です。こんな1センチもないくらいの小さな石がそんなに高いとは。たぶん、形を整えたりカットをしたりする加工賃が大部分なのでしょう。でも似たようなものなら僕にも作れそうな気がしますが。
「う〜ん、今回は買うのやめておこうかな。その代わり甘いものもっと買っちゃおうっと!」
パッと気分を切り替えて「ありがとね」と笑いながらルネさんが他の縁台に向かいます。こういうカラッとしたところが、みんなから好かれる所以でしょう。
僕も隣の台に目を移します。そこにはベストやベルトや靴などの革製品が並んでしました。
そういえば、お嬢様はいつも裸足だなと気がつきました。蔵の床はいつも掃除しているので裸足でも平気ですが、外は小石や鉱石の欠片なんかが散らばっていて、裸足では歩けそうもありません。
女性用の小さなサイズのブーツを手に取ってみます。それでもお嬢様の足には少々大きそうです。
「あの〜すみませんが、もっと小さいのはありませんか?」
台の向こうで座っている行商人のおじさんに声を掛けてみます。
「ここに並んでるのだけだな。もっと小さいってーと五、六歳くらいかい?」
「いえ、十歳なんですけど」
「そうかい、なら20〜22センチってとこかい?」
「ええと、このくらいですかね」
「18センチくらいか。おまえの妹ずいぶんちっこいんだな」
「ええ、まあ……」
「買う気があるんなら、今度来る時に仕入れといてやるけど、どうする?」
「いくらくらいしますか?」
「モノによりけりだな。安くて銀貨50枚、高いのだと100から120枚ってとこだ」
「うっ……とっても買えません、ごめんなさい」
「なら中古はどうだい? 底がすり切れてたって修理すれば充分履けるぞ」
「それだといくらですか?」
「そうだな〜子供用だから15枚くらいか」
「う〜ん、それでも……」
「まあ、こっちも品があるかどうか分からねえからなあ。急ぎじゃないんなら金が溜まった時にまた来な」
「そうですね、そうします。ありがとうございました」
そんなやり取りをしたくらいで、結局なにも買わずに見て回っただけでした。まあ銀貨八枚で買えるものなんかほとんどなかったですけど。
店じまいして荷馬車が帰っていくのを、何人かのメイドさんが名残惜しそうに見送っていました。
僕も蔵に戻ろうとすると、ルネさんが呼び止めます。
「アルくん、さっきはありがとね! これあげる!」
ルネさんが小瓶から赤い飴をひとつ出してくれました。
「わたしも」
隣にいたアンナさんも緑色の飴をくれます。アンナさんは厨房で調理人見習いをやっているメイドさんで、時々お屋敷に出す料理の切れ端をこっそりくれたりします。
「そうそう、アルくん文字を覚えたいんだって? ならこの本貸してあげる」
とアンナさんが薄い本を手渡してくれました。
「え、ほんとですか! ありがとうございます。いつまで借りてていいんでしょうか?」
「そうねえ、新しい子が入ってきたらまた必要になるかも知れないけど、しばらくは大丈夫だと思うよ」
「そうですか。なるべく早く返しますね。あ、飴もありがとうございます!」
早くお嬢様にこの飴を食べてもらいたくて、小走りで蔵に戻りました。
「あら、ずいぶんうきうきしてるわね。なにかいいものがあったの?」
「いえ、買い物はなにもしませんでした。でもメイドさんに飴をもらったんですよ。ほら、お嬢様も食べてみてください」
「飴? 食べるものなの?」
「ええ、すごく甘くて美味しいらしいですよ」
「へ〜、そうなの」
赤い飴を手渡します。
「どうぞ、口に入れてみてください」
お嬢様は指につまんだ飴を口に入れると、すぐにプッと手のひらに吐き出しました。
「うっ、なにこれ、べたべたして気持ち悪いわ。それになにか鼻の奥がキーンてする」
「え、美味しくないですか?」
「美味しいとか美味しくないとかじゃなくて、なんか変なの……」
「う〜ん、僕も食べてみます。うわっ、すごく甘ったるいですね! でも美味しい……と思いますよ」
「そう? これ他の人も喜んで食べてるの?」
「ええ、甘いものは貴重ですからメイドさんたちも大事に食べてますよ」
「ふ〜ん」
お嬢様が手のひらの飴をもう一度口に入れます。
「ああ、ちょっと慣れてきたわ。これが甘いという味なのね。あら、唾液で溶けてだんだん小さくなってきたわ」
「ええ、舐めてると溶けてなくなるんです。僕も始めて食べましたけど」
「そういうものなのね」
「気に入りましたか? 好きなら今度買っておきますよ」
「そうねえ、たまに食べるなら面白い味かもしれないわね。でもたくさん食べる気にはならないわ。すぐ溶けちゃうし」
「そうですか」
「アルが好きなら買っておけば?」
「いえ、僕もたまにでいいです」
「他にはどんなものがあったの?」
「いろんなもの売ってましたよ」
台に並んでいた商品の数々を思い出すままにお嬢様に話します。
「それはなにをするもの?」「それはどんな形?」「それは誰が使うもの?」と尋ねては「へ〜、ふ〜ん、そうなの」と頭に中に浮かべているようです。
中でもお嬢様が興味を持ったのは、裁縫道具と包丁やナイフでした。やはりというか、金属製品が気になるようです。
「そういうのならわたしも作れそうね。まず針とかハサミを作ってみようかしら」
「ああ、それがあったら箱に入ってる古いドレスもお嬢様の体に合わせて作り直せるかも知れませんね」
「わたしにも出来るかしら?」
「練習すれば、たぶん……。あ、練習といえばメイドさんから文字の教本を借りたんですよ。ぼくも字が読めるようになるかなあ」
「字ってなに?」
「あ、字っていうのは言葉を記録しておく記号のことです。それを紙なんかに書いておけば、あとからそれを読んで理解できるんです」
「言葉を、あとから?」
「ええ。そうですねえ、たとえば「お嬢様の名前はミーアです」という言葉を字の記号で書くと、それを見た人はお嬢様の名前が分かるわけです」
「そんなの口で伝えればいいのじゃない?」
「う〜ん、口で伝えられない時とかも文字にすれば、いつでも誰にでも伝えられるんです」
「ああ、たくさんの人に言いたい時ね」
「あと、遠くにいる人に伝える時とか、時間が経ってからでも。面白いお話が書かれた本なんかもあってメイドさんたちも読んでいるそうですよ」
「あ、なるほど、一言二言じゃなくて長い話を伝えるには便利かもしれないわね」
「僕は数字くらいしか読んだり書いたりできないんで、文字を覚えたらいろいろ役に立つかなと思って」
「字を覚えるのは大変?」
「字の記号は60種類くらいあって、それの組み合わせで言葉を表すんですけど、最初はなかなか覚えられないそうですよ」
「そうなの。でもそれって目で見るものなのでしょう? わたしには無理ね」
「僕が頑張って覚えますから。それにいつもお嬢様の側にいますから大丈夫ですよ。そうだ、覚えたらルネさんに物語の本を借りてきてお嬢様に読んで聞かせてあげますよ。どこか遠いところの知らない世界のお話とかあるそうですから」
「知らない世界のお話……それは楽しそうね」
「でしょう? 僕も楽しみです。早く文字を覚えなくちゃ」
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