第22話 杖と鈴


 夕食を食べてから、今度は階段の上り下りをしてみます。


「ここから階段です。一歩前に出すと床が下がってますから注意してくださいね」

「床が下がってるの?」

「そうです。えーと、20センチくらい」

「う〜ん、イメージがつかめない。ちょっとやってみるから、しっかり体を支えていてね」

「はい」


 お嬢様の腰にがっちりと手を回します。


「いいですよ、ゆっくり足を出して下ろしてみてください」

「あれ? あれ? このくらい? まだ?」


 足先が宙ぶらりんのまま、下を探っています。


「もうちょい、もうちょい下です」

「え、え……あ、届いた」


 そしてもう片足をそっと下ろします。


「ふう。これはけっこう恐いわね。縦の距離感がぜんぜん分からないわ」

「そうか〜、これは音を頼りにできませんしねえ」

「これが五段あるのね」

「この階段は五段です」

「階段って、いろいろあるの?」

「ええ、階段によって段数も違うし一段一段の高さも違うし、あ、それに段の幅も違いますね」

「幅って?」

「次の段までの長さのことです。この階段は80センチくらいで、かなり広いです」


 僕はいつもいちばん下の段を寝台替わりにしています。子供が寝れるくらいのしっかりした造りになっています。


「いったん、ここに座ってください」


 階段に腰を下ろさせてから、右足に手を添えて親指が段のへりに掛かるところまでつつっと滑らせます。


「ここまでが一段です」

「そしてまた同じ高さと幅の段があるのね」

「ええ、そうです」

「だいたい分かったわ。やってみる」


 立ち上がって、足先を段のへりまでじりじりと進め、ゆっくり次の段まで足を下ろします。


「これはちょっと一人では難しいわね」


 そう言いながらも、なんとか五段を下りました。

 振り返って、今度は昇りです。

 ゆっくり足をあげて前に出します。

 足先がこつんと次の段の角に当たり、その拍子にかくんと体が前にのめってしまいました。間一髪でお嬢様の下に潜り込んで体を受け止めます。


「ふうっ、危なかった……大丈夫でしたか?」

「ええ、なんとか。昇るのも難しいのね〜。そうか、高さよりもっと足を上げてから下ろさなきゃいけないのね」


 体勢を立て直して、もう一度。


「そうそう、そのくらいの高さで、そこから前に……もっと前に出して、そこで足を下ろす。はいそうです」

「次は?」

「もっと前まで足を進めて……はいそこから、足をもうちょい上げて、前に出して、そのまま下ろして」

「これは大変だわ」

「ですね〜」


 五段をなんとか昇り切って、寝台に戻ります。


「う〜ん、なにか方法はないかしらね」

「う〜ん」


 しばらく二人で悩みました。

 僕が初めて階段を昇った時は、どうだったっけ? たぶん歩きはじめた頃だから……そんなの覚えているわけはないか。あれ、そういえば孤児院の入り口の階段を転げ落ちて泣いてた子がいたな。あれは確かハイハイできるようになって、知らないうちに外に向かってって、階段でズルッと滑って……。


「あ、手と膝で階段の形や大きさを確かめてから昇れば?」

「手と膝?」

「ええ、足で歩くんじゃなくて、這うみたいに上り下りするんです」

「なるほどね。じゃあ平らなところでも這っていけば安全?」

「そうですね、階段から転げ落ちちゃうことはないんじゃないでしょうか」

「ちょっとやってみるわ」


 床に四つん這いになって進みはじめました。


「こっちの方向でいい?」

「ちょっと左に向いてます」

「このくらい?」

「はい、そのまま真っ直ぐで階段です。僕が先に行ってますね」


 そうやって階段際まで這ってきました。


「ここから階段ね。下りてみるわ」


 ゆっくり手探りで確かめながら、四つん這いで階段を下りきりました。一呼吸してから反対向きになって昇りはじめます。だんだんコツをつかんできたようで、動きも速くなっています。

 階段を昇り、寝台まで帰ります。


「あっ、ぶつかる!」


 そう言う間もなく、頭をゴツンと寝台にぶつけてしまいました。


「うっ……」

「だ、大丈夫ですか?」

「大丈夫、痛くはないわ。ちょっとびっくりしただけ。それよりも膝が痛いわね」


 寝台によじ登るように腰掛けて膝をさすります。見ると赤くなっていました。


「階段は昇りやすくなったけど、下りる時とか床では、この体勢はつらいわ」

「う〜ん、そうですか」


 見ていても、歩くよりも大変そうでした。


「やっぱり歩いて上り下りできるよう方がいいわねえ」

「そうですね。外じゃ四つん這いになれませんしね」

「もう少し考えてみるわ」

「僕もなにか考えます。あ、そろそろ石拾いに行かなきゃ。戻ってくるまで休んでいてください」

「ええ、いってらっしゃい」


 精練所の近くとクズ山を回って鉱石を拾い集め、二時間くらいして蔵に戻ってきました。

 道すがら考えていたら、ひとつ思い付きました。

 音を頼りにすればうまく距離や方向がつかめるということなら、声や手拍子じゃなくて鈴を鳴らしたほうがいいんじゃないだろうか。同じ音の方が、慣れるともっと感覚がつかみやすいんじゃないかな。あ、お嬢様の足にも鈴を付けたら、もう少し階段の感覚もつかみやすいかも。金属を溶かして鈴を作るには……。

 そんなことを考えながら蔵の扉を開けると、階段のあたりでなにかコツコツと音がしています。


「お嬢様、戻りました」

「おかえりなさい」


 お嬢様の声が階段のところから聞こえます。


「え、ひとりで練習してたんですか? 転んでませんか?」

「大丈夫よ、いいこと思いついたの、ほら」


 細い金属の棒のようなものを手に持っていました。


「それって?」

「これで周りを探ればぶつかることもないし、下の方も探れるから階段の幅や高さも分かるのよ」

「へ〜、なるほど!」

「もうつまずかないで階段を下りたり昇ったりもできるわ」

「そうですか! あ、でもひとりでやらないでくださいよ。もしケガでもしたら……」

「ごめんなさい、思いついたらすぐにやってみたくなって」

「まあ、その気持ちも分かりますけど。だけど、その棒はどこから?」

「ああ、これは指から出してるの。ほら」


 見ると、中指の先から細い金属が伸びています。

 前にこうしてチタンナイフを作ってくれました。それは長さが10センチくらいでしたけど、今度のはお嬢様の腰より少し高いくらいの長さです。50〜60センチほどでしょうか。


「そんなに長く出して平気なんですか?」

「ええ、もっと長くしたり太くしたりも出来るわよ」

「……毎日けっこうな粒を食べますからねえ」

「ほら、やってみるから危なっかしいところがあったら教えて」

「はい」


 棒の先をコツコツと階段に当てながら昇っていきます。転びそうになったらすぐに助けられるように、僕もすぐ後ろから昇ります。足の上げ方下ろし方がすごくスムーズで、さっきとは大違いです。これなら安心して見ていられます。

 階段を昇りきって、棒で前と左右を探りながらまっすぐ歩いていきます。寝台のヘリに棒が当たったところで立ち止まり、くるりと振り返り腰を降ろしました。


 お嬢様が「どう?」と得意げな顔で微笑みます。そして指先から細い金属棒をすっと消すように引っ込めました。

 僕はパチパチと拍手で応えます。


「お見事です! さすがお嬢様!」

「んふっ、これでもう自由に動けるわ」

「わたしのおかげね」

「あら、あなたはわたしでしょ?」

「考えたのはわたし。あなたは粒を舐めてただけじゃない」

「そんなことないわ、同時に思いついたのよ」

「まあどっちもどっちだけどね」

「あははは」

「「くすくす」」

「あ、そうそう、僕も思いついたんですよ!」

「「え、なになに?」」

「声や手を叩くより、鈴を鳴らした方が分かりやすいかなと」

「鈴って?」

「丸い金属の中に粒を入れてチリンチリンと音をたてるんです」

「声の代わりに?」

「ええ、そうです。声だと大きさとか一定じゃないし遠いと聞こえづらいけど、鈴なら音が一定だから距離とか分かりやすいかなと思って」

「へ〜、それってどこかにあるの?」

「いや、作ってみようかなと」

「できそう?」

「だいたい考えてますので、さっそく作ってみますね」

「ええ、楽しみにしてるわ」

「あ、おしっこ出ませんか? 採ってあるのがもう少なくなって」

「ちょうど出したくなってたところよ」

「じゃあお願いしますね」


 もう後ろから抱えなくても、ひとりでおしっこできるようになりました。

 桶に溜まった半分を瓶に保存しておいて、残りの半分で作業を始めます。


 まず、木片を削って丸い形にします。次に拾ってきた鉱石をおしっこ溶液に浸けて金属を溶かし出します。母石を取り除いて、溶けた金属を丸い木片に塗るように被せて手のひらでころころ丸めます。それを溶液から取り出すと金属が硬くなります。少し時間をおいてしっかり硬くなったら、チタンナイフで半分くらいまで切り込みを入れます。少し横にずらしながら二、三度切り込みを入れて隙間を広くします。その隙間からナイフを差し込み、中の木片を細かく切り刻んでほじくり出してしまいます。別の鉱石を溶液に入れて、溶け出した金属を指で丸めます。鈴の切れ込みの隙間より少し大きい粒にします。鈴をもう一度溶液に浸けて柔らかくなったところで隙間を少し広げます。そこの中にさっき作った粒を入れてから隙間を狭めます。金属の粒がくっつかないように揺らしながら溶液から出します。しばらく振り続けて金属が固まったら完成です。カランカランと音がしています。


「これが鈴の音です」

「へ〜、ちょっと触らせて」


 手渡すと、指で形を確かめたりしながら鳴らします。 


「試しに僕があちこちに行って鈴を鳴らしますから、場所を当ててみてください」

「いいわよ」


 少し離れて右に行ったり左に行ったり、階段の中ほどで鳴らしたり階段下で鳴らしたり、蔵の奥や入り口、そして扉の外でも鳴らしてみました。

 その度に「右。左。少し離れたわ。今度は下の方。う〜ん、なにかの陰? ずいぶん遠くね」と、ほとんど正確に指を差します。


「今度はすぐ前にいるわね」

「どうでしょう、声より分かりやすいですか?」

「そんなに変わらないかしら……」

「でも、アルも声や手で音を出すよりより楽なんじゃない?」

「そうですね。でも、もうちょっといい音が出るかと思ったんですけど……」

「少しでこぼこしてるからかしら」


 やはり木できれいな丸型を作るのが難しいせいでしょうか。 


「こういうのならどう?」


 指先から泡みたいに金属を出して丸く膨らませました。つるつるでぴかぴかしたきれいな丸い金属です。それをぽろりと指から切り離します。


「うわっ、こっちのほうがずっといいです。中に粒を入れてみますね」

「それも一緒に作れるわよ」


 と、もう一度指先から丸い金属を生み出しました。中で金属粒がチリンと鳴っています。

 少しこもっているので、ナイフで隙間を開けるとチリリーンと伸びのある涼やかな音色になりました。


「あら、いい音になったわ」

「ほんとね。気持ちいい音」

「これって金属によって音が違うかも知れないわ」

「じゃ別なので作ってみるわね」


 二個、三個と違う音の鈴を生み出してしまいました。透き通った音、柔らかな音、キンキンした音。けっこう違いがあります。


「中の粒と外の金属の組み合わせによっても違いが出そうね」

「でも、もうあまり出せなくなっちゃったわ。また食べないと」

「じゃあ明日にしましょうか」

「そうね。種類はどれがよさそう?」

「これとこれ、あとこれも。これとこれを混ぜても面白いかも」

「歩く時の杖も素材にこだわりたいわね」

「硬めがいいかしら」

「手に伝わる響きも重要よ」

「いろいろ実験してみましょう」


 すっかり二人で盛り上がっています。いろいろ考えたり試したりするのが好きなようです。

 こういう様子を見ているだけで、嬉しくて微笑ましくて、とても愛しいです。


 とても死にたがっているとは思えないのですが……。

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