第21話 歩行訓練
「なんだか、お嬢様が幽霊に見えたみたいですよ」
蔵に戻ってお嬢様に説明します。
「声も聞こえてなかったみたいね」
「あーそうですね。これって念話みたいなものなんでしょか?」
「そうかも知れないわね。だってこの幽体じゃ声なんか出せないもの」
「そうか、気付きませんでした」
「わたしもよ。アルが普通にしゃべってるから」
「じゃあ他の人と話す時は、わたしがやるわね。あと体もなるべく合体しておいた方がよさそう」
「そうね〜。でもちょっとつまらないわね」
「あ、しばらくは誰もやってこないそうですよ」
「ん〜、そんなに恐かったのかしら……」
「なにか危害を加えるわけでもないのにね」
「まあ、そのうち慣れてくるんじゃないですか?」
「誰かに会いたいとも思わないけれどね」
「今まで通りでいいわよね」
結局、メイド長さんたちもお嬢様も、現状のままでいいという意見のようです。
僕もそれに不満があるわけでもないですし。
いえ、なにか変化があるといろいろとトラブルが起こりそうなので、今のままがいちばんいいのかも知れません。
ただ、こんな暗い蔵の中だけじゃなく、ほんのちょっとでも外の世界に連れて行ってあげたいなとは思っています。
そのためにも、金属だけじゃなくちゃんと栄養を取ってしっかりした体になってほしいところです。
暖かくなったら、蔵の周りを歩いたり走ったり、風に吹かれたり花の匂いをかいだり……。僕の勝手な願いですが。
今は柵の中で歩く練習をしています。
体のバランスを取りながら足を前に出す。そんな動きさえ、お嬢様にとっては生まれて初めての体験です。
僕が横から支えながら、すり足で少しずつ移動します。
柵の中は、奥に寝台と小さなテーブルがあるだけですが、壁際には替えの毛布やシーツや着替え、そして毎晩作って溜めてある金属粒の入った容器なんかが置いてあり、歩けるスペースはあまりありません。縦に三歩、横に四歩というところです。
「この柵、もう必要ないですよね」
「あら、こうなってたのね」
柵につかまりながら、右から左へ歩いて確かめています。
「外してしまえばいいじゃない」
「そうしましょうか」
いったん寝台に戻って座っていてもらいます。
柵は、床に三か所、左右の壁に五ケ所、がっちりと埋め込まれています。それを縦に分割しながら剣で切っていきます。石も
最後に足が引っかからないように床面の切り口をチタンナイフで整えます。
これでずいぶんすっきりしました。寝台から階段まで五、六歩くらいでしょうか。
「できましたよ。かなり広々としましたね」
「そう、わたしには違いが分からないけれど」
ああ、そうでした。目が見えないというのはどういうことなのか、まだ僕にはよく分かっていないのでしょう。ついつい見えているつもりになってしまいます。
「ええとですね、そこから前に五歩か六歩歩くと階段になっていて、その階段を五段下りて左に十歩くらい歩くと蔵の扉があって、そこから外に出られます」
「う〜ん、よく分からないわ」
「とりあえず、寝台から階段までを行ったり来たりしてみましょうか」
「そうね」
お嬢様が立ち上がり、両手を前に突き出します。そしてそっと右足を前に出します。少しふらっとしたので、あわてて駆け寄り手をつかみます。すると「きゃっ!」とその手を引いてよろけて後ろに倒れそうになりました。なんとか支えながらもう一度寝台に腰掛けさせます。
「ああっ、大丈夫ですか?」
「ええ大丈夫。いきなり手をつかまれたからびっくりしちゃっただけ」
「あ、そうですか、すみません」
「もう一度やってみるわね。手は軽く触ってるだけでいいわ」
「分かりました」
また立ち上がって右足を前に出します。少し体が傾きますが、前足が床につくとバランスを取り戻します。そうやって左、右、左と、ゆっくりと前に進みます。
「あと二歩で階段の前ですので、そこで止まって反対に向いて、また寝台まで行きましょう」
「いち、に。ここね」
「はい」
「ここで後ろを向くのね」
小刻みに足を動かして反対方向を向きますが、やや斜めです。
「もうちょっと左へ」
「こう?」
「あ、横に行くのじゃなくて、方向だけ変えるんです」
「ああ、真後ろを向かないと戻れないのね」
「そうそう」
「方向を把握するのはなかなか難しいわね。そうだ、正しい方向にアルが立って声を掛けてくれれば分かるわ」
「なるほど。じゃあちょっと手を離して前に行きますよ。はい、こちらです」
「うん、こっちね」
「そうです、そうです」
「寝台の前に立って声を出していて」
「はい。ここです、分かりますか?」
「ええ、すごく分かりやすいわ。そこに向かって歩くわね」
「はい、ゆっくり少しずつ、どうぞ」
手を前に出して、僕の方に歩いてきます。そしてお嬢様の手が僕に触れました。
「はい、お上手です」
「じゃあまた階段のところまで。アルは目標の所に立っていて」
「分かりました。いいですよ、ここです」
今度は正しく僕に向かって方向転換が出来ています。
「そのまま真っ直ぐです」
そして一歩、二歩と前に進みます。
「アル、なにか声を出してくれないと距離と方向が分からなくなっちゃうわ」
「あ、すみません。こっちです、こっちです、こっちです」
「ぷっ。そうやって声を出し続けるのも間抜けね」
「え〜? だって声を出せって」
「手を叩くのでもいいわ」
「ああ、なるほど」
お嬢様が辿り着くまで手拍子を鳴らします。
そしてまた寝台まで戻り、腰掛けて一息。
「ふ〜っ、けっこう大変ねえ」
「疲れました?」
「いえ、疲れてはいないけど、音がしないとすぐに自分がどこにいるのか分かんなくなっちゃうから、それが大変。アルもずっと声や手を鳴らすのたいへんでしょ?」
「いえ、僕はぜんぜん平気ですよ」
「ん〜、なにかいい方法……あ、あれあれ、金属の容器。あれを何かでカンカンって叩くとか」
「いいかも、やってみましょう」
金属粒を入れてある容器をフォークで軽く叩いてみます。
「こんな音でも分かりますか?」
「ええ、いけそうよ。もう一度歩いてみるわね」
階段手前でカンカンと音を出します。
お嬢様はそれを頼りに真っ直ぐ歩いてきて、目の前で止まりました。
「今度は手を前に出さないで歩いてみるわね」
僕は寝台の前に移動してまたカンカンと鳴らします。
今度は手を前に突き出さずよろけもせずに歩いてきて、ぴたっと僕の前で止まります。
「いいです、いいです! 歩き方もすごく上手になってます」
「わたしも不安なくすいすい歩けるわ」
「しばらく休んでから、また練習しましょうか」
「そうね、今度は階段に挑戦してみるわ」
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