第19話 おぼろげな前世
雪が積もることはないですが、朝には霜が降り、井戸には氷が張り、日中でもどんよりとして気温が上がりません。そんな日々が年の半分を占めます。
蔵の中は閉めきってしまえば冷たい風に晒されることはありませんが、石壁に囲まれているので底冷えがします。何枚も重ね着をしてなんとか寒さを凌いでいます。
お嬢様は毛布を二重にして厚手の寝巻きを着たくらいです。熱さ寒さを感じないわけではなく、逆に皮膚は敏感なくらいです。それなのに寒さが平気というのは、自分で体を温められるからだそうです。
骨の大部分は、チタンで密度を高め、表面を銀や銅やコバルトでコーティングしているので、発熱や冷却が簡単にできるそうです。
「いわゆる体の芯から温まるということね」と得意げです。
毎日いろいろな金属粒を食べた成果で、骨格はかなり丈夫……というか頑丈になりました。今はそれを動かす練習をしています。
真っ直ぐ立つところから、腕や足の上げ下げ、曲げ伸ばし、そして歩く練習です。
普通なら体を動かすためには筋力が必要なのですが、お嬢様はそれを金属移動で行ってしまいます。体内の金属を動かしてバランスを変えることにより、体の各部を動かすそうです。その微妙で繊細なバランス移動を、ほぼ無意識で体の各部で同時にできるようにするために、毎日頑張っています。まだまだ危なっかしいですが。
中身はどんどん人間離れしていきますが、見た目はどんどん人間らしく、十歳の女の子らしくなってきました。言葉も表情も豊かになり、たいへん賢くて可愛らしいです。十歳にしてはかしこ過ぎるほど……。
生まれたと当時にお母様を亡くし、乳母とお付きの若いメイドさんに育てられ、ほどなく原因不明の病気が見つかり、新しい奥様に子供が産まれると屋敷の隅に追いやられ、そして牢のような蔵に隔離され、ずっと一人きりで寝たきりで。
この十年間、ほとんど誰とも触れ合うことも話をすることもなかったはずです。
そのうえ、目が見えないから周りのことがまったく分からない。見て記憶する、見て理解する、見て察する、見て予測するという誰でもごく自然にやっていることが出来ないのじゃないでしょうか。
聞こえる音と肌の感触、あとは匂いと味。それだけが世界のすべて。しかもずっと同じところで寝たままで……。
なのに、知識も言葉も考え方も、驚くほど多彩です。
お嬢様のいろいろな不思議の中で、それが一番の不思議かも知れません。
「お嬢様は、ほんとうに物知りですね。そういうのはどこかで学んだのですか?」
「ううん、学んだわけでもないし、物知りでもないのよ」
「え、どういうこと?」
「簡単に言えば、考えているうちにパッとひらめく感じかしらね」
「ひらめくんですか」
「さらに言えば、どこかの誰かがこそっと教えてくれる感じ」
「どこかの誰か?」
「ええ。でも知らない人じゃなくて、なんだかすごく近しい人。もう一人の自分みたいな」
「え、お嬢様がまだほかにもいるんですか?」
「あ、肉体と霊体みたいな関係じゃなくて、以前のわたし……前世のわたし的な……」
「前世ですか……」
「それがいちばん近いかな。なんでもかんでも教えてくれるわけじゃなくて、集中していろいろ考えた中で正しいものを探り当てた時に『それよ』みたいな感じで浮かんでくるの」
「へ〜」
「あとね、頭蓋骨を銀でコーティングするようになってから、すごく脳の演算速度が上がったせいもあるわね」
「そんなことまでしてるんですか!」
「他にもいろんな実験してるわよ」
「それにしても、お嬢様と話してるとびっくりすることばかりで面白いです」
「わたしもアルと話をするのは楽しいわ。アルだって充分賢いと思うけど?」
「う〜ん、さっきのひらめきとか前世とかなんですけど、実は僕もそんなことがあって……」
「え、そうなの?」
「お嬢様とは違うかも知れませんけど、しょっちゅう奇妙な場所の夢を見るんです」
「奇妙な場所?」
「ええ。ガラスの塔みたいなのがたくさんそびえてて、空中に浮かんだ道路がその間をくねくねと縫うように通ってて、その道路には大勢の人を乗せた箱みたいなものがすごい速さで走ってて、空には鉄の鳥が飛んでたり、地面の下にもアリの巣みたいな世界があって人が住んでるんです」
「それが前世の世界?」
「それは分からないですけど、夢の中では当たり前のように僕もそこで暮らしてて、こうやって思い出しても、よく知ってるような懐かしいような気がするんですよね」
「あ、その感覚はちょっと分かるわ」
「まあ、だからといってなんの役に立つわけじゃないですけどね」
「でも、その世界は大事にした方がいいと思うわ」
「はい」
「……前世があるとするなら、来生もあるのかしらね?」
「そうなりますよね。あってほしいですか?」
「いらないわ。だってそれなら永久に生まれ変わるってことでしょ? そんなのまっぴらよ。
「ま、まあ落ち着いて」
「ふう、なんだか焦っちゃった。……死ぬのが急に恐くなってきたわ」
「お嬢様が死ぬなんて、もうありえないんじゃないかと思いますけど」
「……どうしたら無になれるかが、これからの課題ね……」
まだ死ぬのは諦めていないようです。
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