第5話 銀鉱石がお気に入り
お腹も満たされて、その夜は蔵の階段下で眠りました。夜泣きとか、いびきとか、おしっことか、しょっちゅう起こされる孤児院とは違って、こんなにぐっすり眠れたのは久しぶりです。
目が覚めても真っ暗でしたが、入り口を開けてみると外は明るくなっていました。蔵の中は音も光もほとんど入ってこないので、少々困ります。
まずはお嬢様の様子を見ようと、階段を上がって牢柵の中を窺います。
すると、あの白い
「お、お嬢様、なにをしてるんですか?」
「あら、アル、だったかしら?」
「はい。おはようございます」
「朝になったのね」
「ええ、もう外は明るくなってますよ。で、なんでそんなに揺れてるんですか?」
「今までよりも少し動きやすくなったみたいだから、体から抜け出せないかと思って」
「抜け出すとどうなるんですか?」
「さあ。たぶんすーっと消えていくんじゃないかしら」
「消えてしまうんですか?」
「消えて、死ねたらいいんだけど……」
「死んじゃうんですか?」
「魂が抜けたら、そうなるはず。やってみないと分からないけど。でも、なかなかうまくいかないわね」
「……う〜ん、ぼくになにかお手伝いできること、あります?」
「そうねえ、引っ張り出してくれる?」
「じゃあ、そばまで行きますね。えーと、このへんつかんでも大丈夫ですか?」
「どこでもいいけど」
「失礼して、と……。あれ、ぜんぜん触れないです」
「やっぱりだめね」
「そうみたいです。あ、でも昨日より動きやすくなったっていうことは、スープを飲んだからじゃないでしょうか」
「そうなの?」
「なんだか昨日よりもちょっと輪郭がはっきりしたみたいな。声も聞こえやすくなってますし」
「ふ〜ん」
「試しにまた食べてみましょうよ」
「どっちみち体は動かないし……。アルにまかせるわ」
「じゃあちょっと朝食もらってきますね」
調理場の裏口まで行くと、中ではメイドさんたちが朝の支度にあわただしく動き回っていました。邪魔にならないように井戸の横でじっと待っていると、
「あら、あなた新入りのお嬢様係の子ね。今手が放せないのよ。あ、暇だったらちょっと手伝って」
通りがかりのメイドさんにそう言われて、薪を運んだり水汲みをしたり野菜を洗ったりと、一時間くらいしてようやく戦場のような調理場が一段落しました。
「ふう、ありがとね。そこから朝食持ってっていいわよ。パン一個増やしてあげる」
丸パン三個に焼いたソーセージ、スクランブルエッグ、スープ。それをもらって蔵に戻りました。
「お待たせしました。遅くなってすみません」
「急ぐ必要ないわ」
「昨日みたいにして食べさせてよろしいですか?」
「ええ」
「じゃ、体起こしますね。どこか
今朝のスープはコンソメ味のようです。スプーンに掬ってふうふうと冷ましてからそっと口に垂らします。
「熱くないですか? 美味しいですか?」
「熱くはないけど、美味しくもないわ」
「え〜、こんなにいい匂いなのに。ぼくなんか、いつも味のしないようなスープしか飲めませんよ。じゃあ、ソーセージはどうです?」
噛まずに飲み込めるくらい小さくしたソーセージのかけらをスープと一緒に口に入れます。
「あんまり変わらないわね」
「煎り卵もどうぞ」
そんなふうに二口三口食べたところで「もういいわ」と言われた。
「最後にパンも一口だけ食べてください」
小さなパンの欠片をスープに混ぜて流し込みます。
「うー、どろどろして気持ち悪い。あとはアルが食べてちょうだい」
「はい」
そっとまた体を横たえます。それでも昨日の倍くらいは食べられたようです。
でも力の抜けた体と生気のない落ち窪んだ顔は相変わらずです。
目も口も体もぴくりとも動かないのに話ができるのが、なんだか面白い感じがします。
「どうですか? 少しは力が出てきませんか?」
「さあ……? お腹の中がもぞもぞして、なんかへん」
「あー、やっぱり体は栄養を欲しがってるんですよ」
「魂はどうかしら。なにか変わった?」
もやもやとした白い上半身がふわりと起き上がる。
「あ、頭と体の区別がつくようになってますよ」
「へー、そう。魂も体の形なのかしら」
「手はどうです? 上げたり下げたりとか」
「こう?」
すると、二つの棒のようなものが靄から分かれて上下に動きました。
「おー、手に見えます」
「でも、なにも触れない」
そう言いながら、その手を上下左右にぐるぐると回します。真後ろにまで行ったり、寝台や僕の体をすり抜けたりもします。
「あら、今なにか感じたわ」
「え?」
「このへんになにかある?」
「そこ、僕の胸のあたりですけど」
なぞるように、なにやら探っています。
「ここ、なんかぴりっとする」
ツギハギだらけのシャツとベストのそのあたりを、自分でも触って確かめてみます。すると、ほつれた糸に引っかかっていた何かがポロリと床に落ちました。それを拾い上げてみると、指先ほどの小さな鉱石の欠片です。端っこがキラッと蝋燭の明りで光りました。
「あ、これですか?」
手のひらに乗せて、お嬢様の靄の手に近づけます。その手が僕の手を包み込みました。
「そう、これ。なに?」
「これは銀鉱石ですね。ほんの欠片ですけど。きっと、選鉱場で砕いていた時に飛んで、服に引っかかってたんだと思います」
「銀鉱石って?」
「このあたりの山で採掘してるんですよ。銀貨にしたり装飾品にしたり食器にしたり、いろいろと役に立つらしいです」
「大事なもの?」
「まあそうですけど、こんな欠片じゃクズ石として捨てちゃいますけどね」
「ふ〜ん、詳しいのね」
「あちこちでいろんな仕事させられましたから、だいたいのことは知ってるつもりです」
靄の手がずっと僕の手の銀鉱石の欠片をなで回しています。
「これ、気に入りました?」
「ちょっとぴりぴりするのが、なんだか面白いわ」
「じゃあ、ここに置いておきますね」
その欠片を、体の胸のあたりに置きます。
白い靄がすっと横になって体と一体化しました。腕のような部分だけが、胸の欠片を撫でるようにさわさわと動いています。表情のない顔が、少しだけ和らいだ気がして、なんとなく安心しました。
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