第3話 半分だけ幽霊


 蔵の中はいっそう真っ暗で、食べ物を乗せたトレーを持って階段まで辿り着くのも一苦労でした。


「お嬢様、アルです。戻りました」


 そう声を掛けて、柵の前に三本ほど蝋燭を灯し、柵の下の隙間から食べ物が乗ったトレーを差し入れます。


「こちらに置けばよろしいでしょうか? お一人で食べられますか?」

 じっと返事を待つと、また薄いもやのような上半身がゆっくりと起き上がるのが見えました。

「……いら、ない……」

「一口だけでも食べたほうがよろしいですよ」

「……うご、け、ないし……」

「では、僕が食べさせますので、中に入ってもいいですか?」

「…………」


 ダメとも言われないので、柵の左端の小さな出入り口に掛かっているかんぬきを持ち上げてみます。こびりついたように重かったけれど、なんとか外すことができました。柵扉も錆びついていて、ギギギと嫌な音を立てます。もう長いこと閉じられたままだったのでしょうか。

 身を低くして、そっと寝台まで近づきます。


「お嬢様……あれ?」


 さっきまでぼんやり見えていた白い影がありません。目を凝らしてみても、寝台の上には毛布が掛かっているだけにしか見えません。


「お嬢様? どこですか?」


 蝋燭を手にして、少しづつ膝を進めてみます。

 寝台の側まで近寄ると、そこには骸骨が横たわっていました。

 ヒッ! と息が止まりそうになります。

 さっきメイド長さんに、まだ死んでいない、スープも飲めないくらいという話を聞いていなければ、きっと逃げ出していたでしょう。

 でも確かに声が聞こえたし、骸骨と見紛うくらいに骨と皮ばかりだけれど、きっと痩せ衰えてこんな姿になってしまったのだろう。そう思い直しました。


「……お嬢様、ですよね? 聞こえていますか?」


 すると、横たわったままの小さな体の輪郭が、幽かに白く揺らめきました。


「……聞こえ……てる……」


 小さく返事がありました。

 でも見つめていても、口も目も閉じたまま。微動だにしません。それなのに声はします。生気の感じられない姿ですが、その声は聞こえてくる。いえ、聞こえてくるというか、胸の辺りに伝わってくる感じでした。

 不思議なことに、その姿もその声も、怖いとは感じられません。それよりも、このままだと本当に死んでしまう、と焦りが沸いてきました。

 とにかくなにか食べ物を!


「スープだけでも! スープを一口だけでも飲んでください!」


 スプーンに掬ったスープを口元に近づけます。でも口はぴくりとも開きません。無理矢理にでも飲んでもおうとスプーンを口に押し当てますが、たらりとこぼれてしまいます。


「すみませんが、少し口を開けさせてもらいますよ」


 血の気の失せた唇を左手で開いて、その隙間にスープを流し込みます。

 どうにも自分では飲み込めないみたいです。


「あ、少し体を起こしますね。失礼します」


 こわれものを扱うように、そっと肩を抱いて上半身を持ち上げます。そのまま片手で支えたまま、もう片手でスープを掬い、唇の間にスプーンを傾けます。それでも喉を通らない様子なので、あごをちょっと上に持ち上げると、ようやくスープが体に入って行きました。

 以前、孤児院で小さい子が高熱を出した時に水を飲ませた時のことが役に立ちました。

 ゆっくりと時間を掛けて、何度か繰り返します。


「もう……もう、いいわ……」


 そう聞こえたので、また体をそっと横たえます。

 とろこが、体を包んでいた白い影は、半身を起こした形のまま。


「え、あれ?」


 思わずその影に手を伸ばしてみますが、煙のように素通りしてしまいます。


「これって……?」

「……触れないみたいね」

「お嬢様?」

「……見えてはいるのね」

「はい、ぼんやりとですけど。あれ、さっきより少しはっきりしたかも」

「そう……たぶんスープを飲ませてくれたから。体の感覚も少しあるし」

「体って、こっちの寝てるほうですか?」

「ええ」

「僕のことは見えてますか?」

「いいえ、わたし、生まれつき目が見えないから」

「あ、そうか。すみません」

「でも周りのことはなんとなく気配で分かるわ」

「そうですか。改めまして僕はアルと言います。よろしくお願いします、ミーアお嬢様」

「ミーア……。そう言えばそんな名前だったかしら」

「言葉もさっきよりはっきり聞こえます。よかった。あ、もう少しスープかパンでもいかがでしょう?」

「もう十分。それより、わたしのこと怖くはないの?」

「怖いだなんて。ちょっとびっくりしたけど、もう少し食べられるようになれば、きっとよくなりますよ」

「……むり。もう何年もここで寝たきりなの。今さらよくなるはずもないわ」

「……」

「やっと死ねると思ってたのに。なにも口にしなければ死ねると思ってたのに……」

「えっ!? 死にたかった?」

「そうよ。死ねば、なにも考えなくてよくなるし、なにも感じなくてすむでしょ」

「う〜ん、そうかも知れませんけど……」

「でもなかなか死なないの。こうして半分だけ魂が抜け出せるようにはなったんだけど、もう半分がどうしても抜けないの」

「え、これってお嬢様の魂?」

「幽霊とも言うわね」

「へ〜、初めて見ました」

「普通は怖くて腰を抜かすんじゃないの?」

「どうなんでしょう? こうして話も通じるし、怖くはないですけど」

「……そう。まあ、いいわ。ちょっと疲れたから少し寝るわね。アルはどうするの?」

「家に帰ろうと思ってたんですけど、すっかり夜も遅いし、料理もたくさん残ってるから、これを食べてからそのへんに寝かせてもらってもいいですか?」

「好きにして」

「じゃあそうさせてもらいますね。では、また明日」

「ええ」


 お嬢様の白い影は、すうっと体に吸い込まれて行きました。


 トレーを持ってそっと柵の外に出て、階段をテーブル代わりにして料理をいただきました。すっかり冷めていたけれど、美味しくて、お腹もいっぱいになって、すごく幸せな気持ちで眠りにつきました。


 半分幽霊のお嬢様。不思議は不思議ですけど、へ〜こういうこともあるんだと、ちょっとわくわくするような、くすぐったいような、そんな気持ちでした。

 

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