【02】2

 書くためにリアルな経験をする必要があるというのならば、何故男性との経験はせずに、腕を切ったり首を絞めてみたりするのか、朝霞にはまったく理解出来ない。微かに残った手首と首の赤い痣を、朝霞は顔をしかめて多能を諌めた。

「死にたいんですか?」

「まさか。そこまでやってないですよ」

「うっかり、ってこともあるでしょう。やめてください」

「怒るなよ」

「怒りますよ。さすがに。……手首、縛るのはまだいいとしても、首なんか絞めないでください」

「だーから、そこまで強くしてないってば」

「痕が残ってる」

「……ロープ、荒いの選んじゃっただけ。皮膚が傷付いただけで気道も脈も絞まってないよ」

「絶対、二度としないって約束してください」

「やだ」

「あのなあ!」

 この人は私を怒らせたいのだ、と朝霞は気付いて、怒鳴るのをやめた。溜め息をついて、静かに話を続ける。

「…………とにかく。じゃないと警察に通報しますからね。自殺未遂してるって」

「あー、はい。しません」

「ちゃんと目を見て言ってください」

「自分を傷つけないと書けないんだよ」

 じゃあ書くな。

 とは、言えない。この人の作品にはファンがいるのだ。

「どうして、そんなことになるんです?」

「それが、分かってたら、しない。……この話、つまんないな。仕事の話、しましょうよ」

「まだ駄目です」

 朝霞は傷付いた多能の首に軽く触れた。

「心配なんですよ」

「じゃあ君が絞めてよ」

 多能は変な作品ばかり書いているが、本人自身も変なことばかり言う。

 初めて寝室に通され、朝霞は、青いベッドに仰向けに寝転がる多能の上にまたがった。この人とするなら、キスや首を絞めることよりも、殴りあいのほうが似合っている。そういった男臭い文化は苦手だけれど、派手に喧嘩して仲直りするような安直な展開を朝霞は望んだ。

 それでもその手は多能の首を絞めた。気道ではなく、脈を押さえつける。両手で怖々と、力をこめていく。多能が笑うから、朝霞は一度手を離した。

「なにがおかしいんですか」

「いや、ビビってんなあって思ってさ。ね、首絞めセックス、したことないの?」

「ありませんよ」

「する?」

 誰と?

「しません」

 そっかあ、と多能は目を反らして、それから眠るようにまぶたを閉じた。

「あんま、あれだもんね。そういうエムい女性とは、しなさそうだもんね」

「しませんね。…………なにごとも普通でいいんですよ」

「普通なんてこの世にはないよ」

 もう一回、して。多能はそう言って、息を吐いた。朝霞はまた多能の首に手をかけ、ゆっくりと力を入れていく。

 …………どく、どく、どく、どく。……あたたかい肌の奥、脈打つのを指で感じる。心のなかで十秒数えて、朝霞は手を離した。

「もっとしてもいいのに」

「嫌です」

 多能は膝で朝霞の股間をなぞった。なんの反応もないそこを確かめ、つまんないの、と呟いた。

「多能さんは私とどうなりたいんですか?」

「仕事仲間でお願いします」

 それならこんなこと、するなよ。そう言いたかったが、朝霞はもう話す気も失せて、ベッドから降りた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る