【02】

 朝霞は男性特有の文化にそもそも馴染めなかった。俺や僕と言わずに、自分のことを私と言い始めたのも高校生の頃からで、恋愛をするためだけにクラスメイトの女子に近付いたり、また向こうから寄ってこられるのも、苦手としていた。男友達と、何をどうしたとか、誰とどうなったとか話すのも、好きではなかった。それは大学生になろうが社会人になろうが相変わらずで、自身の人生として恋愛事をするより、架空の物語に耽溺した。それなりに周りに合わせて数々の行為をしたことはあるものの、朝霞にとっては初めてのキスもセックスも、宿題を片付けたりゲームをクリアするのと、同じ達成感ほどしか得られなかった。

 多能のことだけが妙に、心に残り続けている。

 彼のことを思いながら自慰行為をするのは簡単で、それはBL本を読むように容易く興奮出来た。想像のなかだけならば自分は性別のない生き物となり、女のように喘ぎ、男のように攻め、そのどちらをも堪能出来た。実際に多能と顔を会わせるときは、勝手に想像の玩具にしたことへの後ろめたさもなく、淡々と仕事の話をした。

「初雪」

「……っ」

「って、良い名前ですね」

 本来、作家のことはペンネームで呼ぶのがならわしだ。なんとか先生、と他の作家にはそうしている。が、朝霞は多能にだけは本名でさん付けをした。それは本人がペンネームや先生と呼ばれることを嫌がったせいもあるが、多能のことは多能と呼びたかったのが本音だった。

「やめてください。下の名前で呼ぶの」

 うろたえる多能を見て、朝霞はどこか満足する気持ちと不満足な気持ちとを感じた。それがなんなのかは、分からなかった。

「嫌ですか。叔父さんのことがあるから?」

「やめろよ。あのなあ、もう、……………消す」

「是非そうしてください」

 それとも、このことも全部書いてやろうかと作家は編集者を睨む。睨んだあと、へらりと笑う。

「めちゃくちゃにされました、とか、書いてみようかな。君と、僕と、そういう、あれ」

「やめてください」

「君が押し倒すのと、僕が襲うのと、どっちがいい?」

「やめてください」

「嫌がるなあ。あはは。……だってさ、書いてないけど、ねえ、」

 あんなことまでしたのにと、続ける彼の口を朝霞は手のひらで塞ぐ。いや、塞ごうとする。それをつまらなさそうによけて、多能は朝霞を見る。

「書かないでくださいって、言ってみてよ」

「書かないでください。……いっそ土下座でもしましょうか?」

「そこまでは要らない」

 この話題は飽きたとでもいうように、多能はそれから天気の話をする。朝霞もそれに付き合う。二人はこうしてなにごともなかったかのように関係を続けていく。







 先日、朝霞は多能の首を絞めた。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る