第5話

「莉亜ちゃん、教室移動一緒に行こう」

 初めて、自分から人に声をかけた。私のことを心配して、見えないところで助けようとしてくれた莉亜ちゃんに興味があったからだ。

「莉亜でいいよ」

 一緒に行っていいかの返事は、ない。だけど振り返らなければ歩き出そうともしない。私は莉亜の横に立てるよう、一歩踏み出す。とん、とん。私の足音が数回響き渡った後、莉亜も同じように歩き出す。莉亜の歩調は速く、私は半ば小走りになって廊下を進む。

「一限、いなかったけどどうしてたの?」

「……ちょっと先生に話聞いてもらってた」

「大村先生でしょ」

 莉亜の返事には間がなかった。うん、と答えるべきなのに咄嗟にありがとう、という言葉が零れ落ちる。

「どうして伝えてくれたの……?」

 莉亜の足が止まる。一拍遅れて、私も立ち止まる。二、三歩前にいる莉亜がやけに小さく見えるのはなぜだろう。

「罪……滅ぼし。あいつは……小学校の時から、気に入らない奴をとことん追い込んでいく……タイプだった」

 降り始めの雨のように、ぽつりぽつり、と莉亜は息を詰まらせながら言葉を紡ぐ。淡々と語ろうとしたのだろうが、揺れ動いている感情が言葉の節々に見え透いていた。

「守りたかったのに、守れなかった人がいる。それを引きずって大きくなって、いい人ぶってるのが……私」

 莉亜は拳を震わせる。息を吸ってしゃくりあげる声に、徐々に嗚咽が混じる。

「いい人『ぶってる』なんて言わないで」

 私の足が前に出る。莉亜の目は涙に濡れていて、艶やかな黒目に映った私の姿はひどく歪だった。お互いの目が合った時には、私は確信していた。泣き腫らした目は物語る――一人でこの痛みをずっとずっと背負ってきた莉亜の強さも、脆さも。

「……っ、分かってるよ!あの子は、もう戻ってこない。何をやったって、過去は変えられない。それに……後悔なんて消えなかった……!」

 私はきつく、莉亜を抱きしめる。胸のあたりが、莉亜の涙を吸って冷たくなる。呼吸が早い。肩にそっと置かれた手が小刻みに震えている。雄叫びにも似つかわしい莉亜の情動は、チャイムの音さえもろともせず、かき消していく。涙は堰を切ったように溢れて止まる様子を見せない。時折、手のひらを力ませながらも私は莉亜の背中をさすり続けていた。

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