第1話

 地面に足がついているのに、吹いてきた春風に流されてしまいそうで。ご飯を食べても、味がしない。空を見上げても、色がない。身も心も苦しいはずなのに、体のどこかがシグナルを認めてくれなくて、今日も足を引きずって学校に行く。

 昇り始めた太陽が、まっすぐに私の顔を照らしてきて、俯いてしまう。燦燦と降り注ぐ朝日に、学校へ行く足取りの重さを責め立てられているようで、やりきれない。顔を上げると、宙をゆらゆらと舞っているビニール袋のように、風に流されるままどこかに行ってしまいたい、という思いが頭をよぎるが、私にはそんな逃げ場もない。しぼみ始めたビニール袋は道路の中央分離帯のそばに落下し、次々に通り過ぎる車を延々と避け続けているように見えた。

 大通りを右に曲がると、中学校が見えてくる。この時間に登校している人の姿は見えず、教室には黒っぽい影がぼんやり揺れているだけだ。まっとうに学校へ通えている人たちの。それを思うと一気に胸が苦しくなる。閉まりかけの校門を体をよじらせてくぐり、身を縮めるように、俯いて歩く。途中から息が吸えないのに吐くばかりで、視界が黒っぽいもやに塗り潰されていく。その時、暗闇に投げ込まれるように誰かの声が降ってきた。

「おはよ、粟屋。最近元気?」

 顔を上げると、濃紺で、絵の具まみれになったジャージ姿をした先生が、穏やかな微笑みを向けていた。

――なんで私のことを知ってるの?

 目立たないタイプの私が、こんな大人気の先生――美術の大村先生に名前を覚えられているはずがないし、どうしたら私の存在に目を向けることがあるのだろう。クラスだって遠いし、授業もまだ一回しか受けていない。ならどういうことだろう。私は咄嗟に反応出来ず、錆びついた首をわずかに動かしただけだった。

「今のじゃどっちに振ったのか分からなかったよ。一限始まってるけど受ける?それとも休む?」

「休み……ます」

「途中から教室入るのもしんどいもんな。僕も一限空いてるから美術室で喋ろうよ」

 私は、こくんと頷いた。

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