10

 瑛斗の実家を出て、川沿いを歩く。


 街からはそんなに離れていないのに、随分と田舎に感じる。田んぼや畑が広がり、車はたまにしか通らない。そんな風景を見ていると、久しく帰っていない地元を思い出す。


「ここなんだけど……」


 瑛斗が立ち止まって、山の方を指差した。僕がそちらへ目をやると、小さな山のふもとには、石段があるのが分かった。


「上に、神社があるんだよ。結構登るけど、大丈夫か?」


 瑛斗は僕を心配しているようだ。こういう気遣いができるところが、モテる秘訣なのだろう。僕は女の子といても、何も気にせずにさっさと登って、後で怒られてしまう。だから彼女ができないんだろうな。というのは、自分でもよく分かっている。これが、既婚者と独身の差なのだろう。


「女の子じゃないんだから。平気だよ」


 なんとなく悔しくなった僕は、いつもより大きな歩幅で、石段へ向かった。


 長い石段を登り、神社に着くと、背中は汗でしっとりとれていた。木々の間を抜けてくる風が気持ち良い。


「思っていたよりも、結構、長い石段だったな」


 僕が言うと瑛斗は「そうだろ」と笑った。瑛斗は知っていたからこそ、『結構登る』と先に言っておいてくれたのだろう。


 呼吸を整えた僕は、神社の境内けいだいを見まわした。人影はなく、どうやら僕たちの他には、誰もいないようだ。小鳥の鳴き声しか聞こえない静かな境内は、ひんやりとしたんだ空気に包まれている。


 参道さんどうを通って拝殿はいでんへ向かい、手を合わせていると、「瀬名くん?」と、女性の甲高い声が飛んできた。


「ああ、弥生やよいちゃん。久しぶり」


 瑛斗が微笑んでいるということは、2人は親しい仲なのだろう。


「瀬名くんて、結婚して引っ越したんじゃなかったっけ?」


「うん。今日はちょっと、実家に用事があって」


「そうなんだ! 久しぶりだね〜。相変わらずイケメンだ」


「褒めても何も出ないよ」


「そうだよね、結婚しちゃったんだもんね。残念!」


 瑛斗が『弥生ちゃん』と呼んだ女性の頬が、紅潮こうちょうしているのが分かる。


 ——やっぱり、モテるんだな。


 と、高校生の頃を思い出す。瑛斗はイケメンなのに、それを鼻にかけることはなく誰とでも話すので、同性の友達も多い。おまけにサッカー部に入っていたので、とにかくモテていた。女友達いわく、イケメンが運動部に入ると、最強らしい。

 

 2人のやりとりを、ぽかんとして見ていると、瑛斗がこちらを向いた。


「この子は、ここの神社の子なんだ。中学校の同級生」


榊田さかきだ弥生です。初めまして」


 彼女は丁寧に頭を下げる。神社の娘だから、所作しょさが綺麗なのだろうか。


「一ノ瀬蒼汰です」


「蒼汰は、高校の同級生なんだ」


 瑛斗が言うと彼女は、あぁ、とうなずいた。


「弥生ちゃん、ちょうど良かった。……破魔矢はまやってある? お守りも欲しいんだけど……」


「うん、あるよ! 案内するね」


 僕と瑛斗は、歩き出した榊田さんの後をついて行く。黙ったままの瑛斗を見ると、唇を硬く結んで、浮かない表情をしている。やはり、家にいるが気になっているのだろう。


「……ここへはお参りというよりも、破魔矢とお守りが目的で来たのか?」


 僕が言うと、瑛斗は何も言わずに頷いた。


 参道から外れて社務所しゃむしょへ行くと、お守りと破魔矢の他にも、絵馬えま御朱印帳ごしゅいんちょうなどが並んでいる。


「お守りって色々あるんだな。全然分からないや……。どれがいいんだ?」


 瑛斗が小声で訊いてきた。


「いや、僕もそんなに詳しくはないけど……」


 お守りなんて色が違うだけで、全部同じように見える。それに、僕も近所にある神社のお守りを持っているが……残念ながら、特に効力を感じたことはない。授かった当日に風邪を引いたこともあるし、道路の脇にある側溝そっこうに落ちたこともある——。


 そんなことを考えながら見比べていると、1番端にある黒いお守りが目に入った。お守りには『厄除御守』と書いてある。僕は、その黒いお守りを手に取り、瑛斗に差し出した。


「これは? 厄除けって書いてあるぞ」


「本当だ、これにするよ」


 瑛斗の顔が、ふっとほころぶ。ずっと、まつげが影を作っていた瞳は、光を取り戻した。


 ——効くかどうかも分からないお守りでも、そんなにほっとしたような顔をするんだな……。


 それほど不安が大きいのなら、一刻も早く引越しをするか、お祓いをしてもらった方がいいような気がする。でも、ただの友達でしかない僕は、あまりしつこくは言えない。


「弥生ちゃん。このお守りと、破魔矢をもらえる?」


 瑛斗は僕が渡した黒いお守りを、榊田さんへ手渡す。


「はぁーい。破魔矢は小さい方でいい?」


「いや……普通の大きさの方がいいかな」


「家に持って帰ると、割と大きく感じると思うけど、大丈夫?」


「うん。大丈夫」


「分かった。ちょっと待ってね」


 榊田さんは、お守りと破魔矢を、手際よく白い紙の袋に入れる。神職用の装束は着ていないが、日頃から手伝っているのだろう。


 そして瑛斗は金を渡すと同時に「ありがとう。じゃあ、またね」と微笑みながら別れを告げた。


 榊田さんはまだ物足りないのか、なんとなく、寂しそうに見える。たしかに僕も、随分とあっさりだな、と思った。


「絶対にまた来てね、瀬名くん! 一ノ瀬さんも、また寄ってくださいね」


 歩き出した僕たちに、榊田さんは、無理に作った笑顔で手を振る。引き止めようとはしない彼女はきっと、相手に自分の気持ちを押し付けない、優しい人なのだろう。


「いい子だな、榊田さん」僕が小さな声で言うと、瑛斗は表情を変えずに「そうだな」と返す。


 話す時には笑顔で対応していても、瑛斗にとって榊田さんは、元同級生。ただそれだけなのだろう。名残惜しそうにされても、振り返ることもしない。


 ——イケメンは、こういうのに慣れているんだろうな。


 そう思ったけれど、左腕にしっかりと抱えられた、お守りと破魔矢を見ると、そんな考えは消えていった。僕が思っているよりも瑛斗は、家にいる『何か』を、恐れているのかも知れない——。

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