本格ファンタジーは一度死んだのか? ~広がりすぎた「エンタメ」に潜む、本格ファンタジーという最終幻想~
○3章 ゲームブックと日本アナログゲーム布教活動 ~ファミコン・ファンタジーとアナログ・ファンタジーをつないだ仲人~
○3章 ゲームブックと日本アナログゲーム布教活動 ~ファミコン・ファンタジーとアナログ・ファンタジーをつないだ仲人~
「火吹山の魔法使い/スティーブ・ジャクソン、イアン・リビングストン:共著」は1982年に刊行されたゲームブックだ。ゲームブックというカテゴリの始祖ではないが、日本でも流行したファンタジー系ゲームブックの最初期代表作とされており、著者の2人はTRPGの普及活動を行っていた人物である。
火吹山の魔法使い型のゲームブックとはざっくりと言ってしまうと、本を使って遊ぶ1人用アナログRPGだ。海外では大きなブームを呼び起こし多くのシリーズが登場したが、それはTRPGの流行や普及と同時平行的なものでもあり、TRPG入門編という側面も持っていたと言われている。そうなると「D&D」を原作としたゲームブックも登場してくるわけで、ここで日本の出版社である富士見書房と富士見ドラゴンブック(以下:ドラゴンブック)が顔を出してくる。
◆ゲームブックとコンピュータゲーム◆
ドラゴンブックは85年に創設。刊行第一弾に選ばれたのが「パックス砦の囚人/モーリス・サイモン:著、大出健:訳」だ。これは「ドラゴンランスシリーズ/マーガレット・ワイス他:著」を原作としたゲームブックであり、「ドラゴンランスシリーズ」とは何ぞやと言うと、「D&D」を原作とした小説である。ドラゴンブックは「ドラゴンランス戦記」というタイトルでの翻訳版や「D&Dがよくわかる本─ダンジョンズ&ドラゴンズ入門の書」を刊行したりなど、「D&D」の紹介とそこから広がるTRPG文化の布教を活動のメインとしたレーベルとして、80年代後半の日本における海外ファンタジー伝道師的認知度を高めて行く。
同社のファンタジア文庫誕生にもつながっていく存在であり、水野良もメンバーだったグループSNEともつながりが深い。小説としての「ロードス島戦記」、TRPGとしての「ロードス島戦記」のどちらを追う場合でも無視できないだろう。
ただし、日本におけるゲームブックの始祖がドランゴンブックだったという話ではない。84年の時点でペーパーアドベンチャーと呼ばれた形式のものがマイコン雑誌で取り扱われており、ハローチャレンジャーブックと呼ばれたシリーズが朝日ソノラマから刊行されたりもしている。前述の「火吹山の魔法使い」も、85年に社会思想社から刊行されている。
ゲームブック文化はTRPG文化と切り離せないものであり、「ロードス島戦記」に辿り着くためにも欠かせない存在だ。そして「ドラゴンクエスト」に辿り着くためのコンピュータRPG文化とも切り離せない存在である。
「ドルアーガの塔/鈴木直人:著」は同名のアーケードゲームを原作としたゲームブックだ。「ゼビウス」に続く第二弾という触れ込みで86年に東京創元社から刊行され、ファミコン時代のゲーム少年からも厚い支持を集めたゲームブックとして名高い。
「ドルアーガの塔」はファミコンRPGブーム前夜のファンタジー作品としては語ることが必須級と言われている、謎ときダンジョン攻略アクションファンタジーゲームの傑作だが、この作品だけが特別枠だったという話でもない。双葉社から出ていたファミコン冒険ゲームブック、勁文社からのアドベンチャーヒーローブックスはファミコンの作品を原作としたゲームブックシリーズであり、ファミコンを含めたコンピュータゲームが盛り上がる時期と、ゲームブックが盛り上がる時期は平行・共存していたという事に注目したい。さらに言えば「ドラゴンクエスト」もゲームブック文化には参加している。
「ロードス島戦記」につながる流れと、「ドラゴンクエスト」につながる流れは、TRPGとコンピュータRPGのどちらもゲームブック化されているという、ライトノベル前夜時代での合流点が存在した。これもまた本格ファンタジーを探る旅のチェックポイントとなるだろうと思う。
◆日本ボードゲームの父と、日本人のためのオリジナルアナログゲーム◆
「指輪物語」や「D&D」からはじまった世界的なムーブメントを日本に輸入し、紹介する流れがあった。それは中世西洋風の本格的なファンタジーの気風を持つ作品やゲームだけを厳選して紹介しようという流れではもちろんなかった。それらを直接的な親としないヒット作やブームも多く、特にアナログゲーム史においてはTRPGと同じぐらいに重要視されているものとして、ウォーゲームの普及というものがある。ウォーゲームとは何ぞや。対戦に特化したアナログボードゲームであり、ざっくりと「ファミコンウォーズ」や「提督の決断」や「ガチャポン戦記」のようなゲームのアナログ版ご先祖様という認識で問題ないと思う。
海外ウォーゲームに触れた事をきっかけに、それはそれとして楽しみつつも日本人向けにカスタムした国産ウォーゲームを作ってしまってもよいのではと考えた男がいた。日本ボードゲームの父、日本で最初のゲームデザイナー、トランプなどの定番文化ではないファンタジーカードゲームという世界を切り開いたなどと呼ばれる男、鈴木銀一郎という存在について少しだけ語ろう。
アメリカ・パルプ・フィクション時代の真っ只中、あるいは「ホビットの冒険」が世に出るより前という時代に生まれた氏は、ある程度の年齢になってから海外発ウォーゲームという存在に触れ、アナログゲーム業界での活動を開始する。ウォーゲームの歴史そのものは涙を呑んで割愛させてもらうが、エポック社から多くのウォーゲームを販売し、自身で立ち上げた翔企画でも積極的な活動を行う。海外ムーブメントの単純な輸入・紹介に留まらない国産アナログゲーム発信者として、この時期のTRPG布教者やゲーム関係者、そして当時のゲーマー層に強い影響をもたらしていく。
「ロードス島戦記」と「ドラゴンクエスト」は、海外の世界的ムーブメントのチルドレンでありながら、それらのフォロワーという存在で終わらず、それらから超越した国産オリジナル作品に到達したものたちである。ライトノベル前夜の小説界で、ファミコンRPG前夜のコンピュータゲーム界で、その前例は既に多く誕生していたがここではこの共通点を覚えておきたい。そのアプローチは日本発の本格ファンタジーという概念を読み解くのに必須の要素だろう。
その源流に立つ一人である鈴木銀一郎もまた、デジタルやアナログの垣根を越えた一大ファンタジーブームの中で「モンスターメーカー(88年)」という剣と魔法のファンタジー世界の傑作を生み出し、国産ファンタジー最前線の住人ともなっていく。
ウォーゲームの歴史は省略すると述べたが、それでも名前を紹介しておきたい作品はある。「ウォーハンマー:ファンタジーバトル(83年)」は、西洋風ファンタジー世界観のテーブルバトルゲームとして後発のファンタジー作品に大きな影響を与え、「バトルテック(84年)」はロボット兵器によるバトルゲームとして重要な存在となる。「バトルテック」は様々な他社ロボット系作品とネガティブな関係性があったことでも有名だが、まあ今回はそこの部分の詳細は語らないでおこう。
さて、「ロードス島戦記」と「ドラゴンクエスト」が産まれるまでの前振りの前振りは出来ただろうか。そろそろそれぞれが産まれるその瞬間までを一気に駆け上ろう。まずは「ドラゴンクエスト」から覗いてみるとしようか。
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