○2章 ファンタジーのはじまりは指輪物語? ~そんな簡単な話でもないから困る~

 「指輪物語/J・R・R・トールキン:著」は1954年に刊行された、ファンタジー小説始祖論で必ず顔を出す作品だ。始祖論なら「ホビットの冒険(同著者:37年)」の方だろもワンセットでついてくる。

 この作品および著者は手塚治虫で例えるのが日本人には一番わかりやすいと思う。漫画論をはじめてしまうと何がどうなっても大体は手塚治虫に到達してしまうように、ファンタジー論をはじめると大体は「指輪物語」に到達する。だが、別に手塚治虫は漫画というジャンル自体の始祖ではないし、トールキンもファンタジー小説というジャンル自体の始祖ではない。手塚治虫がディズニーから影響を受けていたのは有名な話だが、トールキンも自身の執筆において強い影響を受けたとされるファンタジー作品が複数あるとして研究されている。だが、それらをもってしてなお○○はそこからはじまったが多すぎる。そういう存在だ。

 ファンタジー小説始祖を探る膨大なる旅は今回はやらない。最終的には古代メソポタミア到達! となる可能性も高いし。それも楽しそうだけどね。ともあれ、本記事のテーマである本格ファンタジーという概念を探る旅の一助として、「指輪物語」前後を見ていくとしよう。


◆指輪物語以降を語るために、指輪物語以前を語れ◆


 「指輪物語」以降に出た有名どころとしては「夢見る都(エターナル・チャンピオンシリーズ)/マイケル・ムアコック:著」(1961年)、「ゲド戦記/アーシュラ・K・ル=グウィン:著」(68年)あたりだろうか。「エターナル・チャンピオンシリーズ」は主人公の名前を取ってエルリック・サーガなどとも呼ばれている。「ゲド戦記」はジブリで知ったという層も多そうだ(日本ファンタジーブームとジブリの関係性についても後述する章で語る)。

 「指輪物語」が日本語に翻訳され刊行されたのは72年だが、海外の名作や児童文学を日本に紹介するという立ち居地で活動していた評論社からの刊行であり、いわゆる日本でのオタク的なイメージでのムーブメントとしては浮かび上がってこない。

 「ロードス島戦記」や「ドラゴンクエスト」につながるようなムーブメントを拾うには、「指輪物語」以降のみを見るのでは少し難しく、SFを土台とするヒロイック・ファンタジーブームの方を掘り下げる必要がある。始祖探しみたいのはやらないのでは? いや、ここはスルーしたら詰むねんな。本格ファンタジーを語るならSFから語れ。まじかよ。


 「火星シリーズ」と呼ばれるSF作品がある。「火星の月の下で(後に火星のプリンセスに改題)/エドガー・ライス・バローズ:著」(12年)をはじまりとするシリーズであり、科学的根拠よりもノリと勢いと冒険感に満ち溢れた活劇で魅せる冒険SFというジャンルを確立した、ヒロイック・ファンタジーの先駆けとされる作品だ。この作風はパルプ・フィクション(パルプ・マガジン)隆盛において大きな影響をもたらしたと考えられており、「英雄コナン/ロバート・E・ハワード:著」(32年)などはその流れの中で生まれた時代を象徴する代表作とも言われている。「英雄コナン」に関しては映画化された際の邦題「コナン・ザ・グレート」の方が日本では有名かもしれない。

 パルプ・フィクション(パルプ・マガジン)とは何ぞや。パルプ・マガジンという雑誌があってそこに載っていた作品が……というわけではなく、1900年代にアメリカで流行した安価で低品質な紙を使ったエンタメ雑誌群を総称でパルプ・マガジンと呼び、そこに掲載された作品たちをパルプ・フィクションと呼んだ。SFからはじまり怪奇幻想や冒険浪漫と融合し、ヒロイック・ファンタジーという概念を生み出した、そんなムーブメントだ。

 まあざっくりと、ライトノベルのスーパーご先祖様という認識をしてしまって構わないと思う。タランティーノ映画ではない。ヒロイック・ファンタジーとは何ぞや。現代ライトノベル論などでみかけるキャラクター小説、主人公が主人公している主人公こそ主人公やろがいのご先祖様と認識してもらって大丈夫だと思う。極めてSF色が強い作品たちの中から生まれたものであり、「ロードス島戦記」や「ドラゴンクエスト」などの世界観、西洋風とか中世ヨーロッパ風などと言われるイメージとは違うものだ。前述した「エターナル・チャンピオンシリーズ」などもSFであると同時にファンタジーであり、74年誕生である「D&D」は、この時代の作品たちの影響を受けていると研究されている。「D&D」は「指輪物語」をゲームとして遊ぶために作られたという説明がされることが稀にあるが、まあそこまで単純ではないという話でもある。


 トールキンとパルプ・フィクションとSFの発展。これも多くの研究がなされているテーマだ。トールキンを語る時は、アイザック・アシモフ、アーサー・C・クラーク、ロバート・E・ハワードを同時に語れという程度には、SFとファンタジーは最初から切り離して語ることが不可能なジャンルだったりする。

 もちろん、日本人が愛するファンタジー作品にはアメリカの歴史より古い欧州の叙事詩・戯曲・幻想文学などをルーツとするものも多い。児童文学も極めて重要だ。最初期の吸血鬼文学たちや「フランケンシュタイン」、あるいは「不思議の国のアリス」などはパルプ・フィクションより古く、「オズの魔法使い」に「ピーター・パン」あたりはパルプ・フィクション時代と多少重なっている。「ナルニア国ものがたり/C・S・ルイス:著」(50年)など、「指輪物語」より少し早く登場した名作ファンタジー小説も存在する。非常に近い関係の模倣や継承が成立するものもあれば、時代が生んだ偶然の無関係もある。どの時代もそこらへんは複雑な螺旋構造だ。

 SFを多分に含んだアメリカ大衆エンタメと、欧州の幻想的文化の交流はパルプ・フィクション時代を経て加速度的になり、その流れの中から日本への伝道も浮かび上がってくる。「ドン・キホーテ」や「三銃士」あるいは「アーサー王伝説」などが日本の西洋風ファンタジーに与えた影響はもちろん大きいが、日本で黄金期を築いたファンタジーブームのルーツを追っていくと、直接の親はアメリカ・パルプ・フィクションとそこから生まれたヒロイック・ファンタジーであるとも思える。

 そしてヒロイック・ファンタジー世界において、SFとファンタジーは最初から不可分だ。このことは本格ファンタジーとはを探る上での重要な欠片だと、私は考えている。


 ◆海外ムーブメント、日本へ。整理されたカテゴライズ継承なんてものはない◆


 海外で盛り上がるエンターテイメントを日本へ紹介しようというムーブメントは、断続的に、あるいは連続的に発生し続けていて、これも戦前文化研究と戦中のそれ、戦後のそれとで大きく顔を変えたり、日本大衆文化研究として膨大ってレベルじゃねえぞっていう世界が構築され続けている。

 江戸川乱歩とエドガー・アラン・ポーを聞いたことがある人はいるだろう。日本SF御三家なんて言葉を聞いたことがある人もいるだろう。シャーロック・ホームズがいつ日本に入ってきたのか調べたことがある人もいるだろう。あるいはドラキュラを調べていたらカーミラやルスヴン卿が出てきてそのまま日本人の文豪まで出てきちゃったという人もいるかもしれない。何故か令和で若者に大人気のクトゥルフを、いやそれは中年世代のブームやぞと首を傾げているおじさんもいるかもしれない。三度の飯より聖杯戦争な人もいるはずだ。

 それぞれを時系列で並べ、どれがどれに影響を与え、どこへとつながっていくのか、それを単独で研究し尽くすことはライフワークとしても不可能かもしれない。1つ1つテーマをしぼってやっていくしかない。というわけで、本記事テーマとの直接的なつながりが強そうなものを探そう。私はゲームブックの誕生と富士見ドラゴンブックの誕生を一つの切り口にして進めてみたいと思う。

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