本格ファンタジーは一度死んだのか? ~広がりすぎた「エンタメ」に潜む、本格ファンタジーという最終幻想~
82(ぱに)/平々八十二
○1章 ロードス島戦記が生まれた時代。~デジタルゲームとアナログゲームの潮流~
最近、本格ファンタジー至高論や本格ファンタジーの復活待望論のような声をそれなりに聞くようになった。耳を傾けてみると、一つの有名作を指標に、異なる二つの声が聞こえてくる。
「ロードス島戦記」こそ古き良き時代の正統な本格ファンタジーの象徴であり、それを失った果てがなろう系などのWEB小説界隈や現行ラノベ界隈である
という声。そしてその声に反発するかのように、
「ロードス島戦記」は登場時、こんなものは本格的で正統なファンタジーではないと言われた代表作であり、今なおロードスは本格ファンタジーではないとする者も多い作品である
という声。これは一体どういうことだろうか?
そもそも本格ファンタジーとは何ものであるか、それを調べようと思ったらスタートから混乱が置いてある。
そこでひとつ思い出す。「ロードス島戦記」はライトノベルなのか、一般小説なのか、ゲーム小説なのか。そんな議論が永遠に行われる作品でもあった。
本格ファンタジーの復活待望論を読み解くには本格ファンタジーが一度ないし複数回死んだのかを検証する必要があり、指標作としてあげられる事が多い作品である「ロードス島戦記」が本格ファンタジーなのかを確認しなければならない。そしてさらに、ライトノベルとWEB小説の今から本格ファンタジーが消えているという話につながるかどうかを確かめるには「ロードス島戦記」はライトノベルなのかや、ライトノベル・ファンタジーは本格的なファンタジーに含まれるのかなどとも向き合う必要がある。いや、どうすんだよこれ。
幕末を語りたくてどうするか考えていたら江戸時代全部語るしかないとした漫画家がいる。三国志を語るには漢王朝から語る他ないとした小説家がいる。得てしてそういうものなのだろう。私はそこまでの覚悟があるかは保証できない。ただ、本格ファンタジーという定義のはっきりしない不思議な概念を語るのに、正反対の答えが届いてくる「ロードス島戦記」という歴史的名作をスタート地点として探ってみる行為を、少しだけしてみようと思う。
少し長い旅になるぞ。
貴方の前には長話をする老人がいる。貴方はその話に最後まで付き合ってもいいし、途中で席を立ち離脱してもいい。
○1章 ロードス島戦記が生まれた時代。~デジタルゲームとアナログゲームの潮流~
「ロードス島戦記/水野良:著」は1988年に角川文庫から刊行され、角川スニーカー文庫(以下:スニーカー文庫)の誕生によってそちらに移籍した小説だ。剣と魔法のファンタジー世界の物語として大ヒット作となり、人間とは異なる種族であるエルフ像は「指輪物語」や「ダンジョンズ&ドラゴンズ」(以下:D&D)などの既存作品を由来とするものでありながら、イラストの力などもあってエルフのビジュアルイメージそのものを変えてしまったとも言われている。
スニーカー文庫は、富士見ファンタジア文庫(以下:ファンタジア文庫)と並んでライトノベルというカテゴリのために生み出されたレーベルとも言われることがある。ファンタジア文庫の第一回新人賞から出てきた作品である「スレイヤーズ!(以下:スレイヤーズ)」が世間に与えた影響は大きく、ライトノベルのはじまりは「スレイヤーズ」から説が存在するが、同時に「ロードス島戦記」こそライトノベルのはじまり説を唱える者も多い(ライトノベルの始祖論については後述する章でもう少しだけ語る)。
◆ファンタジー黄金期の伝道者を探る◆
1988年はファミリーコンピュータ(以下:ファミコン)黄金期であり、86年に「ドラゴンクエスト」、87年に「ファイナルファンタジー」が発売されヒットしたこともあって、シューティングゲームやアクションゲームが主流だったファミコンに、RPGブームとでも呼ぶべきものが生まれつつある時代だった。
「ドラゴンクエスト」がファンタジーの普及に対して果たした役割はやはり後述の章で見ていくが、それらの背景があったからこそ「ロードス島戦記」や「スレイヤーズ」も大ヒットし、ライトノベルというジャンルの成功とライトノベル界におけるファンタジー黄金期につながっていったとする分析はよく見かける。
私も基本的にはそう考えているが、同時にファミコンによるRPG布教は日本のファンタジー黄金期醸成の片翼であるとも考えている。もう片翼が存在する。それはTRPGおよびアナログゲーム布教の流れだ。
TRPGとはテーブルトークロールプレイングゲームの略称であり、複数人が集まり、紙や鉛筆、サイコロにルールブックにマップシートにフィギュアなどを使ってテーブルの上で遊ぶアナログゲームだ。74年にアメリカで発売された「D&D」が世界最初のTRPGと言われ、世界的なヒット作としてファンタジーブームを生み出したのは「指輪物語」よりも「D&D」だとすら言われることもある。
そもそもRPGという言葉自体がSFやファンタジー的世界を舞台にごっこ遊び(ロールプレイでゲーム)をしようという意味を持っており、「D&D」によって生まれた言葉・概念だとも言われている。RPG=D&Dであり、74生まれである大先輩に対して後輩である「ドラゴンクエスト」などの作品はRPGを電子機器で遊べるものという枠として、コンピュータRPGあるいは、一人用電子RPGとでも呼ぶのが正しい時系列なのだが、わざわざそんな風に呼ぶ者はごく少数のマニアのみで、RPG=ドラゴンクエストのようなゲームであり、アナログゲームの方をそれと区別するためにTをつけてTRPGと呼ぶのが一般的となっている。
このねじれこそが、日本のファンタジーブームを紐解く鍵であり、古き良きファンタジーや本格ファンタジーという概念につながっていく重要点だと私は考えている。
◆ロードス島戦記はTRPG出身◆
「ロードス島戦記」という作品は全体的に「D&D」の影響を強く受けている。というか、TRPGファンには知られている話だが、この作品の初出は小説ではなくTRPG紹介記事であり、世界的ヒット作である「D&D」を日本に紹介する時に採用されたオリジナル世界だ。初出は1986年発売の「コンプティーク」誌上とされており、「D&D」以外にも様々なTRPGを紹介するための舞台として採用・拡張され続けていった世界でもある。その商業的取り組みを行っていた組織としてグループSNEという存在があり、小説版「ロードス島戦記」の著者である水野良もそのメンバーだった(※1)。
88年に出た小説版「ロードス島戦記」の大ヒットは、86年からはじまった「ドラゴンクエスト」を中心とするファミコンRPG旋風を土台としたところもあると前述した。だが、同時に「ロードス島戦記」という世界観の初出は86年であり、ファミコンRPGブームを受けてはじまったものではないという側面も出てくる。
こういう表現もできるだろう、「ロードス島戦記」と「ドラゴンクエスト」は同じ年に生まれた同期であると。
※1 翻訳家の安田均が中心となって設立した集団。後に株式会社化。翻訳家・ゲームデザイナー・雑誌編集者・後に作家になる者などが多く集った
日本におけるファンタジー黄金期と、令和に語られるかつて存在した本格ファンタジーという論を読み解くには、コンピュータRPGによるムーブメントとアナログRPGによるムーブメントが時に交じり合い、強く響き合いながら同時並行的に起きていたことを認識し、追う必要がある。
そしてそれには、ファミコンやスニーカー文庫が産まれる前の流れを見ずには不可能だ。黎明期の混沌、原初のカオス、永遠に終わらない始祖論がマグマのように吹き荒れるその時代を、完璧に追うには分厚い単行本1冊をもってしても足りないだろう。だが、まあその必要最低限、削りに削ったダイジェストだけでも覗いてみるとしようか。
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