第31話 言われっぱなしは嫌だから

 莉世の父親……時臣さんが交通事故に遭ったとの報せを受けた莉世は、午後の授業を欠席して搬送された病院へ向かった。


 しかし、家族の交通事故で母親のことを思い出したのだろう。

 電話の直後の莉世は過呼吸やめまいなどでまともに動ける状態ではなく、顔色も蒼白でいつ倒れてもおかしくないほどだった。

 なのに這いずってでも病院へ向かいかねない莉世を放っておくことは出来ず……色々あって、俺も同行することになった。


 莉世としてはギクシャクしたままの父親と二人で会うのは気まずいらしい。

 けれど交通事故に遭ったことは心配で、いてもたってもいられず――ということで、俺がいてくれた方がありがたいとか。


 そんなわけで電車を使い、最寄り駅からタクシーで病院へ。

 財布が厳しくても莉世の体調と喫緊の状況には変えられない。


 病院の受付で莉世が時臣さんの病室を聞き、向かう。

 エレベーターの中で二人きりになったところで、聞いてみる。


「莉世は、大丈夫そうか?」


 色んな意味を含んだ確認だった。


 莉世の体調のこともそうだし、喧嘩別れしたきりの時臣さんと会うことへの不安や、変な気を起こしてないか――とか。

 なんといっても急な事故だ。

 心の準備なんて出来るはずがなく、莉世は行動を強いられた。


「……胸がざわざわして、落ち着かない。もし、お父さんもって思ったら――」


 莉世は俯きがちに両袖を握り、声を震わせて答えた。

 最後の方は掠れて聞こえなかったけれど、なにを言いたいかは伝わっている。


「大丈夫。そんなことには、ならない」


 俺に出来ることは莉世を励まし、時臣さんの無事を祈ることだけ。

 たとえ根拠や理屈が伴っていなくても、言葉一つで気持ちが楽になることもある。


 チン、とエレベーターが目的の階に着いたことを告げ、俺たちは降りた。


「…………手、貸して」


 莉世の申し出には、言葉よりも先に手を差し伸べた。

 一回りは小さく、ほのかに冷たい、頼りない力で握り返す莉世の手。


 それを引いて病室の前までゆっくり、転ばないように歩いた。


 真っ白な病室の扉。

 この先に、時臣さんがいる。


「俺は入らずに待ってたらいい?」

「……着いてきてほしい」

「わかった」


 本当にいいのかと思いながらも理由は聞かない。


 莉世は三度の深呼吸で息を整えてから、扉を開けた。



 白い壁と天井。

 漂う微かな消毒液の匂い。

 そして、ベッドで仰向けに寝ながら、片足を吊り上げられている男性――時臣さんの姿。


 扉を開けたことで誰かが来たと気づいたのだろう。

 時臣さんはこっちを向いて――俺と莉世だと気づくなり、煩わしそうに表情を歪める。


 一方、隣の莉世は時臣さんが無事とわかり、僅かに表情を弛緩させた。

 けれど、なんと話しかけたらいいのかわからなかったのかもしれない。


 それはお互いだったようで、数秒の沈黙が場を満たし、


「――お父さん」


 先に口火を切ったのは莉世だった。


「事故に遭ったって聞いて、それで――」

「……はあ。全く、足が一本折れた程度で大袈裟な」


 心底からの呆れを伴った返答。

 時臣さんの目には前会った時と同じだけの圧がある。


「私はこの通り生きている。それとも、お前にとっては死んでいてくれた方が嬉しかったか?」

「なっ……!?」


 莉世の心境を考えない、あんまりな言葉に絶句してしまう。


「そんなわけないっ!」

「どうだか。口ではどうとでも言える」


 取り付く島もない態度。

 時臣さんを心配して来た可能性をこれっぽっちも考えていないそれに、思わず俺も一歩踏み込んでいた。


 だが、それを制するように鋭い視線が俺を射抜く。


「おまけにあの時の男まで連れてくるとは。何の用だ? 病室に立ち入る許可を出した覚えはないが」

「……俺はただの、莉世の付き添いです。あなたが交通事故に遭ったと報せを受けた莉世は、とてもじゃないですが一人で病院にはたどり着けそうになかったので」


 俺が時臣さんにとって部外者なのは変わらない。

 色々言われるのは想定内。

 けれど、それで終わりとばかりに時臣さんは「ふん」と鼻を鳴らして、


「どちらにしろ、ここはお前たちがいていい場所ではない。そもそも授業があるはずだろう? 学費を払ってもらっている分際で、学業を疎かにするなど許されんぞ」

「家族より学業だって言いたいの?」

「私とお前は名ばかりの家族だろう。血が繋がっているだけの、他人だ。家族らしいことをしている覚えもない」

「……確かに、顔を合わせれば喧嘩ばかりだった。仲がいいなんて口が裂けても言えない。――でも、私のお父さんはお父さんだけだから」


 真っすぐに、莉世が言い放つ。


 自分が時臣さんに恨まれていても、家族だからと。


 これには時臣さんも面食らったのか、僅かに目を見開いたまま莉世を見つめ、おもむろに眉間を揉んだ。

 そして、仕切り直しを望むかのように咳払いを一つ。


「……私たちの今後を話し合うにはいい機会か。――キミ、ここを出たまえ。私は莉世と話がある」


 キミ、というのは俺だろう。

 それは視線と雰囲気でもわかった。


 でも……莉世と時臣さんを二人にしていいものか。

 莉世の心の傷が深くならないだろうか。


「湊、私からもお願い」


 心の中の迷いを振り払ったのは莉世の声。


「……いいのか?」

「私も言われっぱなしは嫌だから」


 碧い瞳に怯えの色はない。

 蒼白だった顔色も、多少は赤みが戻っている。


 そして莉世が望むのなら、俺には止められない。


「わかった。別のところで待ってる。話が終わったら連絡してくれ」

「ん」


 心配な気持ちは、もちろんある。


 けれどそれを押し殺し、回れ右をして病室を後にした。

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